今もなんとなく自粛を続けている今日この頃。
大好きなものを根こそぎ取り上げられて、
それでも出来ることをしようと頑張ってはみるものの、
なんとなく日常から好きな色が消えてしまったようで、目に見える景色に味気なさを感じてしまいます。
落ち込んでは新しい気づきを得て、立ち上がり、でもまた時間が経つと寂しさに引っ張られる。
そしてまた大切な気づきを思い出したり、新しい気づきと結びついたり、
今これを繰り返しています。
寂しさに引っ張られている時、
私の中の愛情が枯渇しているようで、
パートナーに補ってほしいなぁと思ってみたりしますが、
一周回って自分の中から涌き出てくるものだと気づく。
毎回これを繰り返す。
何かのバイオリズムのように、
愛情が涌き出ては
注ぐ先が見つからずに少しずつ蒸発して、
やがて渇いているように錯覚して気持ちが落ちて、
この渇いている時間さえ与えられた愛なのかと感じで、少しずつまた愛を自分の中で感じる。
今まで生きるのに必死で、なるべく触れたくないと思っていた感情と向き合う意味はなんなのかと考えると、
間違いなくこれから先に起こることへの準備だろうと思う。
必要のないことは1つも起こらなかった人生なので、
今私が学ぶべきことはどこに繋がっているのだろうと、毎日考えています。
樹木の年輪のように、成長と忍耐を繰り返しながら、私の軸は強くなっていくのでしょう。
大切な人を守れる強さを得るまで、
たぶんこの連鎖は続きます。
…いつか準備ができたら、私も母になるのかな?どうだろう。
人は生まれた意味を生きながら自分に問いますが、
体内では生まれた瞬間から次の命を繋ぐ準備を始めています。
お父さんが生きているうちに孫を抱かせてあげられるかはわからないけど、
ご縁があればそういう選択肢もあるのかもしれない。
そんな予感がするのです。
全く別のところにたどり着くのかもしれませんが。
今私は与える愛を学ぶ時期なのかもしれません。
こういうお話が苦手な人も多いかもしれませんが、
行動の原動力が「利益」ではなく「愛」である時、
掃除も洗濯も料理も運動も遊びも学びも仕事も、意味と成果は変わってくる。
そう思います。
この悩みの種も、
愛を原因とするなら、私はもう少し待つ、学ぶを繰り返すんだろうなと思います。
長い長い独り言でした。
やっぱり愛なんだな。
❤️