こんにちは
ご訪問頂き誠にありがとうございます
別サイトで応募している小説『向日葵畑の向こう側』がようやく完成致しました
美しく儚い、少しだけスピリチュアルな世界が描けたかなと思っております。
見ていただけましたら嬉しいです
※ Noteアカウントなしでもアクセス可能です。
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少し前の記事で、無謀にも私自身が嫌いなものに突っ込んで行って、ただただ苦労した末に入院というオチで終わったというお話をしました。
結局のところ、自分の得意不得意、好き嫌いを無視して、ないものねだりした結果なのです。
自分の道や使命というものがあるとすれば、それは、自分が本来持っている能力を最大限に生かせて、人のために役に立てる道と考えます。
とはいっても、見つけるにはそれなりに運が必要かと思います。多くの人が「自分には何ができるんだろう」「何をしている時が幸せなんだろうか」「どうやったら人の役に立てるのだろう」と悩んでいることでしょう。
若い時の苦労は買ってでもしろというのは、何も若者に苦労しないとダメだと言っているのではなく、リカバリー力のある若いうちに多くの壁や障害ぶち当たることで、方向修正をしながら自分の道を見つけることを示していると考えます。
しかし、多くの人はこの苦労した状態をずっと続けてしまいます。背負うものが多ければ多いほどそうなります。私もそうです。
では、大人になってしまったら自分の道を見つけることは不可能なのでしょうか?
そんなことはありません!
小林正観さんは、自分の使命に気づくためのステップについて、次のように提唱しています。
1. 五戒(不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句)を一切口に出さないようにする
2. この状態を維持しながら3ヶ月くらい経った頃から、人から自分にしかできない「頼まれごと」が来る。
3. 利益度外視(結果に執着しない)で、二つ返事でOKし、とにかくそれに対して全力で取り組む
4. そうこうしていると、また別の自分にしかできない「頼まれごと」が来るので、これも全力で取り組む。
こうしていくと、自分の道、使命というものが見つかるのだそうです。
考えるよりとにかく他人のために手を動かすのが良いようです。
ちなみに、以下の場合は、全力お断りでOKだそうです。
儲け話
甘い話ですね。「これやると絶対儲かるからやってくれない?」もしくは「倍にして返すからお金貸してくれない?」という感じでしょうか。
脅し
「これ買わないと大変なことになるよ」とプレッシャーをかけてくるようなパターンです
詐欺
「代わりにやっといてあげるから今日中に〇〇円振り込んでくれない?」
儲け話と併せて来るかもしれませんね
このように何かお金が絡んでくるようなものは「頼み事」ではないそうです。あくまでも自分の経験や知識、能力を必要としてくれるものをありがたくお受けするということですね。
「頼みごと」が来たら、「私なんかでいいのかな」とか「ちゃんとできるのかな」などと余計なことは考えず、すぐに行動することが大事なようです。
そうして一年もしていると、自分のやるべきこと、使命がわかってくるのだそうです。もう「頼みごと」そのものが使命になるかもしれません。
このプロセスが本当の自分探しの旅と言えます。本当に旅に出てしまってもいいでしょうが、とにかく手を動かすということが大事でしょう。
使命とは、自分の命(能力)を人のために使うことなのだそうです。
実は、「もっとお金が欲しい」とか「人に愛されたい」とか「認めて欲しい」といった表面的な願いの裏には、この「人のために使命を全うしたい」という想いがあるのかもしれませんね。
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました
明日は「神様から出される課題(クエスト)」について、これまた小林正観さんが書かれている理論をご紹介します。
引き寄せの法則は、感情や思考が現実化するということですが、では、不安や不満の種ばかり起こるこの世界は一体何なの?と思う人は私も含め、多いはずです。
表面上では、気分を良くしている、悪い言葉も言ってない(とは言わなくとも、それに近いくらい頑張っている)。にも関わらず、相変わらず不平不満のタネは尽きない。なぜなのか?
