「茶の世界」のレポート〆切が先週の金曜。
ずっしり。
この授業は、別のところに書いたように、私としても新しい試みで、どうなることかと思っていたのだけれど、自分自身勉強になったし、手応えもよく、嬉しい結果になった。
レポートも、「教養」と言うこと、学問や生き方について書いてくれた人がいつもより多い。
静岡だから茶のことをもっと知って欲しい、ということもあるけれど、その先にあるものがちゃんと伝わったかな、と。
もちろん、実際に、学生たちがどう変わるか、と言うのが見えてくるのはもっとずっと先なんだろうけれど。
レポートを評価して点数にするのは苦痛なのだけれど、読むのは本当に楽しく、みんなに見せびらかしたいくらいだ。
何度も言うけれど、授業アンケートなんかやるより、ずっと、学生の授業に対する評価ははっきり見える。
こういうレポートをうまいこと個人情報を伏せて(表紙を義務化して、あとではずせばいい)公開するだけで、授業の質は格段に上がると思う。
沢山の批判、提案も戴きました。
ありがとう。
特に、参加・体験を増やせ、と言う声が多かったですねぇ。
来年度にできる限り活かしたいと思います。
でも、また人数多いんだろうなぁ。
時間の空いてる経験者が補助に入ってくれると嬉しいなぁ。
さて、また「卒論ミュージアム☆」ネタ。
オルベアさんがブログに感想を書き、また、こっちにもコメントをしてくださった。
感謝。
彦星先生のブログ(当日の写真多数・必見)でも、今回は過分のお言葉を戴き恐縮至極、汗顔の至り。
彦星先生がコメントしている「かばう」については、少し補足が必要かもしれない。
私のゼミでは、何年か前から、年度初めに先輩たちの卒業論文の題目だけのリストを見せて、ひとり一本担当を決め、[内容の紹介・見習いたい良い所・改善したい良くない所]を発表させる、と言うのをやっている。
論文というもののイメージを持って貰うのが第一の目的なのだけれど、いきなりプロの論文を読むと萎縮して批判できないし、自分が卒業したあと、後輩たちに同じ事をされる、と言う覚悟が適度の緊張感を生んでくれる物と思って続けている。
そんなわけで、学生たちは、本当に的確にその“論文”の弱点をついてくる。
大抵は、かなり普遍的な問題なので、他山の石、と言うことになる訳で良いのだけれど、まだ、たかだか18年、七十数本の論文、それぞれの学生の顔も浮かんでくるし、自分が批判されているようでいたたまれなくなる。
批判が的確であればあるほど、なぜその欠陥を回避できなかったのか、個別の言い訳もしたくなる。
今年の五本の中にも、もちろん、読んでみたらがっかりするような代物がある。
それでも、多分、来年以降、批判にさらされたら徹底的にかばい立てするんだろうな。
こんな事考えてるから教師辞められないんだよなぁ。
ずっしり。
この授業は、別のところに書いたように、私としても新しい試みで、どうなることかと思っていたのだけれど、自分自身勉強になったし、手応えもよく、嬉しい結果になった。
レポートも、「教養」と言うこと、学問や生き方について書いてくれた人がいつもより多い。
静岡だから茶のことをもっと知って欲しい、ということもあるけれど、その先にあるものがちゃんと伝わったかな、と。
もちろん、実際に、学生たちがどう変わるか、と言うのが見えてくるのはもっとずっと先なんだろうけれど。
レポートを評価して点数にするのは苦痛なのだけれど、読むのは本当に楽しく、みんなに見せびらかしたいくらいだ。
何度も言うけれど、授業アンケートなんかやるより、ずっと、学生の授業に対する評価ははっきり見える。
こういうレポートをうまいこと個人情報を伏せて(表紙を義務化して、あとではずせばいい)公開するだけで、授業の質は格段に上がると思う。
沢山の批判、提案も戴きました。
ありがとう。
特に、参加・体験を増やせ、と言う声が多かったですねぇ。
来年度にできる限り活かしたいと思います。
でも、また人数多いんだろうなぁ。
時間の空いてる経験者が補助に入ってくれると嬉しいなぁ。
さて、また「卒論ミュージアム☆」ネタ。
オルベアさんがブログに感想を書き、また、こっちにもコメントをしてくださった。
感謝。
彦星先生のブログ(当日の写真多数・必見)でも、今回は過分のお言葉を戴き恐縮至極、汗顔の至り。
彦星先生がコメントしている「かばう」については、少し補足が必要かもしれない。
私のゼミでは、何年か前から、年度初めに先輩たちの卒業論文の題目だけのリストを見せて、ひとり一本担当を決め、[内容の紹介・見習いたい良い所・改善したい良くない所]を発表させる、と言うのをやっている。
論文というもののイメージを持って貰うのが第一の目的なのだけれど、いきなりプロの論文を読むと萎縮して批判できないし、自分が卒業したあと、後輩たちに同じ事をされる、と言う覚悟が適度の緊張感を生んでくれる物と思って続けている。
そんなわけで、学生たちは、本当に的確にその“論文”の弱点をついてくる。
大抵は、かなり普遍的な問題なので、他山の石、と言うことになる訳で良いのだけれど、まだ、たかだか18年、七十数本の論文、それぞれの学生の顔も浮かんでくるし、自分が批判されているようでいたたまれなくなる。
批判が的確であればあるほど、なぜその欠陥を回避できなかったのか、個別の言い訳もしたくなる。
今年の五本の中にも、もちろん、読んでみたらがっかりするような代物がある。
それでも、多分、来年以降、批判にさらされたら徹底的にかばい立てするんだろうな。
こんな事考えてるから教師辞められないんだよなぁ。
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