⭕️ 神田〈明神〉祭にちなんだ一言。
………………………………………………………………
『日月神示』の本質とは、「日と月で神を示す」ということです。
……………………………………………………………………………
「日と月」で「明」です。
「明」はカミと訓読みします。
「明」は神(明=神)ということです。
ですから、神明とか明神とか表記します。
(無明とは無神です)
………………………………………………………………
「日月が無い」ことを仏教で「無明」(ムミョウ)といい、その元は梵語『アヴィドヤ』です。
『無明』とは、「明るく無い」ということです。
何に明るく無いかというと、真理(サトリ)に対して明るく無い、真理(サトリ)に暗い、ゆえに迷うということです。
無明とは無智です。
………………………………………………………………
「日(ア)月(ヤ)もって神を示す」の〈神〉の元字は「示申」です。
ですから、〈日は示に対応し、月は申に対応しています。
日 = 示
月 = 申
明 = 示申
………………………………………………………………
許慎の『説文解字学』に依れば、
「示」とは、日月星三垂です。
「申」とは、身・亀甲のさま・稲妻のさまです。
ゆえに、太法図を観ると一目瞭然、
『示申』とは、『太法図と太言霊』と解ります。
………………………………………………………………
ここまで読ん解る方は、明者です。
解らない方は、無明の者です。
梵語アヴィドヤ(無明)は、梵語ニラヤ(地獄)ということです。すると死んだら…。
この世もあの世も、自己責任・自業自得のシステムの世界です❗️と、
また、『この世の罪は、あの世の罪』と、私は認識しています。
当然、どう思われるかは、各自の自由です。