自分でコントロールできるところ、つまり顕在意識はわずか全体の1割にも満たず、ほぼ表に現れない部分である潜在意識が私たちの思考を支配しているのだそうです。
カバー画像のような氷山を例えに説明されることが多いかと思います。まさにコントロールできる顕在意識は氷山の一角に過ぎないということですね。
従って「私はこんなこと引き寄せてない」と言っても、自分でも気づいていない潜在意識が、半ば「勝手に」呼び寄せているということになります。
つまり、自分を取り巻く人間関係、職場、環境、ステータス、財政面も含めてですが、わずかな顕在意識と大半を占める潜在意識に最適化されているものということになります。
「思ったのと違う」のだとしたらそれは潜在意識が預かり知らぬ所で暴れ回っているか、まだまだ自身の行いや思考が理想の世界を呼び寄せるような水準に到達していない、ということです。
嫌な職場も自分が「嫌だ」と思っているからそこに自分がいるのであり、嫌な人が目の前にいるのは、自分が嫌な人だと思っているから、ということになります。
「こんな仕事はつまらない」
「うちは安月給でサー残させるブラック企業だ」
「上司も社長も従業員のことを少しも考えていない」
給料が低いというのなら、お金に対してネガティブな思いを持っている可能性もあります。
「お金持ちなんてどうせ悪いことしてるんでしょ」
「お金がないから不幸なんだ」
「給料なんて全く上がらないし、どうせほとんど税金で持っていかれる」
あるいは自己肯定感が低く、理想の世界を思い描いたとしても、そこにいる自分を全力否定しているかもしれません。
「そんな仕事自分が任されるわけないし、任されたところでできないしね」
「自分がそんなお金持ちになるなんて想像つかない」
「自分があんな大企業に入れるわけないじゃない」
そんなわけで、この世界は今の自分にとってちょうどいい、ということになっています。いいも悪いも
潜在意識がコントロールできないのなら、もう顕在意識に頼る他はありません。
とにかく時間をかけてでも、せめて顕在意識の方を変え「これが当たり前の状態」というところまで落とし込まないといけないでしょう。
文字通り洗脳です!
よく言われる方法として次のようなものがあります。
1. ノートに自分が嫌だ、怒りが湧いてくる、不安に思っていることなど、とにかくネガティブな思いや考えを可能な限り書き出してみる。
2. 他人から相談を受けたように見て、「そうか、そうかー」と話を聞いてみる。
3. 一通り落ち着いたら、どこから来ているんだろうとそれぞれの項目に対して原因を探ってみる。
いつどこで最初にそう思うようになったのだろう?
これってほんとに私の意見か?どこかで聞いたものじゃないの?
すると、親や先生から言われた、テレビでやってた、看板で見たりなどして、刷り込まれたものと思われるものがたくさんあることに気づきます。
あの時は常識だとか言われたけど、実際は確かにこれで成功してる人もいるけど、失敗している人もいるじゃないか。
それらを刷り込んできた人たちが、思い通りに生きて楽しそうにしていたか、成功して笑顔でいたかどうか思い出してみて下さい。答えはNOです。
こういったものは「単にこの人たちの意見だったか。単なる勘違いだったな」と消していけるかと思います。つまりたいていは偏見や思い込みに過ぎないとわかります。
自己否定に当たるものについては、前のエントリーに書いた通り不要ですので、自分の悪魔とガチンコディベート対決してやっつける。自分にとってもその自己否定してくる自分にとってもメリットは一切ありませんので、完全論破です。
そうこうしているうちに、潜在意識にも少しずつ変化が表れ、自身の波動も上がることによって、影響を受けた周りの波動も上がります。
結果、自分にとって「ちょうどいい世界」のグレードが上がっていくことでしょう。
尚、どうしても自分では癒せないものもあるようです。自分を成長させるための必要な課題である可能性もありますし、前世からのカルマやプログラム・シナリオ説、幼少期のトラウマなどもあるそうです。
その場合は、それぞれ専門家がいらっしゃるようなので、相談するのも必要かもしれませんね。
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございます
今日は真面目でしっかりした人ほど陥り易い、ある言葉のワナについて、です。
今朝、息子を自転車で保育園へ送って行こうとした時のことです。
その道は狭く、急な坂道になっていて、若干九十九折りにもなっている住宅街の舗装道路でした。もちろん、スクールゾーンです。
私は下からえっちらこっちら急坂を登っていたわけですが(電動自転車なので、そこまで辛くはない)、そこへ一台のカッコいいオートバイが、けたたましい爆音と共に上の方から結構なスピードで降りてきました。
片手はハンドルを握っていましたが、もう片方の手でタバコをプカプカとやっていたのです🚬
しかも若干の蛇行運転です。
近くには通学中の小中学生、散歩中のお年寄りもいました。一歩間違えれば大惨事です。
私も慌てて道の脇に避けたわけですが、普通に走っていたら接触していたかもしれません。
バイクが過ぎ去った後、しばらくして辺りには副流煙の臭いが立ちこめていました。
その場にいた人たちは、既に走り去ったバイクの方をにらんで「なんだあれ?」というような表情を浮かべ、不快そうにしています。
ここで瞬時に浮かんだ言葉は
「あんな大型のバイクをタバコふかしながら、片手で蛇行運転とか正気なのか!?ここはスクールゾーンだぞ。細心の注意払いながら徐行運転すべきでしょうが」
「ぶつかったらどうする気だったんだ。あんなのは運転する資格なんてないんだ!免許を剥奪すべき!」
なんてことでした。
この中に悪魔の言葉が潜んでいます。
「徐行運転すべき」「免許を剥奪すべき」
ここに私の中の正義感や倫理観が露骨に出てしまっています。これまで自分の中に蓄積された社会通念、常識、ルールに基づいてこの「〜すべき」「〜しなきゃいけない」と思いながら生きています。
今回は交通ルールに抵触してますから本当に悪いのですが、私たちはとかく他人の行動に対してこのように思ってしまいます。
これはここに置くべきだろう
ここは敬語を使うべき場面だろう!
