気づきの瞑想

「イライラ、ムカムカ」「もっと欲しい!」「ぼんやり…」など心のツラ~イ症状に効きます

<講義メモ、その8>気づきの瞑想(手動瞑想)のやり方~プラユキ・ナラテボー師に習う気づきの瞑想

2013年01月26日 23時19分26秒 | 瞑想会の記録(レポート、写真など)

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プラユキ・ナラテボー師をお招きして開催された「気づきの瞑想」会(11月17日(土)@鎌倉)、の講義メモ

その 


いよいよ瞑想指導。タイのスカトー寺で実践されている「手動瞑想」です。 


↑こちら、GIFアニメで、手動瞑想の動きをご覧いただけます。もしスマホ版で動画にならない場合は、お手数おかけしますがPC版サイトでご覧ください


手動瞑想のやり方
(「気づきの瞑想」実践方法・ポイント」も併せてご参照ください)

 

*始める前に

・椅子に座ったままでOK。あぐらかきたかったら椅子の上でどうぞ。

・背筋をのばして、姿勢を正す。背筋以外はリラックス。

・目は開けます。(つぶらなくてよい)

 

まずは、動きをマスターしましょう。

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0. 両手をふとももの上に置きます。

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1. 右手を立てます。

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2. 右手を肩くらいの高さに上げます。

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3. 右手をお腹に当てます。

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4. こんどは、左手を立てます。

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5. 左手を肩くらいの高さに上げます。

-------------

6. 左手をお腹に当てます。(右手の上に重なるかんじ)

-------------

7. こんどは、右手を胸に当てます。

-------------

8. 右手を外に開きます。

-------------

9. 右手を太ももの上に立てます。

-------------

10. 右手を伏せます。

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11. こんどは、左手を胸に当てます。

-------------

12. 左手を外に開きます。

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13. 左手を太ももの上に立てます。

-------------

14. 左手を伏せます。

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以降、「1. 右手を立てます」に戻って、繰り返していきます。

 

「気づき」って?

ひと動作、ひと動作、の「今ここ」の手を自覚するかんじ。

ただ「今ここ」にある、手にひたすら気づいてゆく。

最初はできるだけひとつひとつの動きを区切って、気づきの感覚を確認していくとよい。
なお、こころの中で「右手を上げる」とか「移動している」とか言葉にする必要はなし。

たとえば、背中にまわした手で、グーチョキパーすると、目で見なくても、「グーだな」「チョキだな」「パーだな」、ってわかる。気づき、ってそんな感じ。

 

右手を立てたとき、“右手が、ここにあるな”と、パッ、と気づく。

右手を上げたとき、“右手が、ここにあるな” と、パッ、と気づく。

右手をお腹に当てたとき、“右手が、ここにあるな” と、パッ、と気づく。

左手を立てたとき、“左手が、ここにあるな” と、パッ、と気づく。

左手を上げたとき、“左手が、ここにあるな” と、パッ、と気づく。

左手をお腹に当てたとき、“左手が、ここにあるな” と、パッ、と気づく。

右手を胸に当てたとき、“右手が、ここにあるな” と、パッ、と気づく。

右手を開いたとき、“右手が、ここにあるな” と、パッ、と気づく。

右手を置いたとき、“右手が、ここにあるな” と、パッ、と気づく。

右手を伏せたとき、“右手が、ここにあるな” と、パッ、と気づく。

左手を胸に当てたとき、“左手が、ここにあるな” と、パッ、と気づく。

左手を開いたとき、“左手が、ここにあるな” と、パッ、と気づく。

左手を置いたとき、“左手が、ここにあるな” と、パッ、と気づく。

左手を伏せたとき、“左手が、ここにあるな” と、パッ、と気づく。

 

この瞑想では、手は「今ここ」に立ち戻るための目印。

手は集中対象ではない。センセーションを緻密にとっていくとかはしない。

瞑想中、過去や未来に心がフワ~って飛んでったり、ブツブツブツ…って考え事したりしてこころがさまよったら、ただそれに気づいて、「今ここ」のこの手に戻ってくればOK。

目を開けてやるのは、目の前の外側の世界にも、内側(こころ)にも、両方に目を開いて、気づいていこうということ。

 

「自分のペースでいいですよ~

「リラックスしてね~

「緊張してグググーッと縮こまるんじゃなくて、開いて、パアッ、ね

「こころになにが起こってきたって、OK。気づいて、『今ここ』に戻ればOK

 

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*「気づきの瞑想」実践方法・ポイント」も併せてご参照ください。

 

