日々のメモ帳

日常生活での、ちょっと気になった事や、面白かった事などメモしていきます。

『コロナ禍中』/『身近で消えた物』/『小便器』/『子供銀行』/『昭和レトロおじさん』

2021-04-21 17:14:30 | 日記
今、大阪での新規感染者数が『1242人』と過去最多とのテロップが流れた。
大変な事態となって来た・・・

感染拡大が止まらず、いよいよ大阪も『緊急事態宣言』の3度目の発出となりそうである。
これで、『感染抑止』の原理原則である『人と人との接触』を減らすための『人流抑制』が出来るのであろうか。
先週初めに書いた『ダブルスタンダード』とならない、『正しい行動』を促すような『対策』が打ち出される事を期待したい所である。
何よりも必要な事は、『不要不急』の『外出・自粛』と思われるが・・・この『意義』が吉村知事の発言などから、明確に伝わってこない。
飲食店の『全面休業』ではなく『時短・アルコール無し』
『食事はええやん~』と『中途半端』『又、どっちやねん』
『あかんもんはあかん』と『はっきり言わなあかんで』と言いたくなる

そして、マスコミは、相変わらず『5月になれば・・』『ワクチンが救済してくれる』との報道を続けているが、今、一番重要なのは『一人一人の行動変容』を『今一度高める事が重要』と訴え続ける事。
『飲食での飛沫感染回避』『会食は当分避けて』ではなかろうか。

*+*+*+*
こんな中、先週末に書いた『身近で消えた物』に対し、たくさんの『メール』が飛んできた。
『昭和レトロおじさん』の興味深い『コメント』であった。

<小学校のトイレ 小便器廃止>
ちょうどこのメモをアップした翌日の朝、モーニングショーで『学校から消えた物』・・『男子トイレの小便器』が放映されたようで、友人達の家庭内でも『最近身近から消えた物』が話題になったようである。

小学校の男子トイレから『小便器』が消えたとの事であるが、もと校長からのメールに・・
『一歩前』は『死語』となってしまうのか・・こんな事をしていると、ますます『学校』や、外の『公衆トイレ』で、子供達が『タチション』出来なくなってしまう・・・
色々と考えさせれれてしまう・・・と書かれていた。

一つは・・最近では、生れた時から、家では母親から、男の子も『座りオシッコ』。。
確かに、昔は各家庭も『小便器』はあったが・・今は『洋座式』のみ
これが『大事な所をつまんでオシッコ』という基本的な動作を忘れさせてしまい、幼稚園や小学校入学時、『ガマン』してしまって、最悪『オモラシ』や『トイレ・ビチャビチャ事件』を引き起こしたりしている原因かもしれない。
男親が、子供へ、チャント『大事な所をツマンデ』という事が教えられなくなった事も原因かもしれないが・・・外で並んで『放水』の『教育』は・・今では無理であろう。
『小便器』へ『漏らさず』『飛ばさず』『汚さず』といった『公衆観念』は、親から伝える『大事』な事であったが・・今は『小便器』と共に『消えた事』なのかもしれない

そして二つ目は・・『小便器』が無くなった原因が『いじめ対策』だけであれば、なお『問題』かも・・
隔離された『個室』で用を足す事は、昔、男の子の間ではやった『隣のぞき』などでの『いじめ』を『回避』するためだけであればいいのだが・・
我々の頃であれば『お前の小さいな~』くらいで済んだことが、今は『いじめ』へ発展してしまうようである。これも・・親や兄の『フル**』を見ない事からかも・・と書かれていた
昨今『ジェンダー』が議論される中で、『男女』『性』を感じる『第一歩』かもしれない

