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午前八字三十五分発の始発列車
JR品川駅の高輪口のロータリーにある目立たない石碑は、明治5年(1872)5月7日に品川-横浜(現桜木町)を、1日2往復で仮開業したときの時刻表を刻んだものだ。
その石碑によると、
「鉄道列車出発時刻表 及 賃金表」は上下2往復で
上りは、午前”八字三十五分”と午後”四字三十五分”の2本
下りは午前”九字三十五分”と”午後”五字三十五分”の2本
運賃は片道、上等が1円50銭、中等が1円、下等が50銭だった。
明治時代の1円を換算すると、物価の上昇などで計算が難しいが、明治16年あたりでの中級クラスの年収はおよそ120円。
現代の年収平均がおよそ500万円であることを考慮すると、1円はおよそ40,000円ほどにもなるだろうか。
ベテランの技術者の明治30年ごろ月給は20円程度という話もあり、それだと年収は240円。これが中級クラスとして換算すると、1円はおよそ2万円になる。
いずれも、仮開業時の運賃は恐ろしく高かく、開業時の全区間の運賃は上等が1円12銭5厘、中等が75銭、下等が37銭5厘に値下げされたが、それでも高額であることにかわりはない。
ちなみに、明治5年9月12日(新暦1872年10月14日)の正式開業時は、新橋-横浜間を53分で結び、
平均速度32.8km/hで1日9往復したのでありました。
それにしても、「時刻表」と書いておきながら、”八字”と表現しているとは、おもしろい。
関連記事:旧新橋停車場(1)「0哩(マイル)標識」
関連記事:旧新橋停車場(2)「駅舎」
関連記事:旧新橋停車場(3)「プラットホーム」
関連記事:汐留の転車台跡 2014-09-15
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下りは午前”九字三十五分”と”午後”五字三十五分”の2本
運賃は片道、上等が1円50銭、中等が1円、下等が50銭だった。
明治時代の1円を換算すると、物価の上昇などで計算が難しいが、明治16年あたりでの中級クラスの年収はおよそ120円。
現代の年収平均がおよそ500万円であることを考慮すると、1円はおよそ40,000円ほどにもなるだろうか。
ベテランの技術者の明治30年ごろ月給は20円程度という話もあり、それだと年収は240円。これが中級クラスとして換算すると、1円はおよそ2万円になる。
いずれも、仮開業時の運賃は恐ろしく高かく、開業時の全区間の運賃は上等が1円12銭5厘、中等が75銭、下等が37銭5厘に値下げされたが、それでも高額であることにかわりはない。
ちなみに、明治5年9月12日(新暦1872年10月14日)の正式開業時は、新橋-横浜間を53分で結び、
平均速度32.8km/hで1日9往復したのでありました。
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