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水曜日ですね。「まだ水曜日かよ」と思うのか「もう水曜日なのか」と思うか、
ただ「あ、水曜日だな」と事実だけ受け入れるのか…
というね。3番目を選べる人になっていきたいものです。(ヨギーニならば)
ただ「あ、水曜日だな」と事実だけ受け入れるのか…
というね。3番目を選べる人になっていきたいものです。(ヨギーニならば)
先日近所のドンキホーテにいった際、狭い階段を下りようとした時に、下から別の人が上ろうとしていたところでした。
私が端に避けて待っていると、
それを察して急いで上がってきてくれて、
お互いにありがとうを言いました。
もうさ…
人間ていいよね。
って思いました笑
さて、母は小さい頃本当に色んな話をしてくれたなと、最近よく思います。
母は信心深いというか、
父親は牧師の家系、母親は寺の娘という、
「あの当時よくその二人が結ばれましたね…」と言いたくなる
異宗教の両親の元に育った人らしいのですが、
父親は牧師の家系、母親は寺の娘という、
「あの当時よくその二人が結ばれましたね…」と言いたくなる
異宗教の両親の元に育った人らしいのですが、
そのおかげか道徳心や、ものの捉え方なんかを枕もとで話してくれました。
例えば、学校で一番偉い人は?と私に問い、「校長先生」と答えると、
母は「学校に朝一番に来てカギを開ける人」と言っていたような、
そんなお話が多かったです。
これを聞いて育ったので「偉い」の意味をよく考えるようになりました。
本当の功労者に光をあてなさいということですよね。
特に、陰で支えてくれている人は評価を受けにくい境遇にあるんだなと、
時々思い出して母に感謝しています。
最近私は大切な人達に与えてもらってばかりで、
何もお返しができていないような気がしてならないんですよね。
紐解いていくと劣等感なんかに結びついてきそうなんですが、
自分で自分を評価するのはなかなか難しいものです。
自信を無くしている時や人と比べてしまう時は、
自分の苦手意識のある部分と、
相手の輝いている得意な部分を比べがちなので余計にです。
そんな「誰かの役に立ちたい」
という思いが恐らくは、世に言う承認欲求の源泉なんだと思います。
誰の役にも立てない自分→他人に認められている自分→誰かの役に立てる自分というね。
〇〇したい。〇〇が(して)欲しい。と望んでいる状況ということは、
それが手に入っていない状況です。
引き寄せの法則のお話をちょいちょい書いていますが、
この思いが強ければ強いほど「手に入らない状況」を引き寄せる。
なのでマインドチェンジが急務なのです。
今の私に。笑
私は役に立てる
その為の努力もできる
と、繰り返しイメージトレーニングをしてアンカリングしていくことが、
状況を打開する鍵ですよね。
自己暗示めちゃくちゃ大事。
というわけで、
梅雨のせいかコロナのせいかなんとなく気持ちが塞ぐ今を
自分でなんとかしたいと思います。笑
みやぞんさんが言ってました。
「自分の機嫌は自分でとる。人にとってもらおうとしない。」と。
本当にそうですよね。
他人任せにしていると、
金属のように外の影響で完単に熱くも冷たくもなってしまうもの。
深呼吸して、
瞑想をして、
地に足をつけよう。根をはろう。
やる❤️