自然災害の恐怖
日本中が大震災で危ないといわれている
特に関東大震災が危ぶまれている此の頃
東北関東震災では何百兆円もの被災費用を被り
現在でも家屋を失くし将来を見出せない被災者が多く居る
関東へ二週続けて大雨の災害が起こった
何処の河川も同じように災害を受け先週と同じ被害を受けている
今月13日の記事に水と風の恐怖記事を記載した(河川浚渫事業)
現在、関東では川砂採取は河川法か何かで禁止されている?)
自然災害恐怖を子供の頃から経験して育った
我が家は高台にあったので被災はしなかったが浸水被害の恐怖
暴れ川の平野に点在する家屋は屋根を見せるだけで
泥水の中に黒・青瓦だけが見えるさまは子供心ながら恐怖を感じた
毎年梅雨時と秋の台風時期に川は決まって暴れ狂った
子供時代から無学で河川工学を自然から学んだ
土手の崩壊は激流が土手に激突する場所で崩壊はしない
普段は決壊しないだろう反対側の場所が決壊する
なぜなら水が増水し激流が激突する曲がり角は
河川事業で昔からコンクリート化され強固にされているからである
反対側の決壊しないだろう(ありえない)場所の土手が決壊する
暴れ川にはダムだけじゃなく所々に水流の勢いを和らげる堰が建設されている
堰は矢張り強固に作られているが上流・下流の堰の強固部分と土手の間が
激流で洗い流され決壊することを見ている
堰や橋桁に水量にまぎれて流木や大石が鉄砲玉の如く
流されていることを知るべきである
それが堰や橋桁に引っかかると自然界のダムを作り上げる
其処に激流と流木と大石が激突すれば結果はいわずもである
昔の賢者は大雨や濁流時には川へ人が入り込むのを禁止した
それは濁流の中は流木・大石という凶器が流れているからだ
ただの増水だけなら人も運がよければ助かるが
濁流の中の流木・大石に殴られたんじゃ人はひとたまりもない
これが台風や大雨の恐怖である
登下校の思い出
9年間暴れ川の傍の通学路を義務教育を受けるため通った
秋と冬の川は飼い犬・飼い猫のように優しい静かな川だった
餓鬼どもは夏過ぎにフルチンで対岸へ泳げる場所を見つけ楽しんでいた
私など弱虫だったから堰渡りで満足していた(当時の堰は橋の役目もしていた)
川幅の広い場所では砂利採取業者が対岸とロープを張り発動機を使い
大型シャベルを取り付け砂利採取をしていた
ドドーンドドーンと言う軽快な発動機の音が砂を掻くと苦しそうな音に変化する
昔は浚渫を砂利採取業者(一部)に国土建設省河川部署が日本中で
自然災害軽減のため行わせていたのではないか
国家予算の使い方
大型台風が通過すると親たちの顔色が変わる
濡れ縁の雨戸は内と外を孟宗竹で上下二箇所を棕櫚縄で頑丈に縛り付ける
台風時は縁側は強い台風が来ると吹き付ける雨で縁はびしょ濡れになる
此処から雨戸のある縁側を濡れ縁と読んだのかもしれない
家屋の作りも天井側は風の抜け道にする窓があり
床下は床が湿度を持たないように空気抜けが施されていた
大人でも屈めば自由に入り込める高さと空間である
台風時は風が家の天井と床下を咆哮しながら通り抜ける恐怖
暴れ川が発生させる激流の咆哮音を聞きながら熟睡した
風は家屋や瓦を叩きつけ森の木々をバタバタと薙ぎ倒す音を台風が通過するまで暴れまくる
台風の目が通過すると10分20分真空状態で何も聞こえなくなる(静かになる)
耳の中がツーンと痛くなる・・生唾を飲み込み耳の中の空気調整をする
暫くすると恐怖の音が唸りを上げて襲い掛かってくる
これを昔の人は鵺(ヌエ)と呼んでいた
得体の知れない目に見えない化け物の恐怖
子供たちは息を潜め鵺が暴れるのを静まるまでジッと待ち続けた
でも子供たちには楽しみもあった翌朝、家の周りの果樹園では
果樹が落下しているのを神の恵みとして受け取る楽しみもあった
自然が教えてくれる浸水後の堆積ヘドロの意味
河川に上流から運ばれてきた砂や土で出来た中州の意味
ダムも然り河川も日々、上流から流れている水には
上流の山の土を削り取った堆積物が河川やダム底に積もっていることを
そこへ国家予算を使えば自然災害から個人の家屋や財産を
消失させる自然災害を軽減できる一つの方法になるのではないか考えている
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