近頃、新聞社も報道機関も小出しに情報を出してくれてきだした
日本を揺るがしている過去の政治問題や戦時の出来事を
端的にお花畑の私たちに読み易く記事にして情報公開してくれている
素晴らしい方もいる(福沢諭吉・森清勇)
それら記事をどれだけの一般国民が目に留めてくれるかが問題である
私も一週間に渡り日本人として誇りや自尊心を高ぶらせてくれる人の話を掲載してきた
この文章が私個人の言葉で記事にする能力があればどれだけ素晴らしいことかと
文章を書いた人を妬んだり羨ましがったりしています
そういう方さえ越える先人が日本には多く居た事を知る機会になった
私は7歳頃から世界第二次戦争で超弩級艦もろとも海の藻屑となり
戦死した叔父さんの海軍学校の写真や軍艦の写真を見ながら育った
縁側の端に勉強机と一緒に遺品として残されていた
優秀が故、愛艦と共に海の底へと旅たった
両親には堪えがたき事だが家族も親類も誰一人、戦争・国を憎む者はいなかった
私たちが余りにも戦死した叔父さんの写真や遺物を見るため親が心配し
いつしか何処かへ隠され見ることも出来なくなった
私は自分の子供を防衛大学へ入学させようとしたほどである
残念だったが能力及ばず他の大学へ進ませた
私が未来の日本建国を任される立場にあるならば
憲法を改変し軍隊を明文化し、その第二条に書き添える
日本の政治及び国政を司る国家・地方公務員上級職の子弟は
全て戦争になれば一等兵・二等兵と成り最前線の戦闘要員となり
国家の楯と成ることとする
明治の武人は我が子を最前線にて戦わせている
世界を見回しても強い国家の政治家・国政を司る権力者たちは
一般国民より我が子を最前線に送り込んでいる
こういう立派な法律を作れば日本国には害虫がいなくなる
そんな日本国を建国すれば害虫など住み辛くて逃げ出す
そんな事を考え思い巡らしながら散歩していたら
何となく愉快になってきた
夕陽を眺め
平和なモンゴルで
赤い夕陽が西のかなたへ沈もうとしている
私も以前、戦場らしき場面を経験した事がある
2007年6月29日だったと思う
その日も平穏な日だった
大統領選挙で革命党が勝利し祝賀模様だった
だが一方では不正選挙で勝利したことを不満にした民主党関係者・一般国民
昼過ぎに国会議事堂前で暴動が起きているという情報が入った
外国人の私には関係ない事だが自宅が国会議事堂の直ぐ側だった
午後九時頃だったか野次馬で見物に行った
その頃が一番激しく国立劇場裏(改革党本部だった)が燃えて
軍隊・警官対一般市民の攻防戦
軍人・警官隊は銃器携帯・一般市民は無防備だった(鉄棒・木材・火炎瓶・石等)
スフバートル広場には帰宅しない子供の母親が集合し不安顔
中には見守る市民の制止を聞かず戦闘中の共産党本部へ行く母親たち
私もデジカメ片手に戦闘場面の見える場所へ行こうと思うが足が動かない
色々考えが頭を過ぎるヤバイから帰れとか一隅のチャンスだから写しに行けと
行きたくても足が言う事を利かない・・命令して右足左足と命令して進む
戦場から若者が鉄棒・棒切れ持って逃げてくる・・つい恐怖で後ろを向き一緒に走る
何が恐怖かといえば軍隊や警察官と会えば撃たれるという恐怖
どのくらいの時間だろう脳回路が目ま苦しく巡り判断し決断を迫る(死にたくないと)
私がいる場所は一般市民側・私も一般市民服である
市民服を着た若者たちは私を攻撃したり襲わないと言う事が分かった
国立劇場の側道を抜けると裏が革命党本部
軍隊と警察官が楯の間からこちらを向きバリケードを組んでいる
車二台が盛んに燃えている
側道に野次馬がいる場所から何枚か写真を写す
そこには母親たちが我が子の名前を呼び続けていた
私は1時間ほどいて、その場から戻り自宅へ帰る(帰宅時間11時55分頃)
その時は何も知らなかったが零時を境に道路にいる市民を一斉に
検挙したとの事を翌朝、知ることとなる
何分か遅ければ私は検挙され警察の留置所に入れられる所だった
三日ぐらいは買い物に行くのにも厳しくて夜間は外出禁止令が続いた
心読む
植物は飼い主の心を読む
私は毎日、我が家の植物に健康診断をされている
様子を伺っているとどうも名医である
私が脳の中で考えていることを読み見透かされている
今日は健康状態普通である
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