コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

ことばをめぐって

2008-02-17 08:35:35 | 
ネットでニュースを拾い読みしていたら、今日は懐かしいような話題が二つ。

一つは、「無理心中」というコトバ批判。
【断 中村文則】残酷さが伝わらない言葉 2008.2.17 03:07
*ニュースサイトの文章はすぐリンク切れになるので、引用させていただく。
 文句があるなら情報ストックきっちりして欲しい。


 「無理心中」という言葉が、非常に嫌いだ。

 元々この言葉は、奇妙である。無理と心中は、そもそも相容れない。「死を願っていない人間を無理やり殺し、自分も死ぬ」というのが正確であり、こういう四文字で簡略に表すべき行為ではないと思う。

 言葉には、その行為の残酷さが伝わり難いものがある。たとえば戦争。戦争と言われると抽象的だが、実際は、同じ人類が、生まれた場所などによって分かれ、お互いを大量に、あの手この手で殺し合う行為である。

 「心中」という言葉が入ることによって、「無理心中」は身勝手な行為であるのに、ある種の「悲劇性」や「憐憫(れんびん)」が含まれるようになる。病弱な親とそれを介護する子供、ということだとまた話は変わってくるかもしれないが、多くの場合、こういう行為ほど酷(ひど)いものはない。平和に見えた家庭の父親が子供や妻を殺し……という事件を見ると、実にやりきれない。犯人は大抵父親である。殺された家族はたまらない。

 日本人の中に「心中」という概念が、未だに根強くあるのだろう。「家族を残していけない」「責任を」というのは、間違っている。報道も、こういう事件を起こした犯人を、あまり社会の犠牲者のように報道しない方がいい。冷酷かもしれないが、自殺に関することを悲劇的に繰り返し報道すると、それは「連鎖」を生みやすい。

 それが経済的な理由なら、自己破産だって出来るし、生活保護だって受けられる。追い詰められた人間が起こした事件を演出しながら報道するより、そうならないための手段を訴える方が、報道の役割として有意義ではないだろうか。(作家)



作家ですか? 調べてみたら77年生まれのそこそこ賞も取っている小説家。
うーん。
このひと、ウィキペディアでも良いから「心中」というコトバの歴史を調べたらもう少し立体的な文章書けたのにねぇ。
享保の改革とか。


同じ頁のリストに

侍言葉が人気 変換サイトでアクセス殺到 2008.2.16 20:38
なんてのもあった。

わはは。
すいません、これも全文引用しますよ。


  「なんと面妖な」「これは異なことを」。ちょっと堅苦しいはずの「侍言葉」が若い世代で静かな人気を呼んでいる。メールの文章を面白言葉に変換するサイトでは「武士語」にアクセスが殺到し、時代小説に登場する武士の日本語を集めた本がヒットする。遊び感覚ではあるが、失われがちな品格も感じさせてくれる。(海老沢類)

 トランスメディアGPが運営する文章変換サイト「もんじろう」は先月、ユーザーの要望を受けて「武士語」変換を追加した。「あなた→お主」「平社員→平侍」をはじめ「デモ→一揆」「クッキー→南蛮風せんべい」など、投稿で集めた「ちょっとゆるい」約1500語を収める。

 累計変換数は5万回を超え、タレントのルー大柴さんが英語交じりで語る「ルー語」などに大きな差をつけて変換数のトップを快走する。

 シャープも自社製携帯端末向けのダウンロード辞書に、侍言葉252語を収録。最近4カ月間のダウンロード数は「大阪弁とともに上位に食い込む人気」だという。

 メールに面白語を織り交ぜるという福岡市内のIT企業に勤める女性(25)の最近のお気に入りも侍言葉だ。「普段は使わない言葉なのに、どこかなじみがある。知的なイメージがするのも魅力です」

(ここまで1)

