60歳、還暦、定年を迎えてもしつこく会社に通うおっさんのブログ(旧:風に吹かれて)

60歳定年を迎えても我慢して会社に通う(働いているとは言ってない)おっさんの右往左往、沈思黙考する毎日。

2024/2/27 お年玉と子供

2024年02月28日 01時19分49秒 | 日記

最近は殆どTwitterにへばりついていて、ブログはとんとご無沙汰というか、自分の中で優先度が下がっているのだろうか。

昨日から、どうもおかしい。愛用していた水性ボールペンが見つからない。パソコン仕事でミスタイプが異常に増えている気がする。いや、実際にミスタイプは多い。今までならしなかったタイプのミスタイプをしている。私は未だに親指シフトを愛用しているのだが、これだとミスタイプをしたか否かがすぐわかる。いや、それは誰でもそうか。いずれにしろ、とにかくミスタイプが多い。

ペンが見つからないし、今日はワイヤレスヘッドホンのイヤホンを滔々一つなくした。「とうとう」と打って変換したら「滔々」と出たので、普段なら修正するが面白いからそのまんまにしておこう、で、イヤホンをなくした。
今まで約2年半ほど愛用していた。私は電車の中でラジオをradikoで聴くために片耳だけで使用することが多かったのだが、何の気なしに外してそしてどこにあるのかわからなくなることがよくあった。あったけど、自分のやることだから大体どこにあるのかはわかるし、そんなに遠くまでいくはずがない。
ただ、今日はどれだけ探しても見つからない。
多分、バスの中でラジオを聞いていて、降りたか店に入ったときかに、上着として着ているパーカの大きな外ポケットに入れたんだと思う。で、そのポケットには時節柄手袋を入れたり出したりしていた。多分、出したときに一緒にポロッとこぼれ出たんだと思う。
帰りの地下鉄の中でradikoを聴こうとして気がついた。
上野広小路から神田まで来ていたのに、「もしかしたらどこかにあるかもしれない」と思って上野まで引き返して今日歩いたとおぼしき中田商店や二木の菓子や御徒町のUNIQLOなどなど探し回るが当然見つからない。
まぁいいや、あきらめた。別の新しいイヤホンを買うきっかけが出来たと思おう。


というはなしではなく。

Twitterで、色々な人の意見や感想や主張や愚痴を読んでいる。
色々読む中で、誰かの文章を読んだのか、自分で考えたのか定かではないが、こんなことが頭の中にある。

小さいころ、お正月にお年玉をもらう。このもらったお年玉を貯金するか、欲しかったものを買うかで、その子のその後の人生が決まるような気がする。
親に言われたのだろうか、貯金する子は、もらったお年玉をほぼ使わずに、またはほんの少しだけ使って、郵便局やら銀行に貯金する。
そして、10万円とか20万円とか貯めて、親に褒められたり、兄弟に尊敬されたりする。

一方、欲しいものを買う子供。お年玉をもらったら、前々から欲しかったおもちゃを買う。今だとゲーム機やゲームソフトなんだろうけど、もうすぐ還暦のおっさんの子供の時分は、うーん、なんだったかな、近所の文房具屋を兼ねたおもちゃ屋で正月の凧を買ったり、プラモデル買ったり、だったかな。

まぁとにかく。
欲しいものを買う子供は、お金は残らないけど、その時に欲しかったものを買って遊んで、「好きなことやって楽しかった」という思い出が残る。この小さいころの思い出は一生残る。
一方、貯金した子供は、子供にとっては大金の10万円やら20万円は残るけど、大人になると10万20万ははしたがねとは言わないが、まぁ一カ月も働けば手に入るし、10万円を貯金するのも、よっぽどの浪費家でなければそんなに難しいことではない。

子供の頃に一生懸命貯めたお金は、当時は大金に思えても、大人になってみればそんなにたいした額ではない。
貯金してた子供にとっても、「小さいころはお年玉を一生懸命貯金したなぁ」という思い出は残るかもしれないが、でもそれだけ。
おもちゃで遊んだような記憶には残らないんだろうなぁと思う。

おなじ1万円でも、それで何かを買って遊べば、もしかしたら友達と遊んでそれが一生の思い出になったかもしれない。そんな可能性を秘めた1万円だったかもしれないけど、銀行に貯金したら、それはただ1万円としての価値だけを持って、通帳の数字として残るだけ。

で、この歳になって思うんだけど、会社に行って働くけど土日はあまり何もせず、今であればネットサーフィン、昔であればパソコン通信(同じか)、または読書でもなんでもいいけど、要は給料もらってもあまり遊ばずに貯金してきた人は、定年間近になって、あるいは定年になって、貯金してきたお金は残るかもしれない。
平日は会社の往復、休日は家にこもって遊びにも行かず、友達とも遊ばず、お金を使う当てがなく結果的に貯まってしまったのかもしれない。

一方、学校を出てから働きだした彼。土日は草野球のチームで試合やったり、趣味のカヌーであちこち行ったり、合コンしたり飲み歩いたり、とか、早々に結婚して子供ができて、家のローンを抱えて働いて、でもローンでアルファード買って(偏見)、休日には家族で出かけたり、夏休みには旅行行ったり、で結構な歳になってもお金はたまらなくて、定年間近になっても1000万も手元にない。でも、奥さんや子供や孫がいて、友人たちが沢山いて、友達も多い。
いや、定年迎える人の手元に1000万ないのが、多いのか少ないのかわかりませんが。

まぁとにかくハナシが長くなったけど、子供の頃にお年玉を貯金していた人は、大人になっても貯金に励んでいるような気がする。で、定年迎えても独身で(ここらへん偏見です)、お金はあるかもしれないけど、周囲には奥さんもいなければこどももおらず、周囲に友達もいない。 いや、あくまでも偏見です。

一方、お年玉は欲しいものの為に使っていた子供は、大人になっても欲しいものを買い、それで楽しい生活を送り、友達もおり、奥さんも子供もいて家庭を持って楽しく暮らしていそうな気がする、というお話しでした。

色々と考えていた割には、文章にすると稚拙だな。「こんなことを書きたかったわけではないのに」、という方向に行ってしまうのは、まだ未熟なんでしょう。

お金の使い方というのも、慣れというか習熟が必要なんだろうなぁと思う。
お正月のお年玉はその練習と訓練をする絶好の道具と機会で、「欲しいものを買って遊ぶと楽しい!」ということを学習するよい機会なのかもしれない。

そういう訓練というか経験をしないと、ある程度大きくなっても、相変わらずお年玉をもらっても遊びの道具(今ならゲーム機、か)を買うでもなく、盛り場に着て行けるようなおしゃれな服を買うわけでもなく、ただ貯め込むことしかできずに自分にとって有効な使い方をする練習もできず、考えるきっかけにもならず、ただ貯金していくだけだと、せっかくの成長の機会を失ってしまうなぁ、と思ったり。


そんなことを考えてみたが、それを文章にしようと思って延々と打ち続けてみたが、ミスタッチ、ミスタイプが多くてイライラするばかりだった。
ほんとうにどうしちゃったんだろう。老化か、それとも脳の病気も稀触れか・・・・・




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする