昨日、昼前に新元号が発表された。
報道などではほとんど予想もされていなかった『令和』という元号である。
正直少し驚いたが、新しい時代への挑戦を感じる名前との印象を持った。
夜のテレビニュースや、今朝もモーニングショーでは新元号の発表にあたっての色々な事が報道されているが、日本人にとって『元号』とは、その中に流れる日本の文化とは何かを考えさせられる一コマであった。
一つは、20年ほど前に大騒ぎしたミレニアムとは違い、これからの歴史として刻まれる名前である。
そして、この元号で示された時間軸は、人生を計る一つの『ものさし』として必須である。
今朝の日経朝刊の社説『新しい元号「令和」がひらく未来は』に『時代を映してきた元号』として報道されている。
記事では・・
元号は政治や経済、暮らしと密接に結び付き、時代の空気を色濃く映し出すようになった。
たとえば「明治」は列強に並ぼうと近代的な国づくりにまい進した時代として、
「大正」は市民社会や大衆文化の芽生えたころとして、
「昭和」は敗戦と復興、さらには高度成長の歳月として。
そして「平成」は、どうだったであろうか。
「失われた」と称されるバブル崩壊後の経済の停滞が続き、阪神大震災や東日本大震災など天災も相次ぎ襲った。
と同時に、象徴としての務めを全霊で果たした天皇陛下が回想したように、我が国にとっては「戦争のない時代」でもあった。
・・・と紹介されていた。
小生は、ベビーブーム後の生まれであり、戦争の体験はないが、歴史を紐解いて、時間軸を思い出すには、両親世代の『大正』、そして『昭和』『平成』という『和暦』『元号』は重要である。
日本が、先の戦争での復興を遂げ、成長していく過程での出来事。オリンピック、万博開催。その後のオイルショック。平成に入ってのバブル崩壊、そして何度かの大きな災害を経験した事も、西暦では計れない『ものさし』である。西暦だと単に時間軸の羅列となってしまうような気がしている。
『昭和』『平成』という名前が付いた時間軸で、その時代を感じた事が、次の『令和』に引き継がれることを期待したい。
元号の由来は、一昨日の毎日新聞のネット版に要約して掲載されており、改めてその込められた思いを知る事になった。
もうすぐ終わる平成という時代は、『地平らかに天成る』『内平らかに外成る』との思いで決められたとの事であるが、阪神や東北、熊本などでの大きな地震や、各所での風水害もあり、必ずしも健やかな時代ではなかった。しかし、他の国と争いを起こすことなく、数々の困難に立ち向かう事のたくましさを体感した時代であったと、後の人々が思い起こすことになるであろう。
[毎日新聞 Net版 画像借用]
そして身近な所では、『元号』で表す時間軸は、
例えば、サラリーマン時代、入社してきた新入社員が『平成生まれです』と話した事や、退職時、平成元年入社の部下が後継者として育ってくれた事など、これも和暦だからこそ、親しく思うと感じている。
西暦だと、すぐには計算が難しく、時代を感じ取ることが難しいような気がしている。
昨日のテレビでも、若い方々は、同期では西暦で会を作られることが多いが、まだ日本では、会社生活、学会、体育会などの縦社会では、和暦の所が多いと感じられている方もおられ、日本文化の継承では重要なのかもしれない。『令和』の和ではないが、その年代の方がなごみ集うための一つの共通情報として必要な事なのかとも思える。
引用した日経記事に『日常生活で元号を「よく使う」「使いたい」と答えたのは60歳以上の年齢の高い層が多く、30歳より下の層では西暦を使う傾向が進んでいる。』との世間動向が載せられており、外務省も西暦への統一表記を打ち出しているが、良き日本文化を継承のためにも、免許証やパスポートなど、公的に身分を表す所へは、元号を示す和暦を残せるようにしてほしいと感じている。
そして、もう一つ気になる事であるが、この『令和』で決った事への報道のあり方である。
今回は先の『平成』の時の様な天皇陛下崩御を受けての改元ではなく、事前に混乱を招かないための移行措置として前倒しで決められた事であるが、前日までは『名前当てクイズ』的で、『漏れ対策』をあたかも『悪政』と揶揄するような報道も見られた事は残念である。
そして、今朝も、海外メディアでのとらえ方や、一部違う解釈の学者の方の方が番組へ登場し、否定的な意見を述べられたり、制定者をいち早く特定する事など、あまりにもヒートアップしていた。
さらには、新元号となった製品の販売を煽るようなフィーバー報道もどうなのかとも感じた。
『元号の意味するもの』『元号改元は何のために』そして『歴史をつくる時間軸』という事で、今後どう日本人として理解し、残すべきかを、責任を持ち報道してほしいものである。
どこかの新聞社のネット記事に、海外メディアが『命令されることで和む日本人にふさわしい元号』と否定的な報道をしたと書かれていたが、この事は今までの日本経済を支えて来た日本人の強さではなかったのだろうか。
