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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森207号

2008-07-21 | 201号~220号
       ■こならの森207号■2005.7発行
表紙 「 タウンウオッチング」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森8月号■

としこの巻頭詩………………………3
イメージサークル……………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン…5
特集「街のいいとこ再発見」………6
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

タウンウオッチング
街のいいとこ再発見

 タウンウオッチングは、参加者の誰かが言ったとおり、「そこに住んでいる人が一番感動する」そんな内面的、再発見の出来事でもある。

 第1回目となる7月3日は予定の絡みから最後の日程である佐野厄除け大師でどうにか合流できた程度だったが、7月10日は最初から参加することが出来た。前日の予報降水確率70%を裏切って、午後より晴天となる。逆に日差しがまして、暑くなり散策には少々の支障が伴うほど。それにも負けず、散策隊は2チームに別れ市内に散っていった。
 少し欲張って、2ルートを掛け持つという具合に。要所要所を的確にと考えてのことだったが、二兎を追うもの………になってしまったかも知れない。

■出 発
 午後1時半集合。簡単なルートの説明などの後、2時少し前に商工会議所前をスタート。日差しが強い、冷房の効いた館内から外へでるとムッとする暑さが迫ってきた。配布された帽子が本当に役に立った。 
 案内役は、安蘇史談会の会長京谷博次さん(東ルート)と副会長の黒田哲哉さん(西ルート)が担当。
 最初は西ルート隊十数人とともに、小島邸・太田邸を見学。そのあと、別れて金仲通りを東に早歩きで影沢医院方面へ向かう。少しすると東ルート隊が佐野教会前に集まっているのを発見。説明を聞いた後で、西ルート隊の予定地点を先回りすべく商工会議所駐車場までもどる。 天明紡績付近に車を置いて、柳川医院(堀田佐野蕃の門)などの写真を撮影(シャッターを切るより先に息が切れる)しながら小径をぬけへて大祝通り(佐野行田線)へ。 

■天明紡績
 佐野市駅前の道祖神社で西ルート隊と再び合流。堀田佐野蕃の門、天明紡績等で説明をうける。現在の天明紡績は昔、秋田輸出織物株式会社といった。その名の通り佐野の縮は海外にまで輸出されていたことに驚く。
 佐野は「繊維のまち」と言われてもあまり実感が無かったが実際にその事務所や工場跡、現存する建物などを見ていくと立体的に実感できた。
 その後は佐野厄除大師へ向かうルートなので、再度東ルート隊と合流すべく平和通り方面へ車で向かった。
 ここから先は終着点まで東ルート隊について取材していく。

■平和通り
 平和通りや平和記念碑という文字を最初に見たときは、いったいどういう意味があるのかと不思議がったが、第一次世界大戦が終わったという記念碑だと聞かされて納得した。

■大正通り
 日程も終盤に近づく。いくら参加者全員がクールビズなかっこうをしていてもここまでくると暑さも身にしみる。シャツの半分は汗まみれだ。
 大正通りを歩くが、かっての佐野駅周辺はいたるところが「大正通り」だったといってもいいくらい、その面影を今に良く伝えている。思いの外賑わいもある。

■佐野駅
 すっかり様変わりしてしまった。本当に選ばれるとは思ってもいなかったが、こならの森で「関東の駅100選候補・佐野駅」などという企画を組んでいた頃が懐かしく思い起こされた。

■ギオン通り
 芸者通りともいわれるほど、当時はにぎわっていたそうである。なにしろ佐野縮は全国シェアの7~8割りを誇っていた時があったのだから………

■佐野町道路元標
 西ルート隊も少したってから道路元標を見学するために旧50号線に姿を現した。
 道路元標については、こならの森202号を参照してください。
 猛暑の中ながらも予定は順調に進み午後4時頃には、両ルート隊とももとの会場に到着。
 おつかれさまでした。

■参加者の感想
 参加者の感想を少し拾ってみよう。
「佐野の知らないところがいっぱいある」
「佐野の町をこんなに歩ったのは初めて、いい経験でした。」
「佐野に住んでいながら歩く機会が無かった」
「昔からあるいい感じの建物が一杯残っていて驚いた。」
「自動車で通過してしまう所も、じっくり見ることができた。」
「今まで通ることの無かった道を通ることが出来た。」

 こうした特に若い人の意見は貴重な財産になっていくと思う。街が本来持っているもの(財産)にも匹敵するであろう。


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