これはこうしなくちゃいけないのに、なんでこんな風にやっちゃうんだ
これはこの手順でやるべきなのに何もわかってないな。
「〜すべき」、「〜しなくちゃいけない」を使うと途端に正義感溢れる完璧主義の悪魔が目覚めます。しまいには
「私はいつもこうしているのに、あの人はやらない」
「私はルール守っているのに、何であの人は守らなくて平気なの?不公平だ」
などとよからぬ方向へ行きます。怒りや恨みつらみへと発展する可能性があります。
また、この感情が自分に向けられることもあります。
この「〜すべき」「〜しなくちゃいけない」はあくまでも自分自身のルールに過ぎません。
いやいや、「ルールでしょ」と思うかもしれません。
ところが、人の価値観や正義感は同一ではなく、ルールだろうが常識だろうが社会通念だろうが、まして法律で規定されていようが、「え!?何が悪いの?」と思う人もいるわけです。
それは単にその人がそういったルールを「知らない」というだけかもしれません。
実際、我が息子(2歳)は、そのバイクを見て
「おおおーーー!バイクぅバイクぅ、かっくいーー!!」
と大きな声で叫んでました
知らないとはそういうことです。
さて、湧いてきた怒りをどうするか。
昨夜、その次男がおねしょで騒いだので寝不足、そして朝から布団の処理、と機嫌が悪…もとい気分が優れなかったので、これ以上の怒りはごめんこうむりたかったわけです。
ここで、前回のエントリーでもご紹介した「他人の振り見て我が振り直せ」です。
自分の怒りは怒りとして認めつつ、それでも相手をその怒りの矛先にするのではなく、反面教師とします。
「ああいうのは恥ずかしいな。自分はああいうことはしないようにしよう」
と改めて気づかせてくれた、と感謝をするようにすると、怒りのエネルギーをポジティブに変換することができます。
ということで、私はそのバイクの方にこう感謝することに致しました。
「本日のブログのネタを提供下さり、誠に、誠にありがとうございます」
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました
しかし、こう思ってませんか?
「よし、買った買った。配送されてくるのが、楽しみだな」
このとき、「ほんとに手元に届くのかな」とか「どこの倉庫からどこの営業所を通してどの配送業者がどんな道を使って家まで運んでくるのかな」などと考えているでしょうか。
多くの人は購入ボタンを押した時点で既に買った商品は「自分のもの」と思っているはずです。現実には手元にないのにも関わらずです。
何故ならば、購入した商品が、確実に手元に配送されることを確信しているからです。
万が一、いつになっても届かない、勝手にキャンセルされた、何か別の商品にされたりしたらどうするでしょうか?
ネットショップにこう全力クレームするはずです。
「〇〇が届かないんですけど!」
「〇〇を注文したのにXXが届いたんですが!」
「〇〇が勝手にキャンセルされてますがどういうことですか!?」
「当然手元にあるべきはず」のものが「ない」ので、激おこ状態です。
それぐらい当然のことと思っています。
このように、私たちがネットショップに発注する場合、購入ボタンを押した瞬間に手元になかったものを、店から「取り寄せている」わけです。「具現化」といっても差し支えないでしょう。
これを宇宙に対してやるのが、引き寄せです。
私たちはとかくプロセスを気にしますが、ネットで買い物をするが如く、
1. 商品(願いごと)をカートに入れる
2. 宇宙ショップで「購入ボタン」を押す
3. 注文が完了したら、到着まで待つ
これをシンプルにやればいいだけだということがわかります。
途中で
「やっぱ、あれってこういうお願いに変えた方がいいかな?」
「〇〇って言ったけど、ハードル高いからXXにグレードを下げておこう」
などとやると、これはつまりキャンセルです。
お店側(宇宙)もえ!?準備してたのに!となります。
いかがでしょうか。いつものAmazonや楽天を宇宙に読み替えるだけ。
こう考えると何となく、
「もう既に所有していると実感する」
「手放す」
「プロセスを気にしないで待つ」
のイメージがつくような気がしませんか?
私も含め、この辺りで悩んでいる方には、この考えはひとつのヒントになりそうです。
※ちなみに、商品の代金について気になるならば、あえて言うなら「感謝」の総量に相当するそうです。
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました