月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

錦秋稲荷

2016-12-07 05:00:00 | 祈願(神社仏閣)
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錦秋稲荷

東京ドームに、広島東洋カープ戦を観戦に行ったときのこと。
東京ドームシティーの敷地内で、遊園地と東京ドームの間の一角にある小さな森の中で、ポツンと建っていた錦秋稲荷神社を見つけた。

水道橋駅から東京ドームに向かって、普通に歩いていたのでは気が付かない。

なんとなく遊園地を見ていたら、なにか赤いものが見えたので、
気になって近づいてみたら神社だった。

地図には載っていない・・・錦秋稲荷?
何て読むのだろう?「きんしゅう」でいいのかな?

説明文を読んでみると、昭和54年(1979)に建立されたとある。

豊臣秀吉はお稲荷様信仰を奨励し、各地にお稲荷様が建立されたが、徳川家康の時代になると、まるで秀吉に対抗するように、お稲荷様は顧みられなくなったという。

ところが疫病が流行り、困り果てた庶民は、お稲荷様信仰を復活させ救いを求めた。

すると、徳川第三代将軍の家光がお稲荷様信仰を奨励し、小石川の水戸藩邸内に寄進したお稲荷様が、錦秋稲荷神社だったという。

現在の東京ドームシティ、後楽園といえば水戸藩邸だ。

明治になって、水戸藩邸は砲兵工廠となり、砲兵工廠が小倉に移ったあとは、裁判所となったその敷地内に、ずっと錦秋稲荷は祀られていたという。

終戦後は柔道の聖地、講道館あたりにあったのだが、新たな都市計画による道路建設にあたり、計画の延長線上に錦秋稲荷が含まれていた。

そこで当時の後楽園スタジアムが敷地を提供し、現在の位置に錦秋稲荷が移設されたのだという。

豊臣と徳川の権力争いに巻き込まれながらも復活を果たし、明治、大正、昭和と時代が変遷し、太平洋戦争の戦禍に巻き込まれながらも、
地域の人々が守ってきた神社。

東京ドームに野球観戦に行かれた際には、ぜひ参拝してみてください。


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