写真 浅野内匠頭の墓(泉岳寺)
毎年12月になると、必ずTVや映画で取り上げられる「忠臣蔵」は、「蔵一杯の忠臣」とか「内蔵助を中心とする忠義」などの諸説があるそうです。
史実では、浅野内匠頭の松の廊下刃傷事件と赤穂浪士による吉良邸討入りを合わせて「元禄赤穂事件」というそうな。知っているようで詳しくはない忠臣蔵を、ちょぴっと解説します。
<松の廊下刃傷事件とは>
元禄14年(1701)3月14日、幕府より勅使饗応役を命ぜられた播州赤穂藩主 浅野内匠頭長矩が、儀式・典礼の職である高家筆頭の吉良上野介義央への遺恨から、よりにもよって江戸城内白書院において第5代将軍 綱吉と勅使・院使が対面する重要な儀式の直前、午前11時ごろに発生した。
重要なイベントの直前の慌ただしい中、白書院で老中などとの打合せを終えて大広間に向かう上野介と、大広間から白書院に向かう内匠頭が松之大廊下(通称 松の廊下)で出くわし、なにやら二言三言立ち話を交わした。
話が終わり、上野介は大広間方面へ歩き始める。
すると今度は、上野介を探していた梶川与惣兵衛に声をかけられ立ち止まった。
そのとき!上野介の背後から小サ刀を抜いた内匠頭が、「この間の遺恨覚えたるか!」と、いきなり肩先に斬りつけた。
悲鳴を上げて振り返った上野介の額をめがけ、内匠頭は続けざまに小サ刀を振り下ろし上野介の眉間を割った。
さらに内匠頭は、その場に腰を落とした上野介に切りつけようと執拗に迫るが、梶川与惣兵衛が有名な台詞「殿中でござる!殿中でござる!」と叫びながら内匠頭に飛びかかり羽交い絞めにすると、茶坊主やら高家の人々やら接待役やら、近くにいた大勢の人々に取り押さえられ、小サ刀は取り上げられた。
尊王の心が厚く、幕府の年中行事で最も格式が高いとされる重要な儀式を穢したことに激怒した綱吉は、即日切腹とお家取り潰しを命じた。
一方、上野介は刀傷を負ったものの致命傷には至らず、また抜刀せず神妙であったということでお構いなしであった。
側用人柳沢吉保に命じ、内匠頭の刃傷事件の取り調べさせたとも言われるが、詳細は不明。
同日午後4時ころ、内匠頭は芝愛宕の陸奥一関藩主 田村建顕の屋敷に身柄を移される。
午後6時ころ、田村邸に到着した幕府検使役 庄田安利、多門重共、大久保忠鎮により内匠頭に切腹と改易を申し渡たされ、直ちに刑が執行された。
内匠頭は庭先に用意された刑場に引き出され、検使役の立会いの下、磯田武大夫の介錯で切腹。浅野内匠頭長矩 35歳の生涯でありました。
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勅使饗応役(勅使御馳走人)は、勅使・院使が伝奏屋敷に到着した日から、接待が始まるので気が休まることがない。
1日目:3月11日
勅使・院使一行が到着し、江戸城内伝奏屋敷にて老中、高家などと拝謁。
同時に勅使御馳走人も紹介され接待を受ける。
2日目:3月12日
勅使・院使が江戸城に登城し、白書院において聖旨・院旨を将軍綱吉に下賜する儀式が執り行われる。
3日目:3月13日
勅使・院使を将軍主催の能の催しに招く。
4日目:3月14日(元禄14年 1701年)
白書院において将軍が先に下された聖旨・院旨に対して奉答するという儀式(勅答の儀)がおこなわれる。
幕府の年中行事の中でも最も格式高いと位置づけられている儀式の直前に、内匠頭は刃傷事件を起こしてしまった。
幕府側は勅使・院使に平謝りに謝り、勅答の儀は黒書院に場所を替えて滞りなく終了した。
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<なんで?どうして?内匠頭は上野介に斬りかかったのか?>
殿中で刀を抜けば、切腹、城・領地没収(改易)が当たり前だった時代。
改易ともなれば、家臣及びその一族郎党は路頭に迷うことになることが、内匠頭にも分かっていたはずなのに、それにも関わらず内匠頭はなぜ刃傷におよんだのか。
1.賄賂不足説
指南役の上野介は、賄賂(まいない)の少なかった内匠頭に執拗に辛くあたり、上野介からの心ない一言で内匠頭の怒りが爆発し刃傷沙汰に至ったとされる説。
多くの物語、テレビ、映画などは上野介を高額な賄賂を要求する悪役に仕立て上げるていますが、当時、吉良流礼法は最も権威ある流儀とされ、尾張徳川家、安芸広島の浅野宗家など数多くの大名家が自家の礼法として吉良流を取り入れていました。
大名と比べ収入の少ない旗本の吉良上野介(4200石)は、高家として幕府の命により上洛し、朝廷との交渉事にあたること生涯に24度にもおよび、その費用は全て自腹でした。
そこで、吉良は大きな収入源の一つとして、饗応役・御馳走人に作法、作業手順、礼法を教授する際の授業料として高額な賄賂(まいない)を求めたといわれますが、賄賂(まいない)を贈るのは当時の一般的な慣習でもありました。
