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零式艦上戦闘機(87) 零戦五二型 岩本徹三機
岩本徹三のライフジャケットの背中には、『天下の浪人 山本虎鉄』と大書されていたという。
敵機を5機陥とせばエースと呼ばれるのだが、岩本は終戦までに202機を撃墜。
愛機には撃墜した数を桜の花で表していたという。
その戦果は初陣から凄まじい。
昭和13年(1938)2月25日 第一三航空隊の戦闘機隊14機は、南昌飛行場を攻撃する陸攻を援護するため、南京大校飛行場を発進。
岩本は96式艦上戦闘機を駆って、いきなりI-15戦闘機など4機撃墜。不確実1機の大戦果を挙げた。
中国戦線での半年余りで敵機14機を撃墜したことが公認され、昭和15年4月には下士官としては異例の金鵄勲章が授与された。
押しも押されぬ海軍航空隊のトップエースになったのだ。
昭和16年(1941)12月8日 真珠湾攻撃では、空母瑞鶴に乗り組んだものの空母の直営勤務に甘んじたが、その後の南雲機動部隊のセイロン島コロンボ攻撃で初めて連合軍機を撃墜。
およそ20機のハリケーン編隊に、わずか零戦4機編隊で上空より殴り込みをかけ11機も撃墜した。
昭和17年(1942)5月7日と8日に生起した史上初の空母決戦、珊瑚海海戦では空母瑞鶴の直営任務だ。
二波にわたって敵爆撃機、雷撃機、戦闘機が襲いかかる。
軽空母祥鳳撃沈、翔鶴大破という損害を被るが、岩本は瑞鶴の直掩として、すべてを撃退して護りぬいた。
撃墜確実48機、不確実24機。
ラバウルに着任したのは、昭和18年(1943)11月。
すでに旧式になった零戦二一型を駆って進出した16機のうち、唯一の実践経験者だ。
すでに、坂井三郎は負傷して後送され、ラバウルのリヒトホーヘンこと笹井醇一中尉(死後少佐)は戦死、ラバウルの魔王と異名をとる西澤廣義とは、ちょうど入れ違いだった。
ラバウルでは連合軍に押し込まれ、稼働機は30機ほどにまで減少するが、毎回100機を超える編隊で飛来するアメリカ軍は、その都度、岩本等の手痛い反撃に遭い『日本軍には、まだまだ1000機もの零戦がある』と信じていた。
また、岩本徹三は三号爆弾投弾の名手でもあった。
高度5000~7000mの高空から、敵爆撃機の編隊に急降下しながら爆弾を投下し、一撃で数機を撃退する戦果を挙げた。
小型機を撃墜すると一重の桜のマークを、大型機は八重桜のマークを乗機に描いた。
昭和19年2月20日にラバウルを撤退するまでに、少なくとも3機の二一型を乗り継ぎ、いづれの機体にも60個以上のマークが描かれ、岩本の乗機は桜色に染まったていたいう。
ラバウル撤退後は、トラック島、フィリピン、本土と転戦。
特攻隊の募集では、『1回の命令で死んでたまるか』と志願を拒否。
昭和19年12月に特務少尉に任官すると、若い特攻隊員を育て、その部隊を直掩し戦果を見届けるという辛い役目にも耐えた。
五二型は、そのころに乗機となったようだ。
昭和20年に入っても特攻は止まず、そのつど直掩隊として戦果を見届けたが、4月にはB-29(スーパーフォートレス)に体当たりを仕掛けたような形で、翼を折りながら1機を撃墜した。
岩本徹三少尉(最終的な階級は中尉)
撃墜数202機、共同撃墜、不確実、撃破、地上炎上を合わせると254機を撃墜撃破。
昭和30年(1955)5月20日 39歳を目前にして死去。
飛行機の乗るために生まれてきたような男と称された岩本徹三。
『元気になったら、また飛行機に乗りたい』と語っていたと伝わるのであります。
零式艦上戦闘機(88) 九九式三番三号爆弾 2015-04-18 につづく~
前の記事 零式艦上戦闘機(86) ワニを食った九九艦爆搭乗員 2015-04-04
<ほぼ一年前の記事>
零式艦上戦闘機(36) 山本長官機撃墜 2014-04-12
<関連記事>
零式艦上戦闘機リンク集 2013-09-14
零式艦上戦闘機のお話や、「所沢航空公園」、「零戦来日」の記事はリンク集を見てね♪
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国立東京博物館リンク集 2013-11-01・・・・・京都どすえ~!リンク集
早春の箱根総集編 2014-06-25
零式艦上戦闘機(87) 零戦五二型 岩本徹三機
岩本徹三のライフジャケットの背中には、『天下の浪人 山本虎鉄』と大書されていたという。
敵機を5機陥とせばエースと呼ばれるのだが、岩本は終戦までに202機を撃墜。
愛機には撃墜した数を桜の花で表していたという。
その戦果は初陣から凄まじい。
昭和13年(1938)2月25日 第一三航空隊の戦闘機隊14機は、南昌飛行場を攻撃する陸攻を援護するため、南京大校飛行場を発進。
岩本は96式艦上戦闘機を駆って、いきなりI-15戦闘機など4機撃墜。不確実1機の大戦果を挙げた。
中国戦線での半年余りで敵機14機を撃墜したことが公認され、昭和15年4月には下士官としては異例の金鵄勲章が授与された。
押しも押されぬ海軍航空隊のトップエースになったのだ。
昭和16年(1941)12月8日 真珠湾攻撃では、空母瑞鶴に乗り組んだものの空母の直営勤務に甘んじたが、その後の南雲機動部隊のセイロン島コロンボ攻撃で初めて連合軍機を撃墜。
およそ20機のハリケーン編隊に、わずか零戦4機編隊で上空より殴り込みをかけ11機も撃墜した。
昭和17年(1942)5月7日と8日に生起した史上初の空母決戦、珊瑚海海戦では空母瑞鶴の直営任務だ。
二波にわたって敵爆撃機、雷撃機、戦闘機が襲いかかる。
軽空母祥鳳撃沈、翔鶴大破という損害を被るが、岩本は瑞鶴の直掩として、すべてを撃退して護りぬいた。
撃墜確実48機、不確実24機。
ラバウルに着任したのは、昭和18年(1943)11月。
すでに旧式になった零戦二一型を駆って進出した16機のうち、唯一の実践経験者だ。
すでに、坂井三郎は負傷して後送され、ラバウルのリヒトホーヘンこと笹井醇一中尉(死後少佐)は戦死、ラバウルの魔王と異名をとる西澤廣義とは、ちょうど入れ違いだった。
ラバウルでは連合軍に押し込まれ、稼働機は30機ほどにまで減少するが、毎回100機を超える編隊で飛来するアメリカ軍は、その都度、岩本等の手痛い反撃に遭い『日本軍には、まだまだ1000機もの零戦がある』と信じていた。
また、岩本徹三は三号爆弾投弾の名手でもあった。
高度5000~7000mの高空から、敵爆撃機の編隊に急降下しながら爆弾を投下し、一撃で数機を撃退する戦果を挙げた。
小型機を撃墜すると一重の桜のマークを、大型機は八重桜のマークを乗機に描いた。
昭和19年2月20日にラバウルを撤退するまでに、少なくとも3機の二一型を乗り継ぎ、いづれの機体にも60個以上のマークが描かれ、岩本の乗機は桜色に染まったていたいう。
ラバウル撤退後は、トラック島、フィリピン、本土と転戦。
特攻隊の募集では、『1回の命令で死んでたまるか』と志願を拒否。
昭和19年12月に特務少尉に任官すると、若い特攻隊員を育て、その部隊を直掩し戦果を見届けるという辛い役目にも耐えた。
五二型は、そのころに乗機となったようだ。
昭和20年に入っても特攻は止まず、そのつど直掩隊として戦果を見届けたが、4月にはB-29(スーパーフォートレス)に体当たりを仕掛けたような形で、翼を折りながら1機を撃墜した。
岩本徹三少尉(最終的な階級は中尉)
撃墜数202機、共同撃墜、不確実、撃破、地上炎上を合わせると254機を撃墜撃破。
昭和30年(1955)5月20日 39歳を目前にして死去。
飛行機の乗るために生まれてきたような男と称された岩本徹三。
『元気になったら、また飛行機に乗りたい』と語っていたと伝わるのであります。
零式艦上戦闘機(88) 九九式三番三号爆弾 2015-04-18 につづく~
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