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零式艦上戦闘機(37) 山本長官機撃墜(2)
昭和18年(1943)4月18日 ブーゲンビル方面に視察中の長官機を、アメリカ軍のP‐38 16機が襲撃した!
待ち伏せをしていたP‐38は、山本長官機の編隊を発見すると直ちに増槽落とし、高空の12機は直ちに急降下に入り、襲撃機の4機は低空から全力で突き上げるように、護衛の零戦には目もくれず一式陸攻を襲う。
卓越した空戦性能を有する零戦隊の6機は、16機の敵に挑みかかる。
そもそも、P‐38は1対1での空戦では零戦に到底かなわないのだが、2機一組で行動しているために、やっと零戦1機が食らいついても、多勢に無勢、零戦がP‐38の後ろを取ったと思えばパッと逃げ散り、その間に別のチームが長官機に食らいつくので、なかなか追い払うことができない。
長官機は、反復攻撃を受け続けながらも盛んに応戦しつつ、ジャングルすれすれの低空で約50km先のブインに向かって逃げる。
P‐38の襲撃が始まって約10分後、零戦に追い回されヘトヘトになっていた襲撃1番隊の1番機、ランフィア大尉の前方を偶然にも長官機が横切った。
このワンチャンスをものにするために、ランフィア大尉は覚悟を決めた。
後方を恐れている場合ではない!追尾してくる零戦に目もくれずに全力で長官機に接近し、なかばヤケクソで20mm機銃と12.7mm機銃の弾丸を右翼の付け根に叩き込んだ。
その銃弾は、刀を立て柄に両手をかけて座っていた山本長官の後頭部と背中を貫き、同時に被弾したエンジンと燃料タンクから火災が発生させた。
山本五十六長官 即死。
長官機は火炎に包まれながらも、ジャングルに不時着するように緩降下していったが、搭乗していた山本長官、高田軍医長、航空甲参謀の樋端久利雄、副官の福崎昇の4人と、その他の搭乗員7名の全員が死亡した。
長官機が撃墜されると、一式陸攻2番機が全てのP‐38のターゲットになった。
2番機には、参謀の宇垣纏、北村主計長、友野気象庁、通信参謀の今中薫、高空乙参謀の室井捨治の5人と、その他搭乗員8人が乗り込んでいた。
一式陸攻2番機は、宇垣参謀の命令で長官機を追っていたが、長官機の墜落を確認するとジャングルの上空にいては危険と、海上に向かって退避。
プロペラが海面をたたくかと思うほどの低空で海上にでたところを、P‐38の反復攻撃を受けてバランスを崩して、左翼から海中に突っ込んだ。
左翼のエンジンが吹き飛ぶほどの衝撃であったにもかかわらず、宇垣参謀、北村主計長、パイロットの林浩二等飛行兵曹の3人が救出されたが、その他の搭乗員は全て死亡した。
山本五十六 明治17年(1884)4月4日生まれ、満59歳になったばかりだった。
零式艦上戦闘機(38) 長官機護衛の6機 2014-04-26 につづく~
前の記事 零式艦上戦闘機(36) 山本長官機撃墜 2014-04-12
<関連>零式艦上戦闘機(51) 零戦の好敵手P-38ライトニング 2014-07-26
<関連記事>
零式艦上戦闘機リンク集 2013-09-14
零式艦上戦闘機のお話や、「所沢航空公園」、「零戦来日」の記事はリンク集を見てね♪
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卓越した空戦性能を有する零戦隊の6機は、16機の敵に挑みかかる。
そもそも、P‐38は1対1での空戦では零戦に到底かなわないのだが、2機一組で行動しているために、やっと零戦1機が食らいついても、多勢に無勢、零戦がP‐38の後ろを取ったと思えばパッと逃げ散り、その間に別のチームが長官機に食らいつくので、なかなか追い払うことができない。
長官機は、反復攻撃を受け続けながらも盛んに応戦しつつ、ジャングルすれすれの低空で約50km先のブインに向かって逃げる。
P‐38の襲撃が始まって約10分後、零戦に追い回されヘトヘトになっていた襲撃1番隊の1番機、ランフィア大尉の前方を偶然にも長官機が横切った。
このワンチャンスをものにするために、ランフィア大尉は覚悟を決めた。
後方を恐れている場合ではない!追尾してくる零戦に目もくれずに全力で長官機に接近し、なかばヤケクソで20mm機銃と12.7mm機銃の弾丸を右翼の付け根に叩き込んだ。
その銃弾は、刀を立て柄に両手をかけて座っていた山本長官の後頭部と背中を貫き、同時に被弾したエンジンと燃料タンクから火災が発生させた。
山本五十六長官 即死。
長官機は火炎に包まれながらも、ジャングルに不時着するように緩降下していったが、搭乗していた山本長官、高田軍医長、航空甲参謀の樋端久利雄、副官の福崎昇の4人と、その他の搭乗員7名の全員が死亡した。
長官機が撃墜されると、一式陸攻2番機が全てのP‐38のターゲットになった。
2番機には、参謀の宇垣纏、北村主計長、友野気象庁、通信参謀の今中薫、高空乙参謀の室井捨治の5人と、その他搭乗員8人が乗り込んでいた。
一式陸攻2番機は、宇垣参謀の命令で長官機を追っていたが、長官機の墜落を確認するとジャングルの上空にいては危険と、海上に向かって退避。
プロペラが海面をたたくかと思うほどの低空で海上にでたところを、P‐38の反復攻撃を受けてバランスを崩して、左翼から海中に突っ込んだ。
左翼のエンジンが吹き飛ぶほどの衝撃であったにもかかわらず、宇垣参謀、北村主計長、パイロットの林浩二等飛行兵曹の3人が救出されたが、その他の搭乗員は全て死亡した。
山本五十六 明治17年(1884)4月4日生まれ、満59歳になったばかりだった。
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