2.製塩法秘密保持説
上野介は、三河国幡豆郡吉良庄、上野国緑野郡白石村と碓氷郡人見村に領地があり、三河の吉良庄では塩田を持っていたので、赤穂藩(5万石)の主要産業の一つである赤穂塩の製法を内匠頭に尋ねるが、現在でいう企業秘密として教えてもらえなかった。
そこで、上野介は饗応指南役のときに内匠頭に辛くあたったために遺恨となったとされる説。
しかし、吉良庄付近にある塩田は、旗本大内家の所領であったことが判明しています。
3.吉良邸炎上恨み説
元禄3年12月内匠頭は幕府より火消し大名に任命され、しばしば活躍したことが知られています。
上野介の屋敷は代々鍛冶橋(現JR有楽町付近)にあったが、元禄11年9月6日数寄屋橋付近より出火した火事は、大火となり大名屋敷を含む2万戸を焼いたといわれ、上野介の屋敷も焼失してしまいました。
実はこのとき、大名火消の指揮を執っていたのは内匠頭であったが、吉良邸を守れなかったことで吉良の恨みを買い、内匠頭に執拗に辛くあたるようになったという説。
当時の火消しは消火というよりも、火事の拡大を防ぐために片っ端から屋敷、家々を引き倒して防火に努めるというもので、内匠頭がいくら頑張っても風向きなどによって、吉良邸は焼けてしまっただろう。。。と思います。
4.饗応役費用出し渋り説
勅使饗応役は外様大名が任命され、饗応にかかる費用は任命された大名家が負担しなければなりません。
通常1200両(約1億2千万円)かかる勅使饗応役の費用を、内匠頭は700両(約7000万円)しか出さなかったので、上野介と内匠頭は不仲になったという説。
赤穂浪士の俳句の師匠が、複数の浪士から聞いているので、原因の一つとして信憑性が高いのかもしれません。
内匠頭が15歳の年、天和2年(1682)3月に幕府より朝鮮通信使饗応役の1人に選ばれ、同年8月通信使らを伊豆三島にて饗応した経験と、翌年の天和3年2月6日(1683)年3月には、霊元天皇の勅使の饗応をした経験があり、大よその費用を理解しているつもりでいたが、あれから19年が経過した元禄期の物価高騰まで、計算に入れることができなかったかもしれません。
ちなみに、天和3年の勅使饗応役での礼法指南役は、吉良上野介でした。
5.上野介(礼法指南役)不要説
前述のとおり、19年前と言えども内匠頭は饗応役を経験済みでした。
元禄14年(1701)2月4日に2度目の勅使饗応役に任じられたとき、礼法指南役の上野介は高家のお役目で上京しており、江戸に戻ったのは25日後の2月29日でした。
その間内匠頭は、特に高家の指南を必要としないまま、一人で饗応の準備をしていたようです。
そのため、賄賂(まいない)の額やお互いの意識に不和が生まれたという説
6.内匠頭の持病・性格・血筋説
内匠頭には時々胸がつかえたように苦しくなるという「つかえ」という持病があり、他にも時々偏頭痛にも悩ませられていたようです。
現代人でも過度のストレスを感じると、喉に何か詰まるような不快な感覚を覚え、うまく話ができなかったり、食事が喉を通りにくくなるなどといった症状を訴える人が多いそうです。
性格は「短気で癇癪持ち」わずか9歳で相次いで両親を亡くし家督を継いだので、家臣からは蝶よ花よと大切に育てられたことは想像に難くありません。
また、15歳で軍学者 山鹿素行に弟子入りし、無骨で真面目に励む一方、「頭を下げることを知らず、いたわりの心がない。」などともいわれていたようです。
血筋では母方の叔父内藤忠勝が、驚くべきことに延宝8年(1680)6月26日 増上寺において、第四代将軍 徳川家綱葬儀中に刃傷事件を起こし切腹・改易されています。
いずれにしても、上野介からの厳い指導と勅使饗応役の重圧が複合して強烈なストレスとなり感情が暴発。発作的に刃傷におよんだのでは?とする説。
7.内匠頭の逆切れ説
元禄14年(1701)ごろ、高家は吉良を含め9人いたが高家肝煎は吉良、畠山、大友の3人のみ。
また、上野介は一番高い位の従四位上左少将であり、上野介はその中でも最古参であったために高家筆頭と呼ばれた。
イジメに関しては明確な資料もなく、後世の作り話が多いと思われますが、指南役としては厳しかったのは事実ようだ。
天皇の勅使饗応において礼法の指南にあたるということは、幕府の威信、面目に関わる。
また、饗応役の不手際は指南役の不手際でもあるので、必然的に内匠頭への指導も厳しくなるのは当然であり、上野介に落ち度はない。
しかし、厳しい指南役からの重圧やストレスに耐えられなくなり、発作的に上野介に切りかかったとする内匠頭の逆切れ説。
☆さて、あなたはなにが原因と思いますか?
【赤穂事件(3)】刃傷事件の現場 松の廊下はどこだ? 2011-12-21 につづく~
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