こうなると『男子トイレ』の『個室化』。『女子トイレ』・・さらには『男女トイレ分け』はどうなのかと、だんだん酔いが回る中で、改めて考えてしまった・・・
彼の娘さんも、教育の現場に身を置いておられるが、何年か前のヨーロッパ視察で『教育現場』を見学時、ある幼年の学校で撮影の、トイレの扉は『腰まで』、当然『鍵』は無し・・の写真を見せてくれたが、西洋と日本との『考え方の違い』に驚いた事を思い出した・・
ついこの間の『森さんの女性蔑視発言』ではないが、『学校設備』の『議論』一つでも、『ジェンダー』を『意識』することも、この『小便器』から、今一度考えさせられたとの事。
ただ、彼の結論で・・・今後、開かれた『教育の場』をどうするのか・・
『学校から無くなったもの』を、単に『昭和レトロ』『あったあった感』で『改革』を考えると、この『小便器』ではないが、『グローバルスタンダード』から『取り残される』事は否めず、あらたな『感覚』『革新』が『必要』となるだろう・・と締めくくってくれた。

もう一つ紹介しておきたい。郵便局へ勤めていた友人からは、前メモに書いていた『預金通帳』へ『子供銀行』『貯金箱』の『思い』を付け加えてくれた。

<子供銀行><貯金箱>
我々が、小学校低学年の時、学校に『子供銀行』があった。月の決められた日に、上級生が担当の銀行員さんへ、10円とか20円の少額ではあるが、ためたお小遣いを渡すと、画用紙で作った通帳へ預入金額を書き込んで返してくれていた。銀行の様な、受付窓口の枠もあったような気がしている。利息があったかどうかは記憶に無いが、必要な時に、返金してもらえ、購買で鉛筆を買った記憶も残っている。
高学年になると、この『子供銀行』そのものは無くなったが、近所の『郵便局』で『通帳』を作ってもらい、貯めた『小遣い』を『預金』し、必要な時は、親に『出金伝票』に『印』を押してもらい、通帳と共に『窓口』で『引出し』をしていた。
こんな事があったから、小さい時から『お金』の大切さ。『貯める』と『使う』の『目的意識』・・『何のため』が、この『預金』から自然と学べたのではなかろうか。
しかし、昨今、小学校では『子供銀行』などの学びの場も、教員負担や生徒間の不公平性回避の点でなくなってしまった様であり、子供達が、直接、銀行や郵便局で『預貯金』をする姿もほとんど見る事が出来ず、『預金通帳』すら知らないかもしれない。

そして、現在、子供達が『お金』を手にする手段は、『お小遣い』や、ジジ・ババからの『プレゼント』が圧倒的に多く、小さな『労働対価』での『お駄賃』は少なくなってきていると、新聞記事で見たことがあるが、これも『貯める』という事。苦労して得た『お金』を感じなくなることが、『預貯金』への『意識』が『希薄』になってきている要因かもしれない。
さらに・電子マネーの伸長が『お金』と言う『大切な物』の『価値』を見えなくさせている感じがしている。

『預金通帳』は『お金』の流れをつかむうえで重要であり、『貯める』ための工夫、『貯まったもの』をどう使うかを考える道具であり、『お金の有用性』『金銭バランス』を学ぶために重要な『ツール』であるが、今は、プリンターで打ち出さない限り、これすら消えようとしている。

『お金』は『アナログ』的である。連続の流れの中で、出入りさせることで『生きてくる』
『電子マネー』では、『入金』が見えず『出金』も把握しずらく、都度デジット感である。
『節約』しよう・・と思う事も少なくなるのでは・・・とも感じてしまう。
『お金』のありがたさが『デジタル社会』『バーチャル』では『学べない』のでは
・・・と『電子マネー』『預貯金』への『思い』を書き加えてくれた。

付け加えて、昔、会社へ入った頃、天引きの『社内貯金』という仕組みもあった・・と書いてくれていたが・・
『社内預金』・・体よく言えば、給与の一部を、会社が『借金』し、実質の『給与支払』を減じる仕組みではあったが、終身雇用制度下での『社員複利厚生』と言う点では貢献していた。
若い社員にとっては、『ムダ使い』を戒め、『結婚』さらには『住宅購入』での『資金準備』などを、『高金利でサポート』する『温情』ある『社内制度』であり、『貯蓄』と言う事を意識付けてくれた。高額引出しには『職場長印』が必要な場合もあり、親代わりの面倒も見てくれていた。月末に『社員預金残高』を、会計課横の『社内預金支払機』で確認していた事を思い起こしたが、いつごろまでだっただろうか。。

