ふらっと風流記

自分の考えを深堀りしてみたり、意味のない事をあえて残してみたり。
自分の人生を生き続ける為の道しるべを綴ったり。

面倒でも文書書いてみる理由

2021-09-12 20:41:00 | 日記
前回の答え。
頭の中の整理の為。

頭の中で考えている事のほとんどは、昨日も一昨日も考えている事だったりする。

それをこうやって文書にすれば、自分の頭の中を整理する事ができる。

文体も考えた。
「です・ます」にせず、「だ・である」と言い切る形にしようと。

理由は、自分の頭の中身をだしていくのに、丁寧な文体にしてしまうと、自分というより、他人に向けて取り繕った文書になってしまうと懸念したからだ。

つまり、ここでの内容は、他人にどうこうしてもらうものではなく、あくまで、僕個人のためというのが第一にあるべきなのだ。

普段の社会生活における他人に対しての自分ではなく、自分の為の自分自身の内容。

平たく言えば、アイデンティティ・イデオロギーの整理・確認の様なものだ。

人間の頭の中で考えている事は本当に面白いと思うし、実に興味深い。

今、それぞれが、頭の中で考えている事は全く分からない。

それとは別に、社会生活とは、言動をとおして、それぞれが調和していく様だと思う。

そして、僕は、調和する前の個人の頭の中にあるディープな内容が、結局1番面白いだろうと思うのだ。

文書を書いて、その楽しさを享受していこうと思う。

最初の一歩を踏み出す事はなかなかに大変な事である

2021-09-12 17:49:00 | 日記
僕は基本、面倒くさがりである。

なかなかそう思われないのだが、実は相当なものである。

確か、小学四年生の夏休み。

7つ程上のいとこのお兄ちゃんに、
「そんな面倒くさいってずーっと言ってたら、そのうち、生きるのも面倒くさくなりそうだね」
と言われた。

「なるほど。確かに!」
と反省し、5分おきくらいに「面倒くさい」と言っていたものを、できるだけ片手に収まる様にしようと思った。

今考えると、いとこの
「生きる事が面倒くさくなる」
というのは、物凄く的確な人生の真理だと思う。

人間は物事を理解していくうちに、やる前から、それが完了するまでの手間を見積もる様になる。

つまりは、
大人になるとは
=全ての事が面倒だという事にどんどん気づいていく事
だと言い換えられる

人生におけるだいたいの事は面倒なのである。

これが、最初の一歩を踏み出す事に、だんだん勇気が必要になるカラクリでもある。

そんなこんなで、この最初の文書を書いた自分をだいぶ褒めても良い。

では、なんで文書書いたの??
って事は、また次の機会に持ちこそうと思う。