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映画「君の名は。」メガヒットの秘密・新海監督

2016-12-23 18:52:14 | 日記



竹内 「君の名は。」は、小野小町の有名な「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」という和歌から着想を得たと伺っています。《中略》
新海誠守護霊 いずれにしても、全部、臨戦態勢になっておりますね(全国各地の天変地異などで)。このときに、それに対する「何かできないか」って気持ちは、みんな持ってるわけですね。竹内 はい。
新海誠守護霊 これを、何て言うか、「魂の入れ替え」、あるいは、「タイムトリップ」を組み合わせて、ドラマ仕立てにしたらどうなるかっていう。それに愛する恋心みたいなのを絡めたら、もっともっとドラマティックになっていくじゃない?「好きな人を救いたい」っていうような気持ちと一緒にしたら。《中略》
新海誠守護霊 なんで共感されるのかは知らないけど、「入り口」はたぶん、絵なんかにこだわって、それが「きれいに見える部分」、「日本画に惹かれるような感じの惹かれ方」から入ってきて。 次は、「和歌で詠めるような景色」ですかね。桜が散っているところ、雪がひらひら降っているところ、雨が一日降り続いているような。これを、例えば、平安時代の人とか、あるいはもっと昔の人たちだったら、することもないので、その天候のままに、想ってる人のことを歌に詠うぐらいしかない。 だから、三十一文字の和歌一つを、一日がけで書くような感じ? それを、お手紙にして出すぐらいのことでしょう。それで、一日がたぶん終わってると思うんですよね。 だから、仕事自体、忙しいこともずいぶんしたけども、なんか、「天候に左右されて何もできないで、物思いにふけってぼんやりしてるみたいな世界も悪くないじゃないか」みたいな、そういう気持ちが自分にはちょっとあるので。まあ、そういうのを、ちょっと託しているところかな。 だから、私のを観ることで、なんか、「タイムワープ」してですね、「タイムスリップ」して、千年前とか、あるいは千五百年前ぐらいに還ってる人が、たくさんいるんじゃないですかね。本人じゃなくて、本人の過去世の体験みたいなものが本当に何か甦ってるんじゃないかしらね。《中略》

新海誠守護霊 あなたがたの作品で、例えば、「神秘の法」みたいな作品は、「国際政治」から「宇宙」、「宇宙人」まで絡めて、「現代の日本の危機」も照らしつつ、さらに、「霊界世界の神秘」まで教えてくるような作品じゃないですか。枠がすごく大きくて、スケールが巨大ですよね。ああいう作品っていうか、マクロがすごく強い作品っていうのは、そう簡単に描けないんです。あれは、文学趣味だけではちょっと描けるものではないので。 私が「短歌の世界」から作品を紡ぎ出してるとしたら、あなたがたは、地球規模のいろいろなものを凝縮しながら、「神の目」で物事をつくろうとしておられるので。これはこれで立派なことです。 神様がこの世に遣わせし者は一人で、そして、最初、その教えを宣べ伝える者も少数かもしれないけども、それが長い間には、多くの国や別の国にまで広がっていくようなものなので。私らみたいに、一カ月、二カ月流行って、そして、消費されるものと、あなたがたがつくってるものとでは、たぶん違うと思うんですよね。そこの、何て言うか、「矜持」っていうか、「プライド」は譲ってはいけないんじゃないかなあ。《中略》

新海誠守護霊 もう一つ、芸術の世界でも、「悪魔的なもの」もあります。《中略》そのなかで、あなたがたは、「神の神秘」や「奇跡」みたいなのを追い求めて、映像化して、人々に知らせようとしてるんでしょう? うーん、いやあ、それはねえ、「武士は食わねど高楊枝」で、やっぱり頑張らなきゃいけない、食いしばって。「これがヒットしないっていうのは、観ない人のほうがおかしくて、これを評価しない人のほうがおかしいんだ」っていう強い信念を発信し続けて、出し続けているうちに、だんだん、「やっぱり、こちらのほうが、本当は素晴らしいものだ」っていう価値観に世界を捻じ曲げてこなければいけないんであってね。 AKB48だの乃木坂46だの、そういうのは亜流品がいくらでもできるから、それでヒットしたからって、それにジョイン(参入)して、「ハッピー・サイエンス58」とかをつくったところで、そんなもの、実際は何の意味もないんですよ。 あなたがたの訴えたいものを歌う歌手をつくったり、そういうチームをつくったり、作品をつくったりすることのほうに意味があるので。《中略》