ある大臣経験者も『命令』を彷彿させるとのコメントをされているが、『令』は『命』を受けての正しいい行動を示すものであると理解すれば、あるべき姿が見えてくるのではと感じている。
最近の言葉で言えば、『命』は Misson で、『令』は具体的な方向性 Orient 実行計画 Action plan とも捉えられ、自らの責任において、秩序をもっての行動が促されているかと感じている。
この意味は、これからの日本、特にこの『令和』を引き継ぐ若い方々への課題事項と思われる。
安倍総理が報告された元号が持つ意味、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」との思いが、さらなる日本の発展には重要であると、改めて理解した所である。
そして今回の新元号発表の中でもう一つ感じた事がある。
『平成』の時はテレビで映し出された画像で、新しい元号を知ったが、今度はネット画像配信で『令和』を即時に知りえた。
しかし、この驚くべく時間軸の速さの中で、デジタルサイネージではなく、今回も、手書きの『令和』が書き込まれた額を掲げられ、日本語の『文字文化』の大切さを改めて感じた。
各新聞社も号外を発行するなど、日本独特の非デジタルな『文字文化』がまだ大事に継承されている事に感銘した。
昭和を知らない平成生まれの若い方々も、『令和』という文字を見て感想を述べられていたが、『元号』という日本独特の和暦文化と、そこで示された時間軸の中で過ごすことにあまり違和感があるような感じではなかった。
世界の中で唯一、簡略化せずに漢字を使用する日本独特の文化を、今後も継承してほしいものであり、スマホの中からも、文字は消えないでほしいと違う思いである。
5月1日も、又大騒ぎになるような気がしているが、西暦にはない、新元号の出発点で、平成からのバトンタッチとなる。
平和な世界を祈るばかりである。
<追記>
先のブログで作成の『世代交代地図』も、5月までには『令和』を入れ込んだ最新版としたい。
孫、ひ孫、そしてもう一世代増えてくるかもしれない。
【『令和』暦年計算方法】
西暦の下2桁を18で引く (R-18)
2019年 ⇒ ▲18 ⇒ 令和 1年
2020年 2年
2025年 7年
因みに 平成は 下2桁+12(暦一回り)であった
2019年 ⇒+12⇒ 平成31年
2011年 23年
報道などではほとんど予想もされていなかった『令和』という元号である。
正直少し驚いたが、新しい時代への挑戦を感じる名前との印象を持った。
夜のテレビニュースや、今朝もモーニングショーでは新元号の発表にあたっての色々な事が報道されているが、日本人にとって『元号』とは、その中に流れる日本の文化とは何かを考えさせられる一コマであった。
一つは、20年ほど前に大騒ぎしたミレニアムとは違い、これからの歴史として刻まれる名前である。
そして、この元号で示された時間軸は、人生を計る一つの『ものさし』として必須である。
今朝の日経朝刊の社説『新しい元号「令和」がひらく未来は』に『時代を映してきた元号』として報道されている。
記事では・・
元号は政治や経済、暮らしと密接に結び付き、時代の空気を色濃く映し出すようになった。
たとえば「明治」は列強に並ぼうと近代的な国づくりにまい進した時代として、
「大正」は市民社会や大衆文化の芽生えたころとして、
「昭和」は敗戦と復興、さらには高度成長の歳月として。
そして「平成」は、どうだったであろうか。
「失われた」と称されるバブル崩壊後の経済の停滞が続き、阪神大震災や東日本大震災など天災も相次ぎ襲った。
と同時に、象徴としての務めを全霊で果たした天皇陛下が回想したように、我が国にとっては「戦争のない時代」でもあった。
・・・と紹介されていた。
小生は、ベビーブーム後の生まれであり、戦争の体験はないが、歴史を紐解いて、時間軸を思い出すには、両親世代の『大正』、そして『昭和』『平成』という『和暦』『元号』は重要である。
日本が、先の戦争での復興を遂げ、成長していく過程での出来事。オリンピック、万博開催。その後のオイルショック。平成に入ってのバブル崩壊、そして何度かの大きな災害を経験した事も、西暦では計れない『ものさし』である。西暦だと単に時間軸の羅列となってしまうような気がしている。
『昭和』『平成』という名前が付いた時間軸で、その時代を感じた事が、次の『令和』に引き継がれることを期待したい。
元号の由来は、一昨日の毎日新聞のネット版に要約して掲載されており、改めてその込められた思いを知る事になった。
もうすぐ終わる平成という時代は、『地平らかに天成る』『内平らかに外成る』との思いで決められたとの事であるが、阪神や東北、熊本などでの大きな地震や、各所での風水害もあり、必ずしも健やかな時代ではなかった。しかし、他の国と争いを起こすことなく、数々の困難に立ち向かう事のたくましさを体感した時代であったと、後の人々が思い起こすことになるであろう。
