今日は原子爆弾が、広島市民の上に投下されてから・・64年。
被爆者の気持ちを考える時、その苦しみは、如何ばかりであったか。
広島、長崎の被爆地を見ずして、想像で語って貰いたくないですね。
今回オバマ大統領の呼びかけは、・・遅きに過ぎた感ですが、世界で初めての
被爆国日本人が、この機会に、総出で、立ち上がらなければ・・。
ゆずりはが生きている間に、核廃絶のニュースが、聞きたいと、強く、強く
念じています。
広島、長崎の現状を知っている世代はだんだん、少なくなってきています。
まして戦争そのものを知らない人が、多いのです。
8月になると、身の置き場がない ゆずりは です。
原爆の落ちた後、工場視察に、現地入りをした父は、あの暑い夏の日、
真黒な汗を拭きながら・・帰宅し・・以後無言。言葉に出来なかった苦しみを、
押し殺していたのだと・・今改めて思います。
その後永井博士を追うように、急性骨髄性白血病を発病。元気だった父は、
日に日に衰弱。歯茎からの出血が、止まらず、20日間の闘病で、で、50歳の
命を閉じたのです。
病院の治療は、あくまでも、原因不明。来る日も来る日も、口の中の脱脂綿を
取りかえるのみ、顔の前には流れ出る血を受ける洗面器。
毎日、毎夜 教授たちが、原因追究に、追われたとか・・聞きました。
今の平和を見せてあげたかったです。
折角世界が、やっと目覚め始めた、のですから・・どんなことがあっても
きちんと核廃絶まで、持って行かねば・・と思いますね。
ゆずりはは、広島、長崎にも、2度ほど行きました。ドームを見、遺品を見、
心を痛めましたが・・ついに、今日まで口には出しませんでした。
高齢になった今、知らない世代に、伝えていこう。関心を持って貰おうと
投稿に踏み切りました。
一人でも多くの人に、この際このチャンスを逃しては・・と胸に秘め続けたものを吐き出しました。
一部、戦争を非難した人もいましたが・・多くは黙して語らず、の時代だったのです。
広島、長崎に行く機会があったら、是非訪れて下さいね。
オバマ大統領が、「私達は、核兵器廃絶のために、活動する責任がある」とおっしゃいました。使った国の大統領が、廃絶を口にし、大きな希望を持ちたいと思います。
父は、きっと悲惨だけではない、何かを見たのだと思います。一人飲み込んで苦しんだと思うと、可哀そうで、なりません。
親孝行は、出来る時にやるものです。
pimocoさん、今の貴女は、心からの親孝行をなさいませ!。
なでしこ家は良い教育をしていらっしゃいますね。
聞く耳を持つ・・大切だと思います。
空襲の話・・したことがありませんね。私達でさえ。
身近に起きた事さえ、しっかり、受け止める事ができませんでした。
日本は被爆の苦しみを知る、唯一の被爆国です。この悲劇を二度と繰り返さないためにも
あらん限りの努力をしていかなければなりません。
お父さんの50歳というと、今ならば、まだまだ青年のような年なのに、黒い雨とか、黒い汗、原爆は本当に、悪魔のように広島、長崎の頭上に炸裂したのですね、
これからは、日本も戦争の怖さをちゃんと知らしめる教育が、必須だと思います。やってんのかなあ。
世界で初めて、実験的のように原爆が投下されたんですね。
アメリカ人の6割が原爆投下は正しかったと、思っているようですが、
本当に悲惨な出来事でした。
これが無ければ戦争が終わらなかったと思うと悲しいです。
ゆずりはさんのお父様は、直接被爆したわけではなく
原爆の落ちた後に現地入りして、被爆されたんですね
当時の原子爆弾は今より威力は少ないとはいえ、
驚くべき威力をもった怖い爆弾だったんですね。
今でも核開発をしている国もあります
平和を望んでいる日本人からは何の為の核かと
この平和な時代に、必要の無いものだと思いますね。
ゆずりはさんのお父様の悲しく悲惨なお話を知り、
戦争を知らない私たちは、これからもっと多くの若者に
原爆の事を伝えて行く必要と義務を感じました。
日本が戦争をした事を知らない若者も増えているようですから。
お父様の辛い思い出がおありだったのですね。
私もこの時期になると孫達に戦争の悲惨さを話します。(20年3月の東京大空襲を体験したものとして)
核廃絶!声を大きくして叫びます。
お父様の壮絶な最期を胸に秘めておられたのですね、核廃絶に向かって今からでも遅く無い、
今こそ世界が団結して、核廃絶をですね。