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嫌われる勇気は地獄行!アドラー霊

2017-04-03 19:05:22 | 霊言


大川隆法 さて、アドラーの思想を要約すると、どうなるでしょうか。 《中略》
確かに、「『昔の原因によって全部、今がある』とは思わずに、今から先のことを自分でつくっていけ」という考え方自体はよろしいかもしれません。《中略》ともかく、人を育てるにしても、ほめすぎず、怒ってばかりでもなく、「自立する生き方を目指すようにすべきだ」ということなのでしょう。
そして、「幸福感」は何によって得られるかといえば、「貢献感覚」なのだということになります。つまり、「共同体、あるいは、世の中へ貢献したという感覚が幸福感のもとなのだ」というわけです。 したがって、最終的には、「共同体への帰属感覚」、もしくは、「貢献している感覚」といったものにつながれば、人間としては十分幸福に生きていけるという言い方になるのだと思います。
ただ、「個人の問題を追究したり、自己研鑽したりしていく考え方」と、「共同体感覚を持つ考え方」とを一致させるのは、なかなか難しいのではないでしょうか。《中略》
今のように「億」の単位の人口がいる国家になると、デモをやったからといって、それが本当の民意かどうかは分からない《中略》週刊誌の編集長が、「大臣のクビを取ったら勝ち」《中略》「それが本当に民主主義的なものなのかどうかは分からない」と思います。

アドラー 《中略》つまり、この『嫌われる勇気』ってのが、「(嫌われても)自分を変える必要がないんだ」というふうにだけ捉えてるなら、それは明らかに間違ってる捉え方だから。
斎藤 はああ。
アドラー 《中略》ただ、これは、取り方を間違えたら、『嫌われる勇気』を持って窓から飛び降りなきゃいけなくなるようなことは、いっぱい出てくる可能性があるので、ちょっと気をつけないといけないよ。 これで元気づいた人は、組織から次々と駆逐される恐れはあるんじゃないかな。
斎藤 本当は、「自分を変える」ということを教えていたにもかかわらず、『嫌われる勇気』のほうは、タイトルのイメージからすると、「自分を変えずに、自分のことを押し込んでいけば、嫌われてもそれでいい」みたいなふうに、単純に捉えられる可能性もあるように思います。
アドラー うん。そういうふうに取れるし、役者もそんなふうに演技してたようにも見えるわなあ。 だから、(ドラマのほうは)「嫌われ者」みたいな動き方をして、それが結果的には、「よくできる刑事」みたいな感じになって、という。それなら、〝ただの刑事もの〟じゃない?「変な刑事が出てきて、できないと思ったら、実はできる」みたいな、それだけのことだから。あれは、脚本家等の構想が、そのへんなのかもしらんけども。《中略》

アドラー こんなもん(嫌われる勇気)書いた人、もう、みんな地獄行きよ。ここまで誤解させたら。《中略》

上村 ただ、ドラマが始まると、日本アドラー心理学会から、「あのドラマは間違っている」というような批判があったそうです。 その根本にあるいちばんのところは何かと言いますと、やはり、あの主人公だと思います。 主人公が、嫌われてもいいような素振りをして、チームワークを乱しているにもかかわらず、それを「ナチュラルボーンアドラーだ」という感じでほめ称えていたのです。
アドラー それはなあ、「共同体感覚※」と関係ないじゃん、なあ?
上村 はい。まさに、そこかな、と。
アドラー まったく違うじゃない。なあ?
上村 はい。
アドラー 要するに、「一匹狼の刑事が、犯人を当てる」とか、その程度のもんじゃないですか。
斎藤 刑事の名は、庵堂蘭子ですね。《中略》
(ブロガー追記・アんドうラんこ=アドラー)
上村 《中略》生前、先生は、「共同体感覚を構築するためには、人の幸せのために行動しなさい」というように説かれていたと思います。《中略》
アドラー だから、まあ、俳優が宗教っぽいかどうか見たらいい。宗教っぽくなかったら、違うんだろうな。 (アドラー心理学には)宗教っぽいところがあるわなあ、確かにな。

※共同体感覚 アドラー心理学の重要な概念の一つで、共同体に対する所属感、共感、信頼感、貢献感の総称。他者への信頼、他者への貢献を通じて、共同体への所属感を得るとされる。

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こちら↓のドラマサイトは、嘘、間違った解釈ですね。
http://www.fujitv.co.jp/kira-yu/introduction/index.html
フジテレビ・刑事ドラマ『嫌われる勇気』
アドラー心理学では、他者からどう思われるかは、自分にはコントロールできない「他者の課題」であり、自分の課題と他者の課題を切り離す「課題の分離」により対人関係の悩みから解き放たれることを説きます。他者から嫌われることを恐れない「嫌われる勇気」を持ちえたとき、人は初めて自分だけの人生を歩みはじめることができる。それがアドラー心理学の本質です。
自己中心的に見える振る舞いで周囲になじまず、常に組織の論理と反目する孤高の女刑事、アドラー心理学を体現する女主人公・庵堂蘭子(あんどう・らんこ/32)。
組織になじまない一匹狼タイプで、周囲の意見には耳を貸さず、常に自分が信じる道を行きます。時には、上司や捜査本部の方針に反することもありますが、本人はそれを悪いこととは感じていません。他人からの評価や評判を一切気にせず、自己中心的だと言われても全くひるまない、アドラー心理学を地で行く、いわば“アドラー女子”。その振る舞いと他人にこびない態度、そして余裕ぶった態度に、警察組織では彼女をよく思わない人間も多くいます。一言で言えば“嫌われている”のです。
コメント
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