何れにしても、我々の世代は『現金』が見えないと、『お金』があるように思えない。
今『銀行預金』をすべて『オンライン取引』とし、手元の『預金通帳』は無くしたが、何カ月か毎にプリントアウトしてファイルへ綴じ込まないと心配である。唯一の『お金』であるから・・

日頃使用の電子マネー(WAON)も、財布の『小銭』と同様、使用明細の『残額』が気になるが、
重さが無いので何となく不安である。

もう一つ、このメールをくれた友人は、今の子供達は『貯金箱』をどうしているのだろうか???と書いてくれていた。
『お金』を『貯める』事の『意義』を『学ぶ』ためには『有用』であるが・・
最近『1円玉』で『多量支払』する事が難しくなり、銀行ですら『預かり』に『手数料』が必要となる。
我々の世代は・・・こんな『言葉』を使うと『笑われる』が・・
『ブリキ缶』へ『硬貨』が入るだけの『穴』をあけ『貯金箱』を作ったり・・両親にねだって、陶器の『ブタ貯金箱』を買ってもらい、『セッセ』と『お小遣い』や『お駄賃』を貯め込み、『重さ』や『音』で、その『貯え』の確認を行い、どうしてもほしい物が見つかった時・・
『貯金箱』を『開き』・・『硬貨』を数え、『欲しかった物』を手に入れた。

この『アナログ的』な『重さ』や『音』は・・『電子マネー』では伝わらない。
でも、今の世の中は『硬貨』すら『消滅』しようとしている。『お年玉』の『紙幣』も『Line Pay』などへ『変身』し、そのありがたさが、ますます薄れてくる。『紙幣』であれば『貯金』へとつながるかもしれないが、これも『電子チャージ』へと『化けて』しまうかもしれない。
『お金』という『重さ』・・『大切さ』がどこかへ『消滅』してしまう。

『キャッシュレス社会』は『お金』の『価値』まで変えてしまうかもしれない・・・
これが、彼が言いたかったことかもしれない・・

『給与』は『労働対価』。子供達にも、頑張ったご褒美『お駄賃』は、大切な『お金』である事を学ぶような仕組みが必要である。このための『預貯金』の『仕組』を『学ぶ』事は、重要な『教育』であるような気がしている。

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この他、頂いたメールにも同じような『アナログ感』が失われている・・との事が書かれていた。
先の『メモ』で『キャッシュレス』や『身近で消えた物』が『次の世代』『孫たち』へ、何か『悪影響』を及ぼさないかという課題に対し、『何かが足りなくなったか』を『探し』『感じ』てみたとの事。

細かい内容は書ききれないので割愛するが・・・
<学校から消えた物>
・小遣い帳 ・・ 前記の『預金通帳』と同様に、『お金』の『出入』を自ら管理
 『貯める』『目的に使う』という、将来に向けた『夢』を託す事が出来る
・絵日記・・・ 『デジタル記録』では表しきれない『着目点』が見える
・ジャポニカ学習帳・・・日ごとの変化を『絵』『図』と共に、文書で記録が出来る
・夏休みの工作・・・『創造性』『夢』を膨らます事が出来る
・木版画、石鹸はんこ・・物を作り出す『創作性』『対称』という知識を『頭』と『体』で『体感』
・単語帳 ・・ 自分で要点をまとめて、書き込む

この『メール』をくれた仲間も、もと教育者であるが、『デジタル』では学びきれない『教育』も多く、『頭』で覚えるためには『会得』を伴う必要がある・・・と、最後に書いてくれていた。

