久しぶりのブログ!
というのは長い間考え事をしていました。
月の灯り事業所のMさんの退院、そしてTさんの幻聴や病気の話し・・・自然と自己研究が小さな場で自然に始まっていました。
そしてそれを聞いていた息子がある日から語り始めるようになりました。
幻聴や幻覚について。
退院してもうそれは治り無くなったと思っていたのに、本当はまだあったのです。月の灯り事業所に息子が利用者となり入ったことで、仲間から語ることを知り、そして今では安心して病気になれました。
退院=治った⇒リカバリー・・・これこそ親の妄想にしか過ぎないことが暴かれたのです。
それはわずか二月前のことです。
それからべてるの本をまた読み始め、そして観察者の目で当事者を見、そして職員として寄り添い、協働し、そしてまたその自分を含め全体を好奇心旺盛な観察者の目で見・・・
そんな時外務省の外国人高校生招聘事業で中国の16歳の少女が我が家にホームステ-に来た。大きな中国そればかりが中国だったが、予期せぬ中国人少女との2日間の滞在で私は小さな中国に会いました。それは自分の思っていた中国とは違う、全く別の中国でした。同じ人間、しかしまったく違った別物の文化をもっていて、日本の文化のはかりでそれを計りどうのこうと評価することのナンセンスを知り、そして面白さを感じた。
今の大騒ぎの自体の中、反日デモなどはそれはほんの一握りの人たちの行動で本当は皆日本ファンだと、そしてアニメや漫画が大人気で文化の中心になっていて、それを提供しているのが違法コピーで、「中国人は何でもコピーします。コピー大好きです。コピーは中国の文化です。」その一言に大笑い、そしてすべてに通じたのです。まさに文化の違い、それを良し悪しということはナンセンス。
そこから統合失調症の文化があるのではと思った。文化が違うことで、大多数の人の文化が少数の人の文化をおかしいという。統合失調症も文化の一つで、それを正常と思う人がおかしいと言うのではないか!
違うTさんがよく「ゆれる」ということを言っていた。それがいつも病気の鍵だった。今日「17歳のカルテ」という映画を見て、その最後のシーンで「Amplifier」ゆらぎ・・とう言葉が出てきて、そうだ「The culture of Amplifier・・ゆらぎの文化」というのが頭に思い浮かんだ。
そう今日からこのゆらぎの文化を研究する。
それを知ることがかぎだと思う。統合失調症は大きなゆらぎを持つ文化だ。小さなことが大きなことにゆらぎ、心を支配し圧倒する。そして反面大きなことがゆらぎ、小さなこととなる。常識人に大きなことが、ゆらぎの文化人には小さなことなので、それを常識人は異常だという。
前に「力の文明」と「愛の文明」、「戦争文化」と「平和文化」のことについて言ったが、それとつがながる。
常識人のこことは今にいつもある。時間の中で揺らがない、しかし「ゆらぎの文化」では時間の中を揺らいでいく。心ここに定まらずだ。思いが過去に飛んだり、或いは未来に飛んだりする。そうするとそこにはその人の体があっても心は飛んでいる。それを見て、おかしいと思う。そう「ゆらぎの文化」は4次元的であり、そのゆらぎの方向は時間軸なのだ。
続く・・・
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