(瞑想実践一問一答に、つづく…)

 

<講義メモ、その8>~了~
※内容は改変されることがあります。 

 

どうぞこちらもご参照ください。

<講義メモ、その1>オープンハート瞑想からはじめます

<講義メモ、その2>なにごとも、因と縁でできている

<講義メモ、その3>よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる

<講義メモ、その4>縁起を理解して、苦しみの鎖を断ち切る

<講義メモ、その5>「自我」はいのちのサバイバル・ツール

<講義メモ、その6>「念定慧」で自我の囚われから自由になる

<講義メモ、その7>縁起観、一問一答

瞑想会アルバム
  
   

これから開催される瞑想会情報はこちらでご確認いただけます→「瞑想会、イベント情報」


 <今回参考にした書籍>

ナラテボー師の講演メモ作成にあたり、参照させていただいた書籍です。
 
苦しまなくて、いいんだよ。
プラユキ・ナラテボー

PHP研究所

手動瞑想の方法について参照しました。

ナラテボー師と相談者の会話の中に、日々の生活に役立つブッダの智慧と慈悲があふれた本です。

 
 

 <もっとブッダの教えを学びたい人に、オススメの本> 
 

「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語

プラユキ・ナラテボー

佼成出版社

プラユキ・ナラテボー師のデビュー作!
タイの森の中のお寺での修行のようす、生き生きとしたお坊さんたちの活躍、訪れた日本人修行者が生きる力を取り戻していくさまが描かれています。


サンガジャパン Vol.11(2012Autumn)
アルボムッレ・スマナサーラ,田口ランディ 吉福伸逸,内田樹,為末大,名越康文,プラユキ・ナラテボー 篠浦伸禎,ネルケ無方,加藤俊朗,鈴木秀子

サンガ

(ナラテボー師記事より…)チャルーンサティ法は、集中力やラベル選択力などの何らかの技術を高めるとかではなくて、手や足に戻ってこれたら何はともあれ「オッケー。◯(マル)!」って感じですから、「集中が続かない、ダメだ」「上手にラベルが貼れない、ダメだ……」と「ダメ出し」する必要もなく、マルを増やしていく感じですので、誰でもが気楽にやっていける方法だと思います。

 
ポー・オー・パユットー仏教辞典(仏法篇)
野中耕一(編集、翻訳)

サンガ

仏教用語の確認に使用中です。
テーラワーダ仏教用語のキーワードが網羅されています。「法数」によるほか、日本語、パーリ語による索引もあって便利です。
用語には英語表記も併記されていて、言葉のニュアンスをイメージしやすいです。 

 
仏教要語の基礎知識
水野 弘元

春秋社

仏教用語の確認に使用中です。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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<講義メモ、その7>縁起観、一問一答~プラユキ・ナラテボー師に習う気づきの瞑想

2013年01月14日 21時19分21秒 | 瞑想会の記録(レポート、写真など)

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プラユキ・ナラテボー師をお招きして開催された「気づきの瞑想」会(11月17日(土)@鎌倉)、の講義メモ

その 

質問コーナー。

仏教では、「こころ」と「からだ」を切り離して考えているのでしょうか?

 “切り離す”のではなく、こころであれ、からだであれ、構成要素があつまったものと見るのが、仏教。
私たちは、自我の入った見方で、ある構成要素のまとまりを、「こころ」や「からだ」と意味づけ、解釈しているということ。

 

では、「たましい」があるという考え方はあるのでしょうか?

なんであれ瞬間瞬間、縁起によって生じる現象だから、「たましい」であれ、なんであれ、実体があるということはない。

たましいと関係性を持った認識世界においてはたましいと関係のある事象が現れてくると言えるし、たましいと関係性ができていない認識世界では現れないと言える。これもまた、縁起。これあれば、これあり、ということ。

自我と同じ。自我が作られると、それに応じて「私ってこういう人~」とかいう妄想がつくれちゃう。妄想は現実ではない。

ちなみに、そもそも「現実」とは、先んじてあるものでは無い。
カンフー映画見て、なんだか自分も強いぞって妄想して、机割ろうとチョップしちゃう。でも、割れない。イテッ!この時に、現実が生じる。

社会的なレベルの妄想は、その社会の決め事、共通認識、常識となったりしている。信号の赤は止まれ。信号無視したら危ない。ルール無視してたら、危ない目にあった、それが、現実の生じた瞬間。

社会ルールってみんなで一緒につくったんだな、これも縁起でそうなってるんだな、と理解するのが仏教。なんでも瞬間瞬間生じる関係性なんだな、実体でもなく絶対でもないと分かっていると、囚われが弱くなるし、苦労も減らせる。コンセンサス・リアリティ(同意された現実)の奴隷にならなくていい、こころはいくらでも自由でいい。


犬は、単なる「イ」と「ヌ」に過ぎないと見たらいいのでしょうか?
また、「不快を感じる犬」と「快を感じる犬」がいるとしたら、「不快な犬」に伴うイメージや気分の連なりを断ち切ればいいのか。「快な犬」についても断ち切るべきなのか?

