高倉健(2014年11月10日・83歳帰天)
帰天第一声(2014年11月25日)
どこからでも道は開ける | The GODチャンネル (the-god.jp)
https://the-god.jp/b20141125/
高倉健様からのお言葉
どこからでも道は開ける
何から話していいか、わからないんですけども。
もともと役者になる前に目指していたものがあって、まあ、なんか、若い頃ですね。
僕は、実は音楽をやりたかったんですけど、まあ、若かったせいもあってだろうと思いますが、適当に生きてまして。
本当にいい加減に生きてました。
でも、やっぱりある時、思い知らされる時っていうのはあるんですね。
音楽、んん、才能がないということがわかって、それまでは本当、真剣に音楽をやるつもりでいたんです。
いたんだけど、一緒にやってた仲間が、んん、私にはその音楽の才能がないからって、いうことを言ってくれたんですね。
そういうことを最初は言われると思わなかったし、言われてもすぐに、まあ、受け入れたくはなかったんです。
目指していたものだったから。
だけどしばらくしてすぐに、やっぱりそうかと、思って。
じゃあ、じゃあ俳優はどうかということになって、俳優の道に入ったんですね。
この時に、やはりその見切りを付けていく、その言葉を言ってくれた人のおかげはあると思います。
自分では、なかなかわかんないもんです。
だけど、薄々は感じていた。
もしかしてできんじゃねえかと思ってたけど、本当に才能があるのかなと、いうふうには感じていた。で、それにはっきりと釘を刺してくれたんで、気持ちが俳優でもやったらどうだというふうに向いたんですね。
それが向くと、今度はもう音楽のことはすっかり忘れて、こういうところがいい加減なんですけれど、俳優の道に入っていくことができたんですよ。
だからある意味、踏ん切りつけて、音楽の道を諦めて、手放すことが必要だったんですね。
それで俳優になって、俳優もなぜか次々と抜擢されて、面白いように、次から次に出す映画、出す映画がヒットするという状況でした。
なので人間、どこにその本当のチャンスが転がっているかなんて、分からないと思うんですよ。
自分では、俳優になりたいなんて最初は思ってなかった。
だけどとにかく負けず嫌いで、やれるだけのことはやらなければ納得もしなかった。
だから意地でも音楽家になりたいと思ったんだけど、やっぱりそれじゃないだろうと、言ってくれる人がいて良かったと思います。
それによって、新たな道を見つけることができたし、またありがたいことにここまで映画を撮らせてもらうこともできました。
そんなことで、まあ、人生いろいろありますけど、そう捨てたもんじゃないなと、いう気はしますし、どっからでも道は開けるもんだと思います。
まあ、絶対なんかいいことがあると思いますので、がんばってください。
やあ、まだこっちの世界に来たっていうか、その実感もそうわかない状況であるので、こうやって話ができることが逆に不思議なくらいです。
まあ、僕はいつも、人間はどんなに、その、偉くなっても、何か一つのことをうまくできるようになっても、常に謙虚であれと思ってました。
やっぱり、ついつい私なんかいい加減なことがあるもんなので、慢心するんですね。
そして、知らん間に態度がでかくなって、ということがあるので、常にそれは戒めていました。
だからといって、それを人に強いるつもりはありません。
だけど、そんなふうにして生きていたら、いつの間にやら俳優になって、200本以上の映画を撮って、多くのファンの方がいてくださって、この年になるまで、幸せにこの俳優業を続けることができました。
おそらく、そう大きく間違っちゃあいないと思うので、皆さんもまた、それぞれ自分の成功に向けて、がんばってもらいたいと思います。
夢を大きく持って、そしてどんなに小さなことだと思っても、それを疎かにせずやり遂げていくこと、やり続けていくこと、そう思います。
また、今日は、まだ自分がぼうっとした意識の中で話をしているので、このくらいのことしか言えませんが、ありがとございました。