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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森210号

2008-07-24 | 201号~220号
       ■こならの森210号■2005.10発行
表紙 「唐沢山 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森11月号■

としこの巻頭詩………………………3
イメージサークル……………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン…5
特集「秋のぷち旅」…………………6
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

プチ・プチ・トリップ

■秋のおすすめ「プチ旅」
 少しもの悲しいこの季節(だから)、少し、ちょっとその辺へ旅に出て見ましょう。
 観光地とか、観光案内には、全くしるされてはいない場所に、自分なりに興味を示す事は良くあります。(特にこならの森の編者は、顕著にそうです………)
でも、ふと疑問に思った地点に、思いもよらない、不思議な、そして面白い風景が表れたりします。今回、最初の出発点はそんなことからでした。いつもは仕事で、当たり前に行き過ぎるルートです。なにも変化などありません。それなのに、いつもは信号に引っかからないのにたまたま、引っかかってしまった、運命の交差点とでも申しましょうか、その地点で何気なく目にした水路の清流が目に焼き付きました。もちろん予定にはなかったので、いくぶんか行き過ぎました。でも、やはり気になってしまって、勇気を持って引き返してきました。そして、取材決行、限られた時間内、タイムリミットが決められている状況での取材となってしまいましたが、満足のいくものとなりました。人々の息吹が、誰もいない写真の中に表現できていたら合格でしょう。

■旅のはじまり………

 掘り割り(水路)にそって進んでいくと、おかしな水取り入れ口があった。入り口は新しいものであると思われる、大谷石造りでモダンである。でも一番気になるのは、水路の水を邸内に引き入れたとしてその後どうするのかということだ。実用性が全くないのであれば、取り入れ口を新設する時点で、面影や、威厳までを大谷石で再現したといえる。
 現在は多分、この地区のどの家も上水道が完備されていて、水路を頼る生活は皆無であろう。それにしても、水の綺麗なことには驚かされる。これは、この水の上流は湧き水か何かなのであろうと思いさらに好奇心をふくらませた。
 しかし、さらに駒を進めて集落を過ぎるとあろうことか、どこにでもある田園風景(田畑)が広がっていて、どこにも清流の水源地を発見することが出来なかった。それどころか、狐に包まれたようで、あの清流はどこから来ているのかと、謎に包まれる。
 佐野市でも、菊沢川で同じ事が見受けられる。幾分か都市部を通過して生活雑排水が多量になだれ込んでいるだろうに、その少し先まで行くと、驚くほど清らかだったりしている。
 これは、単に流れが急であるということに尽きることなのだろうか。
 良く分からないが、北半田地区の清流のその源流が思川だとするならば、合点がいく。
 最近では、思川の下流域に位置する小山市が飲料用水を「小山の水」として販売する計画をしているくらいだからだ。確証はないが、葛生周辺の石灰岩層を何万年もかけてくぐり抜けてきた湧水がもたらしているのであろう。

■少しだけ旅心

「岩崎」
 いつも通っている道なのに一度も足を踏み入れていない道というものがある。
 今回はそうした少し気になっていて場所に、行ってみることにした。
普段は通り過ぎる、三好小学校前の信号機を左にまがる。少し行くと趣のある曲がりくねった街道がある。その先に何かがありそうな期待感。
そんな時もつかの間………
ぷち旅は突然に終わる。

 今回の取材をしていて気が付いたことなのだがこのすぐ近くには、粟野の有名な双対道祖神がある。こならの森40号(1991・8発行)で特集したものだ。バブル崩壊以前の号で、こならの森にとっても一番充実していた頃の号でもあった。14年も前の取材だったためか、まったく記憶になかった。

■旅の神髄

日常から非日常へ

 なんだか「旅」ってその辺に「転がっているものみたい」って思っていただければ、この企画は大成功。そう思わないのであれば(ければ、その次の好奇心(旅心)は産まれ(てき)ませんからね。

■すきま旅行
 ぷち旅は必要なんです。いろいろ安易、割安に巡れますからね、でも核心ではないような、その空しさ、空間のすき間が、ぷち旅の真実かも知れません。この辺の先駆者は松尾芭蕉でしょうか、そして西行にまでたどり着くのかどうかは、秋の夜長の読書にゆだねましょう。読んでから「ぷち」か、「ぷち」してから読むのかは、個人の自由です。どちらにしても、夜長はこれから………本当に長いものなのです………


■ふたたび・栃木の柳川 
 あれ、水路のある町って佐野にもあるよね、それももっと柳川掘り割りに近いような………そうです、ちゃんと取材していますよ、栃木の柳川、水郷田島町。本当に最近いってみたのですが、いまだにどの場所も堀(水路?)がコンクリートブロックで覆われていなくてほっとしました。お目当ての場所も昔通りで何も変わっていません。まちの人の表情も同じでした。
 もっとメジャーになったらいいのにと思ってきたのですが、今は、(このまま覆い尽くされないのなら)そのままずっとつづいていって欲しいと思っています。

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