■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

* * * *  *  * * * *
東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森201号

2008-07-15 | 201号~220号
       ■こならの森201号■2005.1発行
表紙 「関東の道後温泉 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森2月号■

結婚しました。………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン…5
特集 「館林の楽しい歩き方」……6
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ


■■■■■■■■■■■■■■■


【本文抜粋記事】

館林市

まちなか散策ガイド

 今回の取材を通して、一番痛感したのは、「佐野は元来、厄除けや佐野ラーメンという、知名度の高いものがあり、さらにはアウトレットもできて好条件が揃っている、何も館林まで来てまちの散策などを取材しなくてもいいのではないか」と「まちやサロン」の係の人に言われたことだ。羨望のまなざしだった。いくら状況(現状)を説明しても、そういわれてしまうと返す言葉に困る。佐野は何が一番いけないのか、気質か、風土か、人間性か、分析にはことかかないのだが………活性化に対する答えはあまりない。ある意味贅沢な悩みなのかも知れない。今回はみなさんとそんな糸口を探りながら、出口について考えてみたい。

 表紙にも掲載したように、四国道後温泉にも似た建物を見たことが今回の一番の触発であった。早速道後温泉のある松山市の観光課へネットアクセス、どのくらいに似ているのか、写真掲載承諾を依頼したら直ぐにオーケーがえられた。掲載しているものは、その時の写真である。
 
・清流が消えてしまった。
 しばらく清流劇場には行かなかったのだが、無くなっているとは思わなかった。こならの森配送ルートであったのだが、その道がだいぶ変わっていった。そしてその近くに、思いもよらない歴史的な建物が建っているとは………これは、建物探検隊でなくても興味津々であるに違いない。
 そんな流れのまちなか散策、スタート地点がこれまたレトロな館林駅という点は評価が高いだろう。そして、写真でも少し紹介しているが、駅前から少し離れたところにある東武鉄道の施設であろう建物が目を引く。よく見ると壁面に東武のマークが浮き彫りされている。コンクリート造りの外観からすると昭和初期の建設だろうか。まだ、ひとつも案内マップに示された場所にたっしていないのに、これほどの驚きであった。次が期待できる。いつも思うことなのだが、こうした取材で一番活躍するのは自転車ではないだろうか、つねに折り畳み式の自転車が欲しいとは思ってきたのだがこの時ほど痛感したことはなかった。さらに電動アシストや、電動バイクがあればいいのにな~と思ったが、ぜいたくか。

 駅前に降りたって、最初の目的地を散策する。綺麗に整備された、駅前通と、映画のセットの裏側かと思われる裏町、細く頼りない路地がことのほか好奇心を刺激した。なんだか忘れていた昭和中期がほのかに薫る。現代社会に矛盾を感じ始めている世代の人は、館林駅まできたら少し道を離れて寄り道してみることをおすすめする。
 今回は車での移動なので、一方通行などがあり案内マップの順番(館林駅からの徒歩を前提にしたもの)通りにはいけなかったので、興味のある方は、順番通りに通ってみてください。
(1)竜の井(たつのい)
 井戸は、曲がり角などが見つけづらく、少しとまどったがたどり着くことができた。以外と駅前ロータリーから近い。案内板が設置してあるので、詳細はそれを参照されたし。


(5)旧二業見番組合事務所
 次に向かったのが本命とも思える、旧二業見番組合事務所。住宅街の一角にひっそりと建っているが、存在感は充分で当時の賑わいが聞こえてくる。現在は集会所として使っているので、中には入れなかったが、内部もあまり手が加えられていないようである。路地を抜け裏側にも回ってみたが、回り廊下となっており「ハレとケ」というのか、興味がわく。表の顔とは裏腹に裏面は質素でもある。ライオンにたとえると、派手なたてがみの様相とはがらっと変わっていた。
 「旧二業」に出会ったときは、本当にびっくりした、というよりも感動した。佐野も最盛期には200人を超える芸者衆がいたというが、建物からするに同規模の賑わいだったのであろう。また、それが現在にまで残っていると言うことの方が驚きだが。

(6)清流神社
 それより前の曲がり角には清流神社があった。井戸を囲む社。最初に紹介した竜の井とはかつてつながっていたという。
(今にして思えば、映画館の清流という名前もここから取ったのだとおおよそ想像がつく)。また現在でも、清流通りという看板を目にすることができる。

(4)外池商店
 旧二業からも見えるほど小道の突き当たりにある。一方通行なので、右には曲がれなかった。外観の写真を撮っていると、中からのぞき見る人影が、あわてて取材の旨を伝えると、快く承諾していただけた。「そんなに古い建物ではないんですよ」と、おかみさんが謙遜しながら話す。

(3)青梅天満宮
 藤原道真縁の天満宮という。場所がよく分からなかったので、近くの人に聞くが、親切に教えてくれた。まだ、人の情が色濃く残っているところでもある。些細なことなのだが、とても嬉しくなった。

(2)毛塚記念館
 一度通り過ぎ、駅前近くまで行ってしまいUターンしてやっと見つけた。江戸時代からの造り酒屋で国の登録文化財となっている。この日は鍵がかかっていて中には入れなかった。

(番外)清流劇場へ
 現在の清流跡地には、ミニFM局がある。ここから少し行くと曲がりくねった道が続くが、そこに趣のある蕎麦屋さんがある。だいぶ昔からしっていたが、今回は思い切って中に入ってみた。お客さんと思ったのか身構える店主とおかみさん。そとにある煙突は石炭を燃料にしていたときの名残だという。なんと言っても入り口にかかっている看板が泣かせる。骨董市にだしたら建物よりも高い値が付くに違いないと思えるほどだ。

(7)鷹匠町の町並み
 この場所もいつも通っていた道である。現在は新しい建物が建ち整備されている。内部の公開は土日が中心と言うことで、これまた中には入れなかった。

(8)館林城土橋門
 こならの森の創刊3号にも登場している城門。昭和58年復元。

(9)旧秋元別邸
 最後の館林藩主にゆかりのある建物という。純和風の建物のそばに白亜の洋館が建っている。当時はハイカラであったのだろうが、今見るときょとんとする。目が点状態だ。
また近くには、
・田山花袋記念館・田山花袋生家・上毛モスリン事務所・向井千秋記念館などのスポットが隣接してある。

■■■■■■■■■■■■■■■