気づきの瞑想

「イライラ、ムカムカ」「もっと欲しい!」「ぼんやり…」など心のツラ~イ症状に効きます

<講義メモ、その5>「自我」はいのちのサバイバル・ツール~プラユキ・ナラテボー師に習う気づきの瞑想

2012年12月28日 16時25分37秒 | 瞑想会の記録(レポート、写真など)

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プラユキ・ナラテボー師をお招きして開催された「気づきの瞑想」会(11月17日(土)@鎌倉)、の講義メモ

その 

仏教文脈などでは、しばしば厄介者扱いされてしまいがちな「自我」ですが、使いこなせばいいんだよ~というお話し。

 

「自我」も縁起のことわり

私たちは、平行四辺形のまとまりを、立方体(サイコロ)として知覚するのと同じように、
自己イメージや過去の記憶などのまとまりを、自我として知覚している。

 

~参考資料~

関連記事:一切のものを構成要素が集まった状態である、と理解する

 
 

 

「自我」はいのちのサバイバル・ツール

「自我」は、思い通りにならない現実、からだに感じる痛みなど、あらゆる苦しみから心身を守るために、こころが作り上げたもの。

鳥が、翼で飛びたち、外敵から身を守るのと同じように、
私たちは、思考で作り上げた「自我」によって、あらゆる苦しみから心身を守っている。

ところが、いつしか「『自我』を守る」ために、恐れ怯え、苦しみが生じるという副作用が生じてしまった。
人生の大半が、自我を維持する作業に多大なエネルギーを注ぎ込む作業に費やされるようになってしまった。

思考すること、また思考により過去の記憶や未来の予想ができることは、いのちをながらえさせることに役立つ機能。
でも、この機能がうまくコントロールできないと、過去が後悔で塗りつぶされてしまったり、未来が不安で覆われてしまったりすることにもなる。


「自我」も生かす. 「無我」も知る.

「自我」はいのちのサバイバルには必要なもの。生かしていけばいい。
けれど、同時に、それは思考やイメージが単にまとまっているだけのものであり、不変なものではなく実体のあるものでもないということにも、気づいていければいい。

これまで目を背けてきた、今ここに生じている「苦」に気づき、それを自我のフィルター(意味付け)を介さず、あるがままに見るよう努め、ひとつひとつ最善の対応をするよう励む。

「今ここ」に生じた現象をありのままに見ること無く、自動的に意味づけし、価値判断し、選り分けている無意識の流れに「気づく」と、自我としてまとまる力が弱まって、私たちを不自由にしている「自我」の構造を理解できるようになる。

構造が理解できると、そこから解放される道筋も見えてくる。また、コントロール方法も見えてくる。
思考を上手にコントロールする技術が身についてくれば、後悔や不安などの思考の産物に振り回されるような苦しみを減らしていくことができる。

 

自分を「信」じて、こころに触れる

「苦」をありのままにみるのには、「信(サッダー)=自分に対する信頼」を大切にすることがポイント。

 

 (信(サッダー)のお話しは、つづく…)
<講義メモ、その6>「念定慧」で自我の囚われから自由になる


<講義メモ、その5>~了~

※一部、まんがの中のエピソードは講義内容からでなく、私の着想したものが含まれますこと、ご了承ください。
※内容は改変されることがあります。 

 

どうぞこちらもご参照ください。

<講義メモ、その1>オープンハート瞑想からはじめます

<講義メモ、その2>なにごとも、因と縁でできている

<講義メモ、その3>よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁とな

<講義メモ、その4>縁起を理解して、苦しみの鎖を断ち切る

<講義メモ、その5>「自我」はいのちのサバイバル・ツール

<講義メモ、その6>「念定慧」で自我の囚われから自由になる

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 <今回参考にした書籍>

ナラテボー師の講演メモ作成にあたり、参照させていただいた書籍です。 
 
仏法[新装版]
野中耕一

サンガ

参考資料、一切のものを構成要素が集まった状態である、と理解する記事作成の際、参照しました。

 

 <もっとブッダの教えを学びたい人に、オススメの本> 
 
苦しまなくて、いいんだよ。
プラユキ・ナラテボー

PHP研究所

現代の対機説法! 
ナラテボー師と相談者の会話の中に、日々の生活に役立つブッダの智慧と慈悲があふれています。

 

「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語

プラユキ・ナラテボー

佼成出版社

プラユキ・ナラテボー師のデビュー作!
タイの森の中のお寺での修行のようす、生き生きとしたお坊さんたちの活躍、訪れた日本人修行者が生きる力を取り戻していくさまが描かれています。


サンガジャパン Vol.11(2012Autumn)
アルボムッレ・スマナサーラ,田口ランディ 吉福伸逸,内田樹,為末大,名越康文,プラユキ・ナラテボー 篠浦伸禎,ネルケ無方,加藤俊朗,鈴木秀子

サンガ

(ナラテボー師記事より…)チャルーンサティ法は、集中力やラベル選択力などの何らかの技術を高めるとかではなくて、手や足に戻ってこれたら何はともあれ「オッケー。◯(マル)!」って感じですから、「集中が続かない、ダメだ」「上手にラベルが貼れない、ダメだ……」と「ダメ出し」する必要もなく、マルを増やしていく感じですので、誰でもが気楽にやっていける方法だと思います。

  

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<講義メモ、その4>縁起を理解して、苦しみの鎖を断ち切る~プラユキ・ナラテボー師に習う気づきの瞑想

2012年12月21日 20時43分43秒 | 瞑想会の記録(レポート、写真など)

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プラユキ・ナラテボー師をお招きして開催された「気づきの瞑想」会(11月17日(土)@鎌倉)、の講義メモ

その 

「縁起(えんぎ)」のお話し。
「縁起」を理解すると、苦しみが生まれるしくみや減らす方法がわかります。

 

縁起観


これあるときに、これあり
これ生ずるが故に、これ生ず

これなきときに、これなし
これ滅するが故に、これ滅す

(引用元:仏法[新装版] ポー・オー・パユットー サンガ)

 

「縁起観」は、すべては同時生起であることを説く。

この世界において私たちが何をどう感じて、そこからどうやって苦しみが起こっているのか、またどうすれば苦しみを滅することができるのかを理解するときのポイント。

 

縁起のしくみ

五感や思考に触れる現象について、触れると同時にそれが何であるか認識し、同時にともなうイメージを浮かべたり、同時にともなう気分を感じたり、さらには、そのように"イメージしたり気分を感じる"のを「私」であると思い込んだり…というあたりのしくみを解き明かすのが縁起観。

「現象学」の知見も援用すると、つぎのような段階に分けられる。

<1>感覚の段階(五感や思考に触れる現象について、それが何であるのか分かる段階)
<2>意味の段階(イメージをしたり、気分を感じたりして、現象に対して何らかの意味付けをする段階)
<3>自我の段階(イメージしたり気分を感じるのが、すなわち「私」であるとする段階)

 

<1>感覚の段階
五感や思考に触れる現象について、それが何であるのか分かる段階

たとえば、目の前のサイコロ…

実際に「今、ここ」で見ているのは、立方体をしたサイコロそのもの(実相※)ではない。
「記憶」と「予想」で構成されたもの。
平行四辺形が合わさったものを立方体として見ることができるのは、私たちが瞬間的に「記憶」と「予想」をしているから。

※「実相」とは:
あるがままの、この世界、自然界の法則、システム(<講義メモ、その1>もご参照ください)

 

<2>意味の段階
イメージをしたり、気分を感じたりして、現象に対して何らかの意味付けをする段階 

目の前の現象を知覚→
と同時に、「過去(記憶)」と「未来(予想)」により「犬」として認識する→
と同時に、「犬」にともなうイメージがわいて、「(たとえば)かむ!痛い!こわい!嫌い!」…と、意味づけされた犬」をつくる。

意味づけされた犬(ノットイコール) 目の前の犬そのもの(実相)


<3>自我の段階
イメージしたり気分を感じるのが、すなわち「私」であるとする段階

「記憶」や「予想」でものごとを見て、そこに意味づけをして、好き嫌いの反応を繰り返しているうちに、だんだんと心がクセづいてきて、「私は、**な人である」とか「私は、**が好きである」とか、「私は**」、「私の**」と、「自我」が生まれる。

「自我」は、生きていくのに必要なもの。でも、「自我」だけで生きていくと、「私は**だから、〇〇はできない」とか、「私には、それはムリ!」って感じで、自分の可能性を閉じ込めちゃうことにもなる。

 

