不思議な思い
幼い頃の目と大人になってからの目は違う
子供の頃、自宅近くの雑木林が深く深い大樹林の山に見えた
強風の日なんか森全体が唸り声を上げ食べちゃうぞと聞こえた
60年も経過し目の前に見える雑木林は貧粗な雑木林にしか見えない
幼き頃、恐怖に怯えた森は何処に行ったのか
雑木林には幾つもの山道があった田畑へ行く道
峠を越えて他の町や地区へ抜ける道もあった
また集落の山には必ずと言っていいほど集落の墓地がある
この墓地へ通じる道は本能的に分かる
そんな場所で過ごした子供時代があるから
全ての場所には必ず神が宿っている場所が存在すると信じていた
モンゴルにも至る所に神宿る場所が存在する
爺さんも大体の場所を言い当てる事ができる!
森の中を乗馬していると不思議な空間が存在したり
川の中州を散策していると不思議な場所を発見する
何年も同じ場所を見ていると
モンゴル特有の自然信仰宗教(シャーマン宗教)と
爺さんの思う場所が一致する!
だから爺さんは神がかりとは言わない!
誰でも自然界で遊んでいれば会得できる術のようなもので
これを神業まで会得できればシャーマンになれる
多少、金品と努力が必要である・・・金が無けりゃ流浪のシャーマンぐらいか
爺さんが住みだした近くの川にもシャーマンがお供え物をしている
何処も同じ
大体、日本の宗教と同じであると考えれば理解できる
日本でも鎮守の森の大杉や松・クスノキ・栢(かや)・ヒノキ等は伐採しない(神宿る木)
裏山の滝や源流は霊山として崇められる!何でもない山が神宿る場所と決められれば
不思議な気持ちになる
何百年と続けばこれだけで神々しくなる・・不思議な場所でもある
毎週不思議なお供え物が置かれている、リンゴ・蜜柑・ビスケット・・かなりの量である
時々、小麦粉を練って百草の化け物のような灯明を作り飾っている
これは国教のガンダン寺でもよく見かける光景である
聞く習いで身代わり像で厄除けや分身を悪霊に奉げると言われている
だからこのお供え物には貧乏人も乞食も手を出さない・・不思議なものである
お供え物が高価な品物である・・・
爺さんが思うには高級ウオッカを製造している会社かモンゴル一の飲料水メーカーが
シャーマンを雇い!安全祈願をさせている?
そこへ何も知らない爺さんはズカズカと足を踏み入れ湧水だの雀の餌になっている
お供え物を写してブログ記事にしているから呑気なものである
でもよくよく見てみればただの川の土手だが
これからは神々しく見えそな気がしてきだした