北の大地とYAMAHAセロー

札幌在住です。北海道や日常のことを、のんびりアップしています。

ソロツー:かつて炭鉱で栄えた街を走る(後編)

2021年06月03日 | 日記
前回の続きです
この「(新)国道452号線」は夕張の「シューパロダム」建設のためにできた「シューパロ湖」を眼下に望む道路です。桂沢湖からシューパロ湖を左に見て走っていくと、下の林の中に舗装道路が見え隠れしてきます。それが「旧国道452号線」です。

旧国道に降りてみました。ドライブで時々走った懐かしい道です。

逆側から撮影しました。この先はシューパロ湖に沈んでいきます。そこにはかつて夕張市鹿島地区、大夕張地区の大部分がありました。

道が湖に沈んでいます。三菱の炭鉱があって、最盛期には二万を越える人口があったそうです。炭鉱の閉山に伴い過疎化が一気に進み、2014年シューパロダムの完成により、地区の大部分が水没しました。私が車に乗り出した1981年には、かなり寂れた地区になっていました。

鹿島地区のモニュメントです。夕張岳が美しく見える高台にあります。かつて鹿島地区にあった小中高校の閉校記念碑などが、水没前にこちらに移転されました。



眼前の夕張岳が美しいです。

夕張岳に向かう橋は、この時通行禁止になっていました。
続いて南大夕張駅跡に向かいます。



ラッセル車、雪をガンガンかき分けて進むのがとてもかっこよかったんですよ。胴体横の雪はねを広げた勇姿が見たいなあ。
それにしても武骨さがいいですね。「パシフィック・リム」の「チェルノ・アルファ」みたい。

エンブレムがまた良い。

こっちから見ると「鉄人28号」みたい。



バスもありました。この頃のバスはサスがぼよんぼよんで、見学旅行などで車酔いになる子どもが多かった。

南大夕張駅跡から何気に道路側を見るとシューパロダム。建設中はその巨大さにびっくりしながら旧道を走っていたのを思い出しました。

石炭産業の衰退、新しいエネルギーの問題、やがて忘れ去られていく思い出。人生も黄昏に入ろうとする自分には、考えることの多いソロツーでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。















ソロツー:かつて炭鉱で栄えた街を走る(前編)

2021年06月03日 | 日記
 昨日は久しぶりに快晴、気温も20度を越えたので、半日の仕事を終えてソロツーへ。札幌、岩見沢、三笠、桂沢湖を経て夕張鹿島地区と大夕張地区を通って帰宅しました。もちろん新型コロナで緊張の日々ですので、ガソリンもセルフ給油、コンビニにも寄らず一人で(いつもだけど)走ってきました。

岩見沢の「北海道グリーンランド」。40歳以上だと「三井グリーンランド」の名称の方がなじみがありますね。道内の炭鉱の閉山に伴い、1970年代半ばから80年代に、娯楽施設がかつての産炭地に次々建てられました。その一つです。新型コロナウイルス前は様々な企画で集客をしていました。世の中が落ち着いたら、またみんなをたくさん楽しませてほしいものです。

三笠市から桂沢湖に向かう途中の集合住宅。三笠市もかつて石炭採掘が主産業でした。化石で有名です。手前のような住宅も、丘の上のような団地も、かつてはたくさん並んでいたので、懐かしいです。
桂沢湖は桂沢ダムの人造湖で、新しい道道452号線を夕張へ向かうと、交通量がほとんどなくなります。

「桂沢幹線林道」と書いてあり、ワクワクすると、

すぐに閉鎖されたゲート前に。年々走れる林道が減ってます。ゲートをくぐって歩いてみると、ちょっと遠くには立派な鉄橋が

「スタンド・バイ・ミー」のワンシーンみたいだなあと思いつつ近寄ると

橋の手前が崩れてました。残念だなあ、かつてここを通った人がうらやましい。

桂沢ダムから夕張まで36キロでしたが、その間すれちがった車はなんと5台。北海道では「こんないい道独り占めか」と思うこと多いです。自損事故起こしたらとんでもないことになります。誰もこないよ。

イラストは脱力ですが、本物はでかくて怖い。ヒグマには絶対会いたくありません。一撃でやられます。
近くでキツネが大きなヘビをくわえて道路をトコトコ歩いていました。家へのみやげでしょう。

少しずつ高度があがります。途中のカーブでふと脇道を見ると、道の真ん中で、立派な角の、大きなエゾシカがじっと私を見ていました。私も思わず見つめたら、シカはゆうゆうと去って行きました。

「お、林道!」と思ったら、こちらは事業者専用で入れません。

セローで林道走れないなんて(泣)橋の上で途方にくれる図

橋の両側、ワイヤーが切れてます。こわ。夕張はまだ先です (続く)