僕らは、目の前の人が何か話している時、その言葉の意味を理解する事で、大きな影響を受けて、感情が揺さぶられたりする。
ただ、言葉を「雑音」と捉えたらどうだろう?
そこには感情を揺さぶる要素がなくなる。
人間は、その雑音を、「言葉」を介して意味合いを理解し、「感情」が揺さぶられるという図式だ。
それぞれの側面を考えてみる。
まずは、「感情」から考えると分かりやすい。
僕は、人間が何かやろうとした時に、1番しんどいと思うのが、この「感情」というやつがある事だと思っている。
最初の文書でも残したとおり、始めの一歩って本当にキツイ。
それは、確実に感情のせいだ。
脳が、始めの一歩を踏み出す前に、全体の労力を勝手に試算する。
ゴールまでの道のりを思うと、思わず、「何の感情もなく、機械的に動けたら楽なのになぁ〜」
などと考えたりする訳だ。
もちろん、「感情」を上手く飼い慣らしている時は、これほど頼り甲斐のあるものもないだろう。
人間にとって、「感情」とは諸刃の剣という訳だ。
一方で「言葉」。
これを上手く使いこなし、「感情」に訴えかけられれば、自分というマシーンを上手に乗りこなす事ができる。
それは、とてつもない武器でもあるが、これに頼りすぎても、良くない。
人間の脳は、放っておくと、やらない理由を物凄く上手に見つけてくる。
思考過多になって、動けなくなるのが目に見える。
長くなりそうなので、今回は、「感情」と「言葉」について考えるに留める
活用方法などは、また、別の機会に預けよう。