「今、ここ」に気づいて、苦しみへの連なりを断つ

五感や思考に触れる現象について、触れると同時にそれが何であるか認識し、同時にともなうイメージを浮かべたり、同時にともなう気分を感じたり、さらには、そのように"イメージしたり気分を感じる"のを「私」であると思い込んだり。こういうこころのしくみを説いたのが、これ↓

これあるときに、これあり
これ生ずるが故に、これ生ず

「今、ここ」に見えているもの、聞こえているもの、感じている気分、そういうものにひとつひとつ気づいて、一回一回「今、ここ」に戻り、こころについて洞察する。

「縁起」を理解することで、苦しみを生じさせるこころのクセを理解し、苦しみへの連なりを断ち切っていく。
すると、楽になっていくこころの可能性を広げていける

これなきときに、これなし
これ滅するが故に、これ滅す
 …の実践。

 

 

 (ところで、なぜ「自我」が現れるのか?のお話しに、つづく…)
<講義メモ、その5>「自我」はいのちのサバイバル・ツール~プラユキ・ナラテボー師に習う気づきの瞑想 


<講義メモ、その4>~了~
※一部、まんがの中のエピソードは講義内容からでなく、私の着想したものが含まれますこと、ご了承ください。
※内容は改変されることがあります。 

「記憶」や「予想」、「自我」は生きていくためには必要なもの。
でも、それに振り回される必要はゼンゼンない。

こころのしくみがわかったからといって、すぐに心のクセがなおるというわけでもないようで(からだのクセと同じ)
だから、ひとつひとつ、コツコツと、一回一回、気づいて戻って、気づきを育てる、気づきの瞑想

 

どうぞこちらもご参照ください。

<講義メモ、その1>オープンハート瞑想からはじめます

<講義メモ、その2>なにごとも、因と縁でできている

<講義メモ、その3>よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる

<講義メモ、その4>縁起を理解して、苦しみの鎖を断ち切る

<講義メモ、その5>「自我」はいのちのサバイバル・ツール

瞑想会アルバム
  
   

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 <今回参考にした書籍>

ナラテボー師の講演メモ作成にあたり、参照させていただいた書籍です。 

超解読! はじめてのフッサール『現象学の理念』 (講談社現代新書)
竹田 青嗣

講談社 

こころがいかにして、目の前にサイコロをたちあらわすのか…あたりが、「現象学」観点からじっくり、考察できます。 

仏法[新装版]
野中耕一

サンガ

上記で引用した「これあるときに、これあり これ生ずるが故に、これ生ず…」が載っています。

 

 <もっとブッダの教えを学びたい人に、オススメの本> 
 
苦しまなくて、いいんだよ。
プラユキ・ナラテボー

PHP研究所

現代の対機説法! 
ナラテボー師と相談者の会話の中に、日々の生活に役立つブッダの智慧と慈悲があふれています。

 

「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語

プラユキ・ナラテボー

佼成出版社

プラユキ・ナラテボー師のデビュー作!
タイの森の中のお寺での修行のようす、生き生きとしたお坊さんたちの活躍、訪れた日本人修行者が生きる力を取り戻していくさまが描かれています。


サンガジャパン Vol.11(2012Autumn)
アルボムッレ・スマナサーラ,田口ランディ 吉福伸逸,内田樹,為末大,名越康文,プラユキ・ナラテボー 篠浦伸禎,ネルケ無方,加藤俊朗,鈴木秀子

サンガ

(ナラテボー師記事より…)チャルーンサティ法は、集中力やラベル選択力などの何らかの技術を高めるとかではなくて、手や足に戻ってこれたら何はともあれ「オッケー。◯(マル)!」って感じですから、「集中が続かない、ダメだ」「上手にラベルが貼れない、ダメだ……」と「ダメ出し」する必要もなく、マルを増やしていく感じですので、誰でもが気楽にやっていける方法だと思います。

  

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<講義メモ、その3>よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる~ナラテボー師に習う気づきの瞑想

2012年12月17日 20時40分03秒 | 瞑想会の記録(レポート、写真など)

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プラユキ・ナラテボー師をお招きして開催された「気づきの瞑想」会(11月17日(土)@鎌倉)、の講義メモ

その 

よき実りをえるための、三つのよき縁

<1>よき縁に触れる
<2>よき縁となす
<3>よき縁となる

 

