観てきたよ~。
『愛のむきだし』。
上映時間237分。予告編、休憩10分を入れるともう……。
ちょっと前なら観なかったと思うのだけれど、
『転校生』→『自殺サークル』という関係があって、そこから色々情報収集。
飴屋法水とつながる人脈の関わりというのにも興味あるし……。
しかも、他の映画を観た時に予告編を見てしまい……。
しかも、『劔岳』を観た時に、新作『ちゃんと伝える』の予告編を見てしまい……。
もうこれは観ないわけに行かないだろうと。
実際、評判はかなり良いです。
実際、4時間、飽きません。
それだけでもう、立派。
何だろうねぇ。
盗撮、カルト教団、罪、そして、愛。
新約聖書が重要な位置にあるので、何だ、キリスト教的人道的解決か? と思わなくもないし、そんな馬鹿な、と言う場面も、甘あまな展開も、数え上げたらきりがない。
そして、余りにもベタなエンディング。
それでも私は、赦す。
主要な役者たちがみんなすごい。
何だろね、この人たち。
主役のふたりはバンド小僧だったりアイドルグループのひとりだったりするらしい。
そういえば、『ちゃんと伝える』の主人公もEXILEの人だ、と言うのにはちょっとびっくり。
居るとこにはいるのね。
余りにもベタなテーマの出し方がすごい。
普通だったら恥ずかしいっしょ。
「勃起を恥じるな! 愛を恥じるな!」という、ユウ君の“気づき”。
無垢な少女によるヨーコの気づき。
む~。
実際、言葉にしようとすればするほど、無茶な映画なんだと思う。
しかも、『自殺サークル』『紀子の食卓』からの流れがあるらしい。
“家族”という主題とか。
“現代的な「知識人」”である私は、“愛”だの“神”だの“罪”だのを“制度”としてしか認識できない。
不幸な家庭に育ったとは全く思わないけれど、“家族”もまた、虚構だ。
新興宗教は、「新しく興った」という“だけ”で問題にされるのならおかしな話だ。詐欺的で、場合によっては排他的、暴力的な現れ方をするのは、既成の宗教でも同じ。これらもみんな“虚構”。
虚構の世界の中で、「恥じるな」と自分に言い聞かせて“むき出し”で生きることの困難さ。結局のところ、ユウとヨーコは、キリスト教への帰依があって救済されたようにも見えてしまう。
我々は、自分の外にすがるべき何かを必要としているのか。
恐ろしく暴力的でグロテスクな何かを予想し、救いようのない結末を“期待”していた私としては、この、恐ろしくヒューマンな物語に、幾ばくかの疑問を抱きつつ、それでも涙を流してしまうのであるよ。
ところで、この感覚は最近あったよね。
「暴力が現に存在しているにもかかわらず書き、そして愛しつづけ、希望をもちつづけようと思ったら、それを避けて通ることはできない」
そう。
これは、日本の若者たちにとっての『ブラスティッド』。
そういえば、爆弾も出てきたし。
そして私は、やっぱり、イアンにもユウ君にもなれないのであるよ。
語りたいことがたくさん出てくる映画でした。
特典付きDVD出るらしい。
さて、どうしたものか……。
……参考にしました……
「自殺サークル」「紀子の食卓」からの流れを押さえ「ゼロ教会」への考察を含む非常に詳しい批評(個人ブログ)・その2。
コリントの信徒への手紙 13章の引用を含む批評(個人ブログ)
主演女優インタビュー( MSNムービー)
『愛のむきだし』。
上映時間237分。予告編、休憩10分を入れるともう……。
ちょっと前なら観なかったと思うのだけれど、
『転校生』→『自殺サークル』という関係があって、そこから色々情報収集。
飴屋法水とつながる人脈の関わりというのにも興味あるし……。
しかも、他の映画を観た時に予告編を見てしまい……。
しかも、『劔岳』を観た時に、新作『ちゃんと伝える』の予告編を見てしまい……。
もうこれは観ないわけに行かないだろうと。
実際、評判はかなり良いです。
実際、4時間、飽きません。
それだけでもう、立派。
何だろうねぇ。
盗撮、カルト教団、罪、そして、愛。
新約聖書が重要な位置にあるので、何だ、キリスト教的人道的解決か? と思わなくもないし、そんな馬鹿な、と言う場面も、甘あまな展開も、数え上げたらきりがない。
そして、余りにもベタなエンディング。
それでも私は、赦す。
主要な役者たちがみんなすごい。
何だろね、この人たち。
主役のふたりはバンド小僧だったりアイドルグループのひとりだったりするらしい。
そういえば、『ちゃんと伝える』の主人公もEXILEの人だ、と言うのにはちょっとびっくり。
居るとこにはいるのね。
余りにもベタなテーマの出し方がすごい。
普通だったら恥ずかしいっしょ。
「勃起を恥じるな! 愛を恥じるな!」という、ユウ君の“気づき”。
無垢な少女によるヨーコの気づき。
む~。
実際、言葉にしようとすればするほど、無茶な映画なんだと思う。
しかも、『自殺サークル』『紀子の食卓』からの流れがあるらしい。
“家族”という主題とか。
“現代的な「知識人」”である私は、“愛”だの“神”だの“罪”だのを“制度”としてしか認識できない。
不幸な家庭に育ったとは全く思わないけれど、“家族”もまた、虚構だ。
新興宗教は、「新しく興った」という“だけ”で問題にされるのならおかしな話だ。詐欺的で、場合によっては排他的、暴力的な現れ方をするのは、既成の宗教でも同じ。これらもみんな“虚構”。
虚構の世界の中で、「恥じるな」と自分に言い聞かせて“むき出し”で生きることの困難さ。結局のところ、ユウとヨーコは、キリスト教への帰依があって救済されたようにも見えてしまう。
我々は、自分の外にすがるべき何かを必要としているのか。
恐ろしく暴力的でグロテスクな何かを予想し、救いようのない結末を“期待”していた私としては、この、恐ろしくヒューマンな物語に、幾ばくかの疑問を抱きつつ、それでも涙を流してしまうのであるよ。
ところで、この感覚は最近あったよね。
「暴力が現に存在しているにもかかわらず書き、そして愛しつづけ、希望をもちつづけようと思ったら、それを避けて通ることはできない」
そう。
これは、日本の若者たちにとっての『ブラスティッド』。
そういえば、爆弾も出てきたし。
そして私は、やっぱり、イアンにもユウ君にもなれないのであるよ。
語りたいことがたくさん出てくる映画でした。
特典付きDVD出るらしい。
さて、どうしたものか……。
……参考にしました……
「自殺サークル」「紀子の食卓」からの流れを押さえ「ゼロ教会」への考察を含む非常に詳しい批評(個人ブログ)・その2。
コリントの信徒への手紙 13章の引用を含む批評(個人ブログ)
主演女優インタビュー( MSNムービー)
宗教と言うより哲学?
ん~、そういう「言葉」にするなよ、って話か。
ブラスティッドのラストと、むきだしのラスト、なるほど!
ああ、逆にブラスティッドがすとんと腑に落ちた感じです。
キリスト教の位置づけは微妙に思いました。教会批判もありましたし。キリスト教への帰依で救出された印象はありません。
教会組織や牧師という既存のものを超えた「愛」…? それこそがキリストの愛だといえばまたそれまでですが。