[毎日新聞 Net版 画像借用]
そして身近な所では、『元号』で表す時間軸は、
例えば、サラリーマン時代、入社してきた新入社員が『平成生まれです』と話した事や、退職時、平成元年入社の部下が後継者として育ってくれた事など、これも和暦だからこそ、親しく思うと感じている。
西暦だと、すぐには計算が難しく、時代を感じ取ることが難しいような気がしている。
昨日のテレビでも、若い方々は、同期では西暦で会を作られることが多いが、まだ日本では、会社生活、学会、体育会などの縦社会では、和暦の所が多いと感じられている方もおられ、日本文化の継承では重要なのかもしれない。『令和』の和ではないが、その年代の方がなごみ集うための一つの共通情報として必要な事なのかとも思える。
引用した日経記事に『日常生活で元号を「よく使う」「使いたい」と答えたのは60歳以上の年齢の高い層が多く、30歳より下の層では西暦を使う傾向が進んでいる。』との世間動向が載せられており、外務省も西暦への統一表記を打ち出しているが、良き日本文化を継承のためにも、免許証やパスポートなど、公的に身分を表す所へは、元号を示す和暦を残せるようにしてほしいと感じている。
そして、もう一つ気になる事であるが、この『令和』で決った事への報道のあり方である。
今回は先の『平成』の時の様な天皇陛下崩御を受けての改元ではなく、事前に混乱を招かないための移行措置として前倒しで決められた事であるが、前日までは『名前当てクイズ』的で、『漏れ対策』をあたかも『悪政』と揶揄するような報道も見られた事は残念である。
そして、今朝も、海外メディアでのとらえ方や、一部違う解釈の学者の方の方が番組へ登場し、否定的な意見を述べられたり、制定者をいち早く特定する事など、あまりにもヒートアップしていた。
さらには、新元号となった製品の販売を煽るようなフィーバー報道もどうなのかとも感じた。
『元号の意味するもの』『元号改元は何のために』そして『歴史をつくる時間軸』という事で、今後どう日本人として理解し、残すべきかを、責任を持ち報道してほしいものである。
どこかの新聞社のネット記事に、海外メディアが『命令されることで和む日本人にふさわしい元号』と否定的な報道をしたと書かれていたが、この事は今までの日本経済を支えて来た日本人の強さではなかったのだろうか。
ある大臣経験者も『命令』を彷彿させるとのコメントをされているが、『令』は『命』を受けての正しいい行動を示すものであると理解すれば、あるべき姿が見えてくるのではと感じている。
最近の言葉で言えば、『命』は Misson で、『令』は具体的な方向性 Orient 実行計画 Action plan とも捉えられ、自らの責任において、秩序をもっての行動が促されているかと感じている。
この意味は、これからの日本、特にこの『令和』を引き継ぐ若い方々への課題事項と思われる。
安倍総理が報告された元号が持つ意味、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」との思いが、さらなる日本の発展には重要であると、改めて理解した所である。
そして今回の新元号発表の中でもう一つ感じた事がある。
『平成』の時はテレビで映し出された画像で、新しい元号を知ったが、今度はネット画像配信で『令和』を即時に知りえた。
しかし、この驚くべく時間軸の速さの中で、デジタルサイネージではなく、今回も、手書きの『令和』が書き込まれた額を掲げられ、日本語の『文字文化』の大切さを改めて感じた。
各新聞社も号外を発行するなど、日本独特の非デジタルな『文字文化』がまだ大事に継承されている事に感銘した。
昭和を知らない平成生まれの若い方々も、『令和』という文字を見て感想を述べられていたが、『元号』という日本独特の和暦文化と、そこで示された時間軸の中で過ごすことにあまり違和感があるような感じではなかった。
世界の中で唯一、簡略化せずに漢字を使用する日本独特の文化を、今後も継承してほしいものであり、スマホの中からも、文字は消えないでほしいと違う思いである。
5月1日も、又大騒ぎになるような気がしているが、西暦にはない、新元号の出発点で、平成からのバトンタッチとなる。
平和な世界を祈るばかりである。
<追記>
先のブログで作成の『世代交代地図』も、5月までには『令和』を入れ込んだ最新版としたい。
孫、ひ孫、そしてもう一世代増えてくるかもしれない。
【『令和』暦年計算方法】
西暦の下2桁を18で引く (R-18)
2019年 ⇒ ▲18 ⇒ 令和 1年
2020年 2年
2025年 7年
因みに 平成は 下2桁+12(暦一回り)であった
2019年 ⇒+12⇒ 平成31年
2011年 23年