「イ」と「ヌ」と見られるとか、快か不快か見るとか、それはできてもできなくてもOK。大切なのは、感覚の段階、意味の段階、自我の段階という縁起のしくみを理解すること。(縁起のしくみ、参考~<講義メモ、その4>縁起を理解して、苦しみの鎖を断ち切る
これがいったん理解できれば、不快な犬見て怒ったりする方向に行くんだな、そうやって苦しくなるなんだな~と分かる。智慧が生じる。

さらに、みんなも感覚の段階、意味の段階、自我の段階と進んで、苦しんでいるんだな~って共感できるようになる。慈悲も生まれてくる。

気づけないで、これまでのクセで思考することもあるだろうけど、縁起のしくみが理解できていればOK。智慧というのはそういう普遍的なもの。

「犬」も、「私」も、あっていい。世間ではそういうものなんだから。仮に作っているんだということを理解して、役に立つよう使いこなしていけばいい。

 

-----------

 

(瞑想のやり方に、つづく…)
<講義メモ、その8>気づきの瞑想(手動瞑想)のやり方 

 

<講義メモ、その7>~了~
※内容は改変されることがあります。 

 

どうぞこちらもご参照ください。

<講義メモ、その1>オープンハート瞑想からはじめます

<講義メモ、その2>なにごとも、因と縁でできている

<講義メモ、その3>よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる

<講義メモ、その4>縁起を理解して、苦しみの鎖を断ち切る

<講義メモ、その5>「自我」はいのちのサバイバル・ツール

<講義メモ、その6>「念定慧」で自我の囚われから自由になる

<講義メモ、その8>気づきの瞑想(手動瞑想)のやり方

瞑想会アルバム
  
   

これから開催される瞑想会情報はこちらでご確認いただけます→「瞑想会、イベント情報」


 <今回参考にした書籍>

ナラテボー師の講演メモ作成にあたり、参照させていただいた書籍です。
ポー・オー・パユットー仏教辞典(仏法篇)
野中耕一(編集、翻訳)

サンガ

仏教用語の確認に使用しました。
テーラワーダ仏教用語のキーワードが網羅されています。「法数」によるほか、日本語、パーリ語による索引もあって便利です。
用語には英語表記も併記されていて、言葉のニュアンスをイメージしやすいです。 

 
仏教要語の基礎知識
水野 弘元

春秋社

仏教用語の確認に使用しました。

 

 <もっとブッダの教えを学びたい人に、オススメの本> 
 
苦しまなくて、いいんだよ。
プラユキ・ナラテボー

PHP研究所

現代の対機説法! 
ナラテボー師と相談者の会話の中に、日々の生活に役立つブッダの智慧と慈悲があふれています。

 

「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語

プラユキ・ナラテボー

佼成出版社

プラユキ・ナラテボー師のデビュー作!
タイの森の中のお寺での修行のようす、生き生きとしたお坊さんたちの活躍、訪れた日本人修行者が生きる力を取り戻していくさまが描かれています。


サンガジャパン Vol.11(2012Autumn)
アルボムッレ・スマナサーラ,田口ランディ 吉福伸逸,内田樹,為末大,名越康文,プラユキ・ナラテボー 篠浦伸禎,ネルケ無方,加藤俊朗,鈴木秀子

サンガ

(ナラテボー師記事より…)チャルーンサティ法は、集中力やラベル選択力などの何らかの技術を高めるとかではなくて、手や足に戻ってこれたら何はともあれ「オッケー。◯(マル)!」って感じですから、「集中が続かない、ダメだ」「上手にラベルが貼れない、ダメだ……」と「ダメ出し」する必要もなく、マルを増やしていく感じですので、誰でもが気楽にやっていける方法だと思います。

  

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<講義メモ、その6>「念定慧」で自我の囚われから自由になる~プラユキ・ナラテボー師に習う気づきの瞑想

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プラユキ・ナラテボー師をお招きして開催された「気づきの瞑想」会(11月17日(土)@鎌倉)、の講義メモ

