フォトアルバムも見てね(ch133155)
戦記、戦史物が好きな自分でしたが、いろいろな先入観が邪魔をしていたのか、東京に20年以上も住んでいるのに、今まで靖国神社を目的に足を運んだことがありませんでした。
病休(自宅療養)ということで時間もあり、体力の回復の観点からウォーキングも大切な要素なので思いきって、靖国神社をじっくりと訪れてみました。
せっかくなので、ご朱印をいただこうと並んでいると、なにやら少々興奮気味にお祓いをご希望されている方がおり、巫女さんから「血縁者になどに戦死者がおられますか?」と聞かれていました。
そうか。70年前。
1941(昭和16)年12月8日(日本時間午前3時19分)、現地ハワイ現地時間12月7日(午前7時59分)ハワイ真珠湾に到達した、第一波攻撃隊総指揮官の淵田美津雄海軍中佐からのト連送「全軍突撃」命令により、ついに日米は開戦。
今年は、その70年目だったのか。
靖国神社では、戊辰戦争から国家防衛のために亡くなられた246万6千余りの方々を祀っているそうです。なんとなく、妙な縁を感じながら遊就館も見学してみると、映画あり、航空機も零戦、桜花(特攻兵器)あり、特攻隊員の遺影、映画の公開に合わせたのか山本五十六の遺品なども展示されており、半日あっても時間が足りませんでした。
遊就館は入館するとすぐに零戦が展示してあり、明治における日露戦争くらいまではウキウキでしたが、昭和の戦争になってくると段々気持ちが沈んできます。
陸海軍合わせて5000人以上も犠牲になっている特攻隊員の遺影や、戦地から収集された武器を含む遺品などは、胸が押しつぶされそうで耐えられませんでした。
第二次世界大戦での犠牲は民間人も含め300万人を超え、驚くべきことに200余りが終戦までの約1年間に亡くなったと聞きます。
そして太平洋戦争の最後の年、昭和20(1945)年3月10日は東京大空襲の日、約1665t、30万発もの焼夷弾が投下され、一夜にして死亡・行方不明 約10万人(羅災者100万人)が被災し、その後終戦まで東京を含め全国的に都市空襲と、広島、長崎の原爆に到り、実に多くの民間人が犠牲になりました。
平成23(2011)年3月11日は東日本大震災で死亡・行方不明者は約2万人。
東北から関東の広範囲にわたる太平洋沿岸が津波により甚大な被害を受けました。
思えば、石巻では津波による壊滅的な被害状況を、空襲になぞらえていた方もおられました。
戦後17年も経ってから生まれた自分には測り知れませんが、日本は終戦後の様々な悲しみ、
苦しみ、混乱から見事に立ち直りました。
東日本大震災も見事に復活すると信じ、拝殿に参拝いたしました。
12月8日というともう一つ、自分の大好きなジョン レノンが射殺されたのも12月8日(1980年)でした。何やら個人的には妙な縁を感じました。ジョン レノンについてはまた別の機会に。
平和を我らに
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