■こならの森216号■2006.4発行
表紙 「 唐沢山と小屋」
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森5月号■
としこの巻頭詩………………………3
イメージサークル……………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン…5
特集「行楽情報」……………………6
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
[映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
イベント情報/協賛店マップ
■■■■■■■■■■■■■■■
【本文抜粋記事】
ちょっとそこまで
G・W行楽情報
■今に残る渡し船
赤岩渡船
群馬県千代田町と埼玉県妻沼町(現熊谷市)を結ぶ、道路渡船。利根川流域でも三つしか残っていない。「県道」なので、運賃無料。年間数千人の利用があるという。埼玉県側では、葛和田の渡しとよばれている。
渡し船と聞くとなんだかレトロで懐かしい思いがする。編者の小学生の頃にも、渡良瀬川に西岡渡しという渡し船があり、その後も生活の足として、佐野市と館林市を結んでいた。後で、ミニコミ誌を編集するようになったとき、またあってみたいと思って近くにお住まいの知人に連絡を入れ、再会することが出来た。10年以上たっているので、面影はあまりないが気さくな人柄は変わっていなかった。小学生当時、乗り賃は30円くらいだったと思う。そうたびたび乗船は出来なかったが、船頭さんの控え小屋によく遊びに行った。実はもう時効だが船頭さんがいないときに、かってに舟を友人とふたりで出してしまったことがある。乗り出しはスムーズに行ったのだが、半ばまで行くと水流の関係かうまく操れなくなった。流れが急になったようにも思え一時、難破、遭難か、とひやり。それでも何とか元の位置まで戻ってこれた。このことは、再会したときにもさすがに話題にはしなかったが、万が一大事になっていたら、船頭さんも管理責任を追及されただろう。そんなことがあったからか、未だに難破船の船長を降りられないのかもしれない。余談の方が長くなってしまった。
編者の時代は、本当にレトロな木造船で長い竹の棒を川底に突き刺し、それをてこにして舟を前に押し出すという航法だった。残念ながら赤岩の渡しは、近代的な動力船、定員24名。「渡し」というイメージからは少しかけはなれているが、ゆったりした流れの利根川を舟で越えてみるのもまたいいかもしれない。
赤岩渡舟の歴史は古く、案内板によれば、利根川十六渡しの一つに数えられていたそうだ。
道路渡し船として千代田町が昭和24年から県より委託を受けて運営している。朝八時半から夕方五時まで航行。普段は、千代田町側に停泊しているので、妻沼側から乗るときは、旗をあげて合図を送る。
昭和22年のカスリーン台風による洪水で辺り一面が水没したとき、この地区だけが浮島のように水中に浮いたのを多くにひとが目撃しているという。
写真はクヌギ並木、新緑の頃は素晴らしい遊歩道になります。また、あたりはミニ水郷で6月にはハナショウブ咲き誇ります。
関東地方ではほとんど絶滅した「トキソウ」などの「高原性植物」が自生しており近くにはこれまた珍しい「ムジナモ」の自生地もある。また、準絶滅危惧種に指定されている「ノウルシ(トウダイグサ科)」の群落もみられる。黄色い包葉が花のように見える。漆のようにかぶれる。群生地には木道が設置されている。
茂林寺沼低地湿原
沼は沖積低地、高台は洪積台地に属しているという。地下には泥炭の層が数メートルもあるという。多々良沼、城沼、近藤沼などの沼も同じような形成を経てきた。佐野市内の安蘇沼などもそれに属するようだ。群馬県の天然記念物に指定されている。遊歩道が整備されていて、ちょっとした湿原(尾瀬)とまではいかないが、手軽な散策には最適だ。また、近くには沼の名前にもなっている、茂林寺があるので、ここも訪れてみよう。おみやげ屋さんも健在だ。
■■■■■■■■■■■■■■■
表紙 「 唐沢山と小屋」
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森5月号■
としこの巻頭詩………………………3
イメージサークル……………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン…5
特集「行楽情報」……………………6
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
[映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
イベント情報/協賛店マップ
■■■■■■■■■■■■■■■
【本文抜粋記事】
ちょっとそこまで
G・W行楽情報
■今に残る渡し船
赤岩渡船
群馬県千代田町と埼玉県妻沼町(現熊谷市)を結ぶ、道路渡船。利根川流域でも三つしか残っていない。「県道」なので、運賃無料。年間数千人の利用があるという。埼玉県側では、葛和田の渡しとよばれている。
渡し船と聞くとなんだかレトロで懐かしい思いがする。編者の小学生の頃にも、渡良瀬川に西岡渡しという渡し船があり、その後も生活の足として、佐野市と館林市を結んでいた。後で、ミニコミ誌を編集するようになったとき、またあってみたいと思って近くにお住まいの知人に連絡を入れ、再会することが出来た。10年以上たっているので、面影はあまりないが気さくな人柄は変わっていなかった。小学生当時、乗り賃は30円くらいだったと思う。そうたびたび乗船は出来なかったが、船頭さんの控え小屋によく遊びに行った。実はもう時効だが船頭さんがいないときに、かってに舟を友人とふたりで出してしまったことがある。乗り出しはスムーズに行ったのだが、半ばまで行くと水流の関係かうまく操れなくなった。流れが急になったようにも思え一時、難破、遭難か、とひやり。それでも何とか元の位置まで戻ってこれた。このことは、再会したときにもさすがに話題にはしなかったが、万が一大事になっていたら、船頭さんも管理責任を追及されただろう。そんなことがあったからか、未だに難破船の船長を降りられないのかもしれない。余談の方が長くなってしまった。
編者の時代は、本当にレトロな木造船で長い竹の棒を川底に突き刺し、それをてこにして舟を前に押し出すという航法だった。残念ながら赤岩の渡しは、近代的な動力船、定員24名。「渡し」というイメージからは少しかけはなれているが、ゆったりした流れの利根川を舟で越えてみるのもまたいいかもしれない。
赤岩渡舟の歴史は古く、案内板によれば、利根川十六渡しの一つに数えられていたそうだ。
道路渡し船として千代田町が昭和24年から県より委託を受けて運営している。朝八時半から夕方五時まで航行。普段は、千代田町側に停泊しているので、妻沼側から乗るときは、旗をあげて合図を送る。
昭和22年のカスリーン台風による洪水で辺り一面が水没したとき、この地区だけが浮島のように水中に浮いたのを多くにひとが目撃しているという。
写真はクヌギ並木、新緑の頃は素晴らしい遊歩道になります。また、あたりはミニ水郷で6月にはハナショウブ咲き誇ります。
関東地方ではほとんど絶滅した「トキソウ」などの「高原性植物」が自生しており近くにはこれまた珍しい「ムジナモ」の自生地もある。また、準絶滅危惧種に指定されている「ノウルシ(トウダイグサ科)」の群落もみられる。黄色い包葉が花のように見える。漆のようにかぶれる。群生地には木道が設置されている。
茂林寺沼低地湿原
沼は沖積低地、高台は洪積台地に属しているという。地下には泥炭の層が数メートルもあるという。多々良沼、城沼、近藤沼などの沼も同じような形成を経てきた。佐野市内の安蘇沼などもそれに属するようだ。群馬県の天然記念物に指定されている。遊歩道が整備されていて、ちょっとした湿原(尾瀬)とまではいかないが、手軽な散策には最適だ。また、近くには沼の名前にもなっている、茂林寺があるので、ここも訪れてみよう。おみやげ屋さんも健在だ。
■■■■■■■■■■■■■■■