幸福とは猫のしっぽのようなもので、その存在を忘れて、まっすぐに歩いていくと、黙って後ろからついてくる。
本多静六博士は、「お金など、人生の努力、努力即幸福、と思って生きた残りかすみたいなものだ」と述べられているが、私の考えも変わらない。
「老後、もし病気になったら、病院の費用がこれだけかかる。どうしようか、どうしようか」などということは、考えるだけ無駄です。
そんなことは考えずに、一日一日プラスの人生を積み重ねていくことを考えていれば、ほかの人からも感謝されますし、家族からも見放されることはありません。
〝意地悪じいさん〟や〝意地悪ばあさん〟になるから捨てられるのであって、いい人であれば、そんなことにはならないのです。
感謝されていれば、子供の出来もよくなっていきますし、子供の出来がよくなれば、老後のお金で心配することなどないのです。
やはり、〝意地悪じいさん〟や〝意地悪ばあさん〟になるから、子供も「川に沈めてやろうか」というような気になってくるわけです。
したがって、そうならないように、日ごろから世の中の役に立つような自分となるよう、鍛えておくことが大事であり、取り越し苦労をする必要はありません。
「よい方向で、前向きに、明るく生きていくこと」が成功の秘訣だと、私は信じてやみません。
【最新刊】心が豊かになる法則 より
『幸福のしっぽ』
子猫が、くるくると自分のしっぽを追いかけている
みかねた年とった猫が、「坊や、どうしたの?」とたずねた
子猫は答えた
「猫にとって一番大事なのは幸せで、その幸せは僕のしっぽだ!と気づいたんだ」
「だから、しっぽをつかまえたいんだ」
「そうしたら、僕はきっと幸せになれるから」
大きな猫は言った
「私も若い頃は同じことを考えたわ・・でも悟ったの」
「しっぽは追いかけると、決まって逃げていく」
「でも、自分のやるべきことをやっていると、しっぽは、私がどこへ行っても、必ずついてくるものなんだよ」
このたとえ話の意味がわかるだろうか。
幸福とは、自分の外部にあるもの、他人がくれるものだと考えていると、いくら追いかけても手に入らないものだ。
しかし、自分の価値を自分の内部に発見する人は、いつも幸福でいられるということだ。
奪うのではなく、すでに与えられていることを喜べ。
あなたの感情の選択が、あなた自身を幸福にするのだ。
大川隆法 「心の指針」 第七集より