その 

自我の囚われから自由になり、苦しみを減らしていくためのポイント

自分を「信」じて、こころに触れる

「苦」をありのままにみるのには、「信(サッダー)=自分に対する信頼」を大切にすることがポイント。

英語にするとput oneself on ~。どんな感情であれ、どんな思考であれ、どんなイメージであれ、なんであれ「今ここ」に生じた現象をありのままに、オープンハートで見て触れていこう、という感じ。

 

念、定、慧~パッと気づいて、どっしりと受け止め、なるほど~と理解する

=覚醒力
「信(サッダー)」をもって、「今ここ」に生じた現象に気づく力。

=受容力
「今ここ」に生じた現象に心をぐらつかせず、どっしりと受け止める力。

=洞察力
「今ここ」に生じた現象の「縁起」を理解する力。

 

自我を構成する、四つの執着~四取

「欲取、見取、戒禁取、我語取」について「念・定・慧」して、自我から自由になり、苦しみを減らす。
(以下メモは、「ポー・オー・パユットー仏教辞典(仏法篇) 」も参考にしました)

欲取
欲にとらわれること。
欲しい、満足したい、五感で感知するもの(色形、音・声、香り、味、触感)に執着すること。

見取
さまざまな見解、意見、教義にとらわれること。
「**のないコーヒーなんて」…なんていうかんじに、信念に執着すること。

戒禁取
さまざまな戒や儀法、伝統、規律、やり方にこだわること。

我語取
自我とは、縁起によってあつまった要素のまとまりであるということを理解せず、自我が主人であるととらわれること。

-----------
~「我語取」理解の、参考資料~

「自我」はいのちのサバイバルには必要なもの。生かしていけばいい。
けれど、同時に、それは思考やイメージが単にまとまっているだけのものであり、不変なものではなく実体のあるものでもないということにも、気づいていければいい。

これまで目を背けてきた、今ここに生じている「苦」に気づき、それを自我のフィルター(意味付け)を介さず、あるがままに見るよう努め、ひとつひとつ最善の対応をするよう励む。

(<講義メモ、その5>「自我」も生かす. 「無我」も知る より)

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(こころと身体、という見方も自我の産物というお話に、つづく…)
<講義メモ、その7>縁起観、一問一答 

 

<講義メモ、その6>~了~
※内容は改変されることがあります。 

 

どうぞこちらもご参照ください。

<講義メモ、その1>オープンハート瞑想からはじめます

<講義メモ、その2>なにごとも、因と縁でできている

<講義メモ、その3>よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる

<講義メモ、その4>縁起を理解して、苦しみの鎖を断ち切る

<講義メモ、その5>「自我」はいのちのサバイバル・ツール

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 <今回参考にした書籍>

ナラテボー師の講演メモ作成にあたり、参照させていただいた書籍です。
ポー・オー・パユットー仏教辞典(仏法篇)
野中耕一(編集、翻訳)

サンガ

「四取」について確認しました。
テーラワーダ仏教用語のキーワードが網羅されています。「法数」によるほか、日本語、パーリ語による索引もあって便利です。
用語には英語表記も併記されていて、言葉のニュアンスをイメージしやすいです。 

 
仏教要語の基礎知識
水野 弘元

春秋社

仏教用語の確認に使用しました。

 

 <もっとブッダの教えを学びたい人に、オススメの本> 
 
苦しまなくて、いいんだよ。
プラユキ・ナラテボー

PHP研究所

現代の対機説法! 
ナラテボー師と相談者の会話の中に、日々の生活に役立つブッダの智慧と慈悲があふれています。

 

「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語

プラユキ・ナラテボー

佼成出版社

プラユキ・ナラテボー師のデビュー作!
タイの森の中のお寺での修行のようす、生き生きとしたお坊さんたちの活躍、訪れた日本人修行者が生きる力を取り戻していくさまが描かれています。


サンガジャパン Vol.11(2012Autumn)
アルボムッレ・スマナサーラ,田口ランディ 吉福伸逸,内田樹,為末大,名越康文,プラユキ・ナラテボー 篠浦伸禎,ネルケ無方,加藤俊朗,鈴木秀子

サンガ

(ナラテボー師記事より…)チャルーンサティ法は、集中力やラベル選択力などの何らかの技術を高めるとかではなくて、手や足に戻ってこれたら何はともあれ「オッケー。◯(マル)!」って感じですから、「集中が続かない、ダメだ」「上手にラベルが貼れない、ダメだ……」と「ダメ出し」する必要もなく、マルを増やしていく感じですので、誰でもが気楽にやっていける方法だと思います。

  

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