⚫ときど記(昨日)
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今後の方針についてまとめました
能登の地震で被災した皆様へ
この度の地震で被災した皆様、生活が大変ご不便な状態だと想像しています。
ご心労も大きいことでしょう。
停電してしまった地域の皆様は、昨夜曇り空だったかも知れませんが、夜空を見上げた方もたくさんいらっしゃるかも知れません。
爺は中越地震で震源地のすぐ近くに住んでいたために直撃を受けた経験があります。
ちょうど暗くなった時間で、揺れた瞬間に停電し(電線が切れました)、突然80cmくらい落っこちたような縦揺れでしゃがみこんだ後に激しい横揺れを経験しました。
家の中は真っ暗になったので、両親と当時家族だった愛犬と共に家から飛び出したのを覚えています。
こちらは1/3くらいのお宅が全壊判定を受けました。
実家は半壊。
翌日、壊れた家の中に入ると、人力では動かすことが出来ない重たさのタンスが、地震の時に爺がいたすぐ脇に吹き飛んでいました。
家の中にあった大きな電気温水器のタンクも吹き飛んで、父親のすぐ脇に吹き飛び、父はかすってしまったので、少しだけ怪我をしました。
窓ガラスの半分が吹き飛んで落ち、割れてしまいましたし、残っていた窓ガラスも枠から外れているものがたくさんありました。
全て、鍵がかかっている窓ガラスでした。
玄関の引き戸も半分開いて動かなくなり、泥棒さんいらっしゃいという状態になり、家の中のもの全てがあちこちに吹き飛んでいました。
爺も父も、立っている場所が30cm違ったら生きていなかったかも知れません。
でも、生きていました。
あの日の夜...
天気が良く、辺り一面は停電で、夜空が綺麗だったことを今でも覚えています。
夜空を見上げて思いました。
生きてるじゃん。
なら大丈夫。
あの日からずっと、たくさんの余震を経験しました。
震源地の方から、大きな地鳴りの音が聞こえると、その直後揺れるという余震をたくさん経験しました。
そして、何日もかけて、めちゃくちゃになった家を片付けました。
犬は家が怖くなって、しばらく家の中に入らなくなりました。
避難所に行きたくても、玄関が閉まらないので、行くことが出来ませんでした。
眠るのも、家の前に車を停めて、車の中で眠りました。
たくさんの泥棒が来ました。
隣町は全国から集まった警察官が全ての道路の入口に24時間体制で立つようになり、泥棒を防ぐための見張りをしました。
爺も数回警察に電話をしたくらい、普段誰もいない農道に車が停り、辺りを見ている県外ナンバーの車がたくさんいました。
家はめちゃくちゃでしたが、東日本大震災の時のように津波がなかったので、家の中の物はどこかにありました。
片付けながら探すのは大変でしたが...
我が家周辺は地盤の関係で、市内のごく一部だけめちゃくちゃに被災し、それ以外の場所はほぼ被害がありませんでした。
そんな地域は稀だと思います。
他の地域は、避難所に救援物資が届き、場所によっては自衛隊がやって来て、炊き出しや風呂を作ってくれた所もたくさんありました。
家の片付けは切ない作業です。
特に全壊したお宅の片付けの手伝いは、自分の家では無くても涙が出そうになりました。
でも、命があったので今があります。
大変なことはたくさんあると思います。
しかし、生きていれば大丈夫。
無理なく、日常を取り戻されることを祈っています。
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