新海誠守護霊 これは、やはり、まあ、《中略》やっぱり、「それぞれの人間が生きていくべきフィールド」があると思うんですよ。 《中略》 だから、〝めだかの学校〟に、そんなに憧れてはいけないと思いますよ。 《中略》 やっぱり、ここはねえ、まあ、広げること自体はいいことなんですけども、「頑固さ」っていうのを、やっぱりねえ。まあ、よくは存じ上げませんけどね。よくは存じ上げませんけども、「神秘の世界」を信じる者の一人としてね、私は、あなたがたの持っておられるその「頑固さ」みたいなものを尊敬してるので。「頑固であってほしいなあ!」と思うんです。私が、ドラマのなかで描けない、頑固オヤジみたいな存在であってほしいなあと思いますね。 「新海よ、おまえ、堕落してるぞ。この程度のレベルで満足しとったら、おまえはもう終わりだ」っていうような、叱ってくれるぐらいの権威があってほしいなあと、むしろ思います。《中略》

幸福の科学の仕事は「世界史的な影響を与えようとする仕事」
新海誠守護霊 だけど、あなたがたは、未来への「神の警告」とか、あるいは、過去のいろんなことに対する「神の判断」みたいなものを世間にお伝えしようとしてるんでしょう? それを聴こうとしない人がいっぱいいる。それを「映画」というツールでやろうとしたら、マーケティングとしては大きくならない。別にそれで結構だと思います。そんなものだと思います。それが本当だと分かる人が、そんなに多くいてはおかしいんですよ。すぐに分かるようでは、それは、まだまだ「紛い物」で「ポピュリズム的なもの」だと私は思うんです。 あなたがたは、本当の「神の声」とか、「神の考え」とか、「神の世界計画」とか、「人類の未来」、あるいは「危機の予知」とか、こういうものをいろいろ伝えようと一生懸命やっておられますが、それに対して、みんな耳を貸さない。 ただ、そういう、フィクションの世界で面白く描ければ、大勢が観てくれる。 でも、どの程度それを本物として受け取っているかは別の問題で、せいぜい、死んでからあと、かすかに、「ああ、『君の名は。』で観た世界で、ちょっと学ぶものがあったかなあ?」とか、そのくらいの引っ掛かりが出る程度か、あるいは、「神社の巫女さんには、そんな意味があったのか」とか、そんなことを思うぐらいのことでしょう。 あるいは、「救世主的な面」といっても、せいぜい、「そうした災害を事前に予知できれば防げるのに」というようなマスコミ的な考え方で再解釈されて、吸収されてしまう余地のある部分がそうとうありますので。 いや、私は、「私なんかよりも、あなたがたのほうが、もっともっと、ずーっと先端性があるところを攻めている」と思うので、やっぱり、プライドは捨ててほしくない。《中略》

新海誠守護霊 新宿御苑の恋だとか、駅の踏み切りのすれ違いのときに、「あれ、彼女じゃなかったかな?」と思うとかは、〝ちっこい〟ですよ。はっきり言って、「水たまりのなかのゲンゴロウの世界」ですよ。こんなのとねえ、あなたがたが今している「世界史的な影響を与えようとする仕事」とは、はるかに大きな違いがありますから。私なんかのが売れることであなたがたが迷うんだったら、本当に申し訳ないと思います。 だから、そういう〝低俗な大衆作品〟なんかに心を惑わされないでください。もう、隣でジャラジャラいくら落とそうと、それは、もしかしたら、パチンコ屋が宣伝のために、そこだけ全部、釘を開けていて、いっぱい出ているように見せているだけかもしれないので。そういうふうに思ったほうがいいと思う。 「いっぱいマスコミ受けするっていうことは、現代の時代性に近すぎるということで、そんなに純粋でもなければ、そんなに美の極致までも行っていないんだ」と思ったほうがいいと思うんですよ。 何か、自分で自分を否定するのは、ちょっと恐縮で、制作に参加してくれた人や、ファンの方々には、裏切るように聞こえたら申し訳ないし、歌をつくってくださったみなさんにも申し訳ないとは思うけど。「まだまだ、こんなものは本物じゃあない」というところで達観してくださるのが、いちばんうれしいと思います。

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新海誠監督のクリエイティブの源泉に迫る より
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