<1よき縁に触れる

よき人と交わり、よき環境を選ぶ。
能動的によい縁に触れるようにしましょう、ということ。
よい友だち、よい環境、そうした縁を「善友(ぜんゆう)」という。

ブッダが「善友」の大切さについて説いているひとコマがあります。

(ブッダが、コーサラ国王パセーナディに語る場面、その1)

大王さま。…修行僧アーナンダが、わたしのいるところに近づいて来ました。…アーナンダは、私に次のように申しました。--『尊いお方さま!善き友のあること、善き仲間のいること、善き人々に囲まれていることは、清浄行の半ばに近い』と。
このように言われたので、わたしは修行僧アーナンダに、次のように言いました。--
『アーナンダよ。そうではない。そうではない。善き友をもつこと、善き仲間のいること、善き人々に取り巻かれていることは、清浄行の全体である。…』


(サンユッタ・ニカーヤ 第八節 努め励むこと(二) 引用元:ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1)中村元 訳)

善友があるということは修行の50%くらいにはあたりますよね?と弟子がたずねたら、
ちがいますよ、100%ですよ、とブッダは答えられたのでした。

 

<2>よき縁となす

現象(感覚、思考など)すべてを良き縁となす。

たとえば、料理をしようとしたとき、あんまりいい素材じゃなかったり、レシピ通りのものが手にはいらなかったりすることがある。
不本意な素材であろうが、足りなかろうが、なんであれ「縁」。
それらの「縁」、すなわちいまここにある素材を生かして栄養のあるおいしいものを作っていくこと、そうした工夫、学びが「智慧」。

こころにおいても、現実に生きていれば、難しい人間関係に身をおいたり、さまざまな言葉を浴びせられたりもするだろうけど、そうした「縁」を学びの機会として、生かして「智慧」にしていくということ。

たとえば雨…。

過去の心のクセからただただ生じる「イラッ」という感情にふりまわされるがまま、苦しむ?

OR

これも「縁」として生かし、「よいお湿り」などと学びなおして、智慧にする?

 

<3>よき縁となる

「慈悲」の実践。
自らが良き縁となり、ともに苦しみを減らし、ともに幸せになる。

自分が得た「智慧」は、みんなとシェア。
自分が「よき縁」となって、他の人も幸せにする。ともに幸せになっていくということ。

(ブッダが、コーサラ国王パセーナディに語る場面、その2)


大王さま。それ故に、あなたはこのように学ばなければなりません。--『われは善き友となろう。善き仲間となり、善き人々に取り囲まれるようになろう』と。実にあなたは、このように学ばなければなりません。--善き友であり、善き仲間であり、善き人々に取り巻かれているあなたは、一つの事柄、すなわち<善きことをなすのに努め励む>ということにもとづいて住(じゅう)しなければならない、と。


(サンユッタ・ニカーヤ 第八節 努め励むこと(二) 引用元:ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1)中村元 訳)

「よき縁に触れ」るよう行動し、なんであれ
「よき縁となす」ことができるようになったら、
「よき縁となる」ことに努めていきましょう、といわれたのでした。

 

仏教における「善」と「不善」

ところで、仏教用語の「不善」とは、「下手(へた)」という意味。

たとえば、 お料理がちょっと悪くなっててお腹壊しちゃったとしても、料理した人に悪気があったからじゃなくて、ただ下手だった、上手くなかったから、ってこと。

こころにおいても同じ。悩みが深くなったり、心の病になったりしたのは、こころに触れる「縁」をうまく生かせなかっただけ、下手だっただけ。

いまここから、上手(善)になるよう、学び励んでいけばいい。

 

縁起観


これあるときに、これあり
これ生ずるが故に、これ生ず

これなきときに、これなし
これ滅するが故に、これ滅す

(引用元:仏法[新装版] ポー・オー・パユットー サンガ)

 

「縁起観」は、すべては同時生起であることを説く。

この世界において私たちが何をどう感じて、そこからどうやって苦しみが起こっているのか、またどうすれば苦しみを滅することができるのかを理解するときのポイント。

 

(縁起観のお話は、つづく…)
<講義メモ、その4>縁起を理解して、苦しみの鎖を断ち切る 


<講義メモ、その3>~了~

※一部、まんがの中のエピソードは講義内容からでなく、私の着想したものが含まれますこと、ご了承ください。
※内容は改変されることがあります。 

どうぞこちらもご参照ください。

<講義メモ、その1>オープンハート瞑想からはじめます

<講義メモ、その2>なにごとも、因と縁でできている

<講義メモ、その3>よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる

<講義メモ、その4>縁起を理解して、苦しみの鎖を断ち切る

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<今回参考にした書籍>
ナラテボー師の講演内容にて引用がある部分について参照させていただいた書籍です。 
 
ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1)
中村 元

岩波書店

上記で引用した「努め励むこと」が載っています。

 
仏法[新装版]
野中耕一

サンガ

上記で引用した「これあるときに、これあり これ生ずるが故に、これ生ず…」が載っています。

 

 <もっとブッダの教えを学びたい人に、オススメの本> 
 
苦しまなくて、いいんだよ。
プラユキ・ナラテボー

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「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語

プラユキ・ナラテボー

佼成出版社

プラユキ・ナラテボー師のデビュー作!
タイの森の中のお寺での修行のようす、生き生きとしたお坊さんたちの活躍、訪れた日本人修行者が生きる力を取り戻していくさまが描かれています。


サンガジャパン Vol.11(2012Autumn)
アルボムッレ・スマナサーラ,田口ランディ 吉福伸逸,内田樹,為末大,名越康文,プラユキ・ナラテボー 篠浦伸禎,ネルケ無方,加藤俊朗,鈴木秀子

サンガ

(ナラテボー師記事より…)チャルーンサティ法は、集中力やラベル選択力などの何らかの技術を高めるとかではなくて、手や足に戻ってこれたら何はともあれ「オッケー。◯(マル)!」って感じですから、「集中が続かない、ダメだ」「上手にラベルが貼れない、ダメだ……」と「ダメ出し」する必要もなく、マルを増やしていく感じですので、誰でもが気楽にやっていける方法だと思います。

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<講義メモ、その2>なにごとも、因と縁でできている~プラユキ・ナラテボー師に習う気づきの瞑想

2012年12月06日 01時15分17秒 | 瞑想会の記録(レポート、写真など)

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プラユキ・ナラテボー師をお招きして開催された「気づきの瞑想」会(11月17日(土)@鎌倉)、の講義メモ

その2 

なにごとも因と縁~関係性の法則

因=直接原因
縁=間接条件

因と縁の関係により、すべてのことは生起する。因と縁が結果を生む。

たとえば、果物が実るためには、因(直接原因)である種が必要。
種がなければ結果である果物は決してできない。

でも、種があるだけでも果物は決してできない。
縁(間接条件)が必要。土、水、光、人の世話、そういうものがあってはじめて実がなる。

 

~参考資料~

"やんちゃな感情"をより成熟した良質な心へと成熟させるには?

関連記事:「苦しまなくて、いいんだよ。」エピソード動画~“やんちゃな感情”を成熟させるには?

 

よき実りをえるための、三つのよき縁

<1>よき縁に触れる
<2>よき縁となす
<3>よき縁となる

<1よき縁に触れる

よき人と交わり、よき環境を選ぶ。
能動的によい縁に触れるようにしましょう、ということ。
よい友だち、よい環境、そうした縁を「善友(ぜんゆう)」という。

 

(三つのよき縁のお話は、つづく…)
<講義メモ、その3>よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる



どうぞこちらもご参照ください。

<講義メモ、その1>オープンハート瞑想からはじめます

<講義メモ、その2>なにごとも、因と縁でできている

<講義メモ、その3>よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる

プラユキ・ナラテボー師に習う気づきの瞑想(2012年11月17日、第一回気づきの瞑想会)

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プラユキ・ナラテボー

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プラユキ・ナラテボー師のデビュー作!
タイの森の中のお寺での修行のようす、生き生きとしたお坊さんたちの活躍、訪れた日本人修行者が生きる力を取り戻していくさまが描かれています。


サンガジャパン Vol.11(2012Autumn)
アルボムッレ・スマナサーラ,田口ランディ 吉福伸逸,内田樹,為末大,名越康文,プラユキ・ナラテボー 篠浦伸禎,ネルケ無方,加藤俊朗,鈴木秀子

サンガ

(ナラテボー師記事より…)チャルーンサティ法は、集中力やラベル選択力などの何らかの技術を高めるとかではなくて、手や足に戻ってこれたら何はともあれ「オッケー。◯(マル)!」って感じですから、「集中が続かない、ダメだ」「上手にラベルが貼れない、ダメだ……」と「ダメ出し」する必要もなく、マルを増やしていく感じですので、誰でもが気楽にやっていける方法だと思います。