日々のメモ帳

日常生活での、ちょっと気になった事や、面白かった事などメモしていきます。

平成から令和へ 元号はデジタルそれともアナログ

2019-05-03 01:05:23 | 日記
このメモを書きかけている最中、令和元年を迎えた。
色々と考えている間に令和も2日を経過した。

改元の前日からテレビで、平成と言う時代、元号が変わるという意義。そして皇室の今後のあり方などが報道されていたが、夜の番組では、若い人達でも、会社の同期は元号で括る事も話されており、元号が持つ意味は何なのかを改めて考えさせられた。

改元のカウントダウンでは『ゴ』『ヨン』『サン』『ニー』『イチ』・・『ゼロ』ではなく『レイ』と叫ばれていたが、この時を受け止めた人たちはどんな思いであったのであろうか。

マスコミ関係の少し過剰な元号改元にあたっての報道もあり『令和』フィーバーを起こしたことは否めないが、我々国民にとって改元とは何であったのだろうか。

先のブログ『新元号『令和』に思う(2019-4-2)』で、元号で示された時間軸は、人生を計る一つの『ものさし』として必須である・・との事を書いたが、日本国民にとって元号が意味するもの、そしてどう捉え、生活の中でどう生かしているかを改めて思い知らされた。

昨日のあるテレビ番組では『渋谷のスクランブルでのあの騒動で若い方はどう思ったのか』の回答が出せないままになっていたが、この日本独自の『元号』が他の国にはない独自文化としてどう捉えられているかは謎のままである。

そこで、元号が何を示し、時代を括るものか、色々と考えて見たが、タイトルに書いた『デジタル』『アナログ』の両方を持ち合わせた不思議な軸であるような気がして来た。

例えば、新年、正月は元号で始まり、来年は『令和2年』である。年賀状やカレンダ、新しい手帳も新元号で表示されることが多いかと思う。
日本国民、若い方も含め、この『元号』で時間軸をリセットし、新たに新しい年をスタートさせるのではないか。
来年の新年度、特に官公庁や教育関係は『令和2年度』でスタートする事になるはずであり、入社や入学もこの『元号』で進むことになるであろう。
この意味であれば、元号は『デジット』のための『ものさし』である。
成人式に集まる若い方も、まだしばらくは『平成**年生まれ』との括りであり、この区切りで懐かしい仲間と再開する事になる。
この意味では、西暦が持たない『歴史の厳格な区切』を元号が担っている。

そして、平成の時代に色々と我々の生活を脅かした数々の災害も、この元号と言うスタンプで残される事で、後世にきっちり伝えられている。
なかなか西暦で歴史を振り返る事は難しいような気もする。
こう考えると『和暦元号』は『デジタル』と、側面で『アナログ』的な括りを得るためには重要なのかもしれない。

歴史を振り返るときには、その時代を特徴する事が起こり、『元号』が歴史を思い起こしてくれる。アナログなデーターをひと括りにする重要なキーである事は間違えない。

先のブログで、明治、大正、昭和、そして平成での時代を象徴する事態を、新聞記事の抜粋で記録したが、この令和の時代、そしてその先の時代となった時に、過去をすぐに思い起こすためには『元号』は重要な意味を示している。

これらから考えると、我々日本人にとって『元号』は、毎年毎年、その一年に区切りをつけ、年末、年度末には反省し、その年の記憶を残し、そして、新たな年のためにリセットするための重要なツールである。日々を区切るという点では、元号は『デジタル』である。

この各元号年で記憶されたものが、一つのパケットとしてつながる事で歴史が形成され、我々の分文化や生活の発展の歴史として、『アナログ』的なデーターとして紐解けるかとも感じている。

そして、もう一つ『元号』が意味する事で大事な事がある。
親との『元号』で示す年齢差である。
ある元号学者の方が、『昭和』と言う元号が、昭和25年をもって廃止となる議論が起こった時、親の年を知るには『元号』が必要との意見もあった・・との話しされていた事が思い起こされた。長幼の序を知るためには重要との事である。

先のブログに記載の世代交代地図でも記載したが、平成世代の親は『戦後の昭和生まれ』であり、今後『令和世代』で生まれてくる子供の親たちは『昭和の終わりから平成の始め』生まれであり、親が過ごした時代背景を知る一つの手立てとなる。
このような親の世代をいち早く知る『時間軸』を得る『ものさし』も『元号』が担っている。

渋谷のスクランブルで『令和』ゼロカウントした若者たちは、新しい『元号』をどう捉えての事なのか判らないが、新しい時代へ一つの区切りをつけ、ジャンプアップしたいとの思いがあればありがたいのであるが。

我々、『昭和』『平成』、そして3番目のステージ『令和』を迎えた者は、安心安全で平和な世の中が維持できる事で、年毎の評価点が高めれるように努力が必要であろう。

世界で唯一の『元号』は、人生を計る『ものさし』しとして、人生に区切りをつける事ができ、連続した歴史の中で時代背景をいち早く知るためには必要不可欠なものと思われる。

今後『元号法』の見直しが再燃する事になるかもしれないが、日本独特の文化を知る時間軸を計る『ものさし』をどうするか。『デジタル』でもない『アナログ』でもない意味をどう求めるかが重要かとも感じている。

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