プラユキ・ナラテボー師をお招きして開催された「気づきの瞑想」会(11月17日(土)@鎌倉)、の講義メモ、
その 最終回です~
ナラテボー師の活動コンセプトが理解できるエピソードでシメククリです。
ブッダは、ひとりでも多くの人が真理にたどり着けばいいな、と思っていたんでしょうか?
真理に、、というよりかは、みんなが苦しまないでいたらいいなぁ、って感じでしょうね。
理念云々とかじゃなくて、この現実に、どうやって苦しまないで生きていけるかということ。
私自身も同じ。
ブッダの教えを伝えようとしているのではなく、目の前の苦しんでいる人が楽になっていけるようにと活動している。
たとえば、さっきのたましいのはなし。
たましいがあるって見方もひとつの見方だから。全然間違いじゃない。
でも、もし、たましいを信じていることで、不便さが生じていたり、苦しみがあるようであれば、それにとらわれないような見方もあるんだよ、と提示してあげることもある。
私があるっていうのも同じ。ひとつの見方。とらわれずに、活用していければいい。
でも、もし、「私とは…」「私って…」って囚われて、ツラかったりするようであれば、それにとらわれないような見方もあるんだよ、と提示してあげることもある。
意味は、心レベル(認識レベル)
体験は、身体レベル(行為レベル)
囚われてしまうと苦しくなる。
だったら、まず、「気づいて」囚われから自由になろうよ。
そして、もし、よゆうがあれば、苦しまない使い方をしようよ。
囚われの身…
⇓
囚われてると「気づく」と…
自由になれたら…
⇓
活用もできる
「誰」が悪いなんてことは決してない。み~んな関係性、「縁起」でなりたってるんだから。
縁起によって、みんなで一緒に作り上げている。
“縁起によってるんだから無我で無常なんだよ~” ってことが分からないのが、「無明」。
ちゃんと「気づいて」無明を照らしていけばいいだけ
-----------
このあと、かる~くサイン会の様相を呈したのち、閉会いたしました
プラユキ・ナラテボー師をお招きして開催された「気づきの瞑想」会(11月17日(土)@鎌倉)、の講義メモは、今回10回目をもって、いったん終了いたします~
<講義メモ、その10 最終回>~了~
※内容は改変されることがあります。
どうぞこちらもご参照ください。
<講義メモ、その3>よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる
これから開催される瞑想会情報はこちらでご確認いただけます→「瞑想会、イベント情報」
<もっとブッダの教えを学びたい人に、オススメの本>
![]() |
苦しまなくて、いいんだよ。 |
プラユキ・ナラテボー | |
PHP研究所 現代の対機説法! |
![]() |
|
プラユキ・ナラテボー | |
佼成出版社 プラユキ・ナラテボー師のデビュー作! |
![]() |
サンガジャパン Vol.11(2012Autumn) |
アルボムッレ・スマナサーラ,田口ランディ 吉福伸逸,内田樹,為末大,名越康文,プラユキ・ナラテボー 篠浦伸禎,ネルケ無方,加藤俊朗,鈴木秀子 | |
サンガ (ナラテボー師記事より…)チャルーンサティ法は、集中力やラベル選択力などの何らかの技術を高めるとかではなくて、手や足に戻ってこれたら何はともあれ「オッケー。◯(マル)!」って感じですから、「集中が続かない、ダメだ」「上手にラベルが貼れない、ダメだ……」と「ダメ出し」する必要もなく、マルを増やしていく感じですので、誰でもが気楽にやっていける方法だと思います。 |
![]() |
仏教要語の基礎知識 |
水野 弘元 | |
春秋社 仏教用語の確認に使用中です。 |
![]() |
ポー・オー・パユットー仏教辞典(仏法篇) |
野中耕一(編集、翻訳) | |
サンガ 仏教用語の確認に使用中です。 |