昨年の『On Line 飲み会』の時も、『体育』の授業で『ストリートダンス』は教えることができるが、『逆上がり』『跳び箱』は・・・『AI』も手伝ってくれない・・と話していたが・・・
やはり『アナログ』な『体動』が伴わないと『教育』は成り立たない・・・が、彼の『持論』である。

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別の友人からのメールでは、『オンライン』を受けて、『バーチャル』だけでは『上達不可』との事も書かれていた。
彼は『麻雀』は『プロ級』、『将棋』も『有段』、『勝負事の神様』的存在であるが、なぜかこんな『発言』を残してくれた。
『将棋』のプロが、『バーチャル対戦』する場合でも、『画面盤面』だけを見て『勝負』しているのではなく、手元には『駒』が必ずあるとの事。『駒』の『手触感』『重み』を感じないと、たぶん『仮想』での『勝負』は難しく、アマチュアの『上達』にも『触り駒』は『不可欠』と書かれていた。
『アナログ感』を得ないと、『デジタル空間』では『方向』を失うのかもしれない。
良くはよくは知らないが『麻雀』での『盲パイ』の『極意』なのだろうか。

届いた『メール』に、今日書いてきた『預金』に繋がるような事も書いてくれていた。
『双六』や『人生ゲーム』は、『オンライン』はありえない…との事

『リアル』で『マネー』や『土地』を『紙の札』でやり取りする事で、『自分の目指す物』が見え、『戦える』との事。
『オンライン対戦』も、実質は『アナログ通貨』ではあるが、手元で『勘定』が出来ない。
やはり、自分で『貯め込んで』『勝負をかける』・・これは『リアル盤面しかない』

彼が、いま仲間と『打つ』事が出来ず、悶々としている『麻雀』も、『バーチャル』では『点棒』が『リアル』でないためか、『オンライン』対戦は『休戦中』のようである。
やはり『アナログ』な事は『リアル』なものが無いと、『だめ』なのであろうか。

少し話が横へ行ってしまったが、『ポツンと一軒家の住人』からの『宿題』は、まだしばらく時間がかかりそうである。
『昭和レトロな おじさん』達が『過去の知見で思いついた事』。これが『次の世代』へ活かせる事なのかも・・考える必要が出てきた。

『孫たちへ』を考えると『昭和は遠くなりにけり』・・で、『レトロ感』『あったアッタ感』で『押し付ける』事は、『間違い』かもしれない。
『消えた物』から『どんな問題が引きこされるのか』を『探しだす』事は重要ではあるが・・
そこから、新たな『現代視点』で『価値観』を探り出す事が重要である。
ここから、『伝える事』を導き出す必要があるが・・『今の時代』にあわせ、『変換』して伝える事ができるかどうか。

『原理・原則』に沿った、『預貯金』の考え方は必要かもしれないが、ここからの『お金』の『価値観』は変わってきている可能性がある。『時代』に合わせる必要がある。

『ジェンダー』については、多分『我々世代』は『森さん』に近いかもしれない。 
あるテレビ番組で、ヨーロッパのジャーナリストの方が『動物は群れている』『人間も同じ』『同じ草原にいる』『ライオンの世界でも、オスは存在する』『でも、必ずしも群れでは、オス強くはない』『サルの世界でも、リーダーは生まれるが、各々役割がある』
この『群れているのが、ジェンダーレスの世界』『日本を含めたアジア人は、役割を持って生きていくのに慣れていないような・・気がする』・・これが『知らず知らずの間、女性との上下関係を構築してしまった可能性もある』『古代、卑弥呼の時代はこの構図では無かったかも・・』
そして『長い民族の歴史。例えば狩猟民族と農耕民族が影響したかも』と話されていたのを思い出した。
『ジェンダー問題』を『理解』のためには『時間』がかかるかもしれないし、『理解が出来ない』かもしれない・・・
たぶんこの部分では、『おじさんのあるある』は『反省』ばかりかもしれない・・
次の『On Line 飲み会』で仲間へ問いかけてみたい。
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