 一方、昨年9月に刊行された『使ってみたい武士の日本語』(草思社)は、著者の野火迅さんが時代小説から200語を選び、現代への応用を提案するユニークな本。武士の精神論にまで踏み込む硬派な内容ながら20~30代の女性にも好評で、すでに6刷を重ねた。

 今、なぜ侍言葉なのか。日大の田中ゆかり教授(日本語学)は「ギャル語など女性的なものが出尽くした感がある中、侍言葉の重くて男性的なノリが新鮮に映るのでは」と分析する。

 また近年は「戦国無双」「戦国BASARA」といった戦国モノのアクションゲームが人気を呼び、新選組を題材にした少女漫画『風光る』(小学館)を愛読する女子中高生も多い。従来の時代小説や時代劇以外にも侍言葉への“入口”が広がっていることも、ブームを後押しする。

 野火さんは「侍言葉は独特のリズムと品格が魅力。現代でも使える言葉も多いので、教養として正しく知っている大人がもっと増えてほしい」と話している。

(ここまで2)

 ■使えそうな武士語

・一つまいろう←まずは一杯

・手もと不如意(ふにょい)

  ←当座の持ち合わせがない

・これはしたり←これは驚いた

・それは重畳(ちょうじょう)

  ←大変結構なことだ

・異なこと←また妙なことを

・面妖な←まったく不思議だ

・率爾(そつじ)ながら

  ←突然のことで失礼ですが

・恐悦至極

  ←とてもうれしく思います

 (『使ってみたい武士の日本語』より)

(3 以上)

学生の頃やったよねぇ!
自分で調べろぉ。
でも、こういうのは罪が無くて良いね。
ホントにブームになってくれたら私の授業の客も増えるかな。
候文も書けるようになると良いぞ。

これ、「もんじろう」で変換すると

 学生の頃やったでござろうぇ!
己で調べろぉ。
なれど、こう云ふのは罪が無くて良ゐのう。
誠にぶーむになってくれたでござるらそれがしの授業の客も増ゑるであろうか。
候文も書けるようになると良ゐぞ。



……なんだこりゃ。
こういう遊びは、文法を壊していようが仮名遣いが間違っていようが、目くじらを立てるような話ではない(しかし、間違いは間違いです。特に受験生は絶対信じないで、辞書で確認するように!!)。

しかし、「品格」とか言われると、ちょと待てよ。でござる。

ここまで来ると思い出すのは前に書いた文語文の話
私は朝日新聞の紹介記事中の例文が間違えている、と言うことを指摘したわけだが、それを見た会員の学生さんから、訂正前の文章を渡してしまった、と言うようなメールを戴いた。
つまり、朝日の記者は、その間違えに気づかなかったというお粗末な現実。

それにしても、その「文語の苑」のホームページを見てもどこが美しいんだかようわからぬ。

で、先月ついに代表らしい人が本を出したので、早速購入してあったのでござるのよ。

『世にも美しい文語入門』 愛甲次郎 海竜社

文語文はいまや死語と化しつつありますが、日本古来の美しい言語文化を失うことは実に惜しいことです。文語で書かれた文章は格調高く、また暗誦したときの言葉の美しい響きは際立っており、世界でも屈指の優れた文化の一つです。
今こそ、文語の必要性や効能が見直されるべきであると著者は熱く語ります。誰にもわかりやすく、日本語の歴史を振り返りながら、「枕草子」「平家物語」をはじめとする古典から、俳句、唱歌などのあらゆる美しい文語文を紹介し、実際に読んだり、書いたり、諳んじたりするためのきっかけを提示しています。
著者の愛甲次郎氏は、クウェート大使を務めた元外交官ですが、2003年国語問題協議会のメンバーと共同で、文語文による交流WEBサイト「文語の苑」を開設。現代文化の幅を広げる試みとして活動が注目され、2007年には朝日新聞、日本経済新聞にてその活動が紹介されました。


日経も紹介したのか。
この人、朝日に抗議したのかな。

一読三嘆。
紹介している文章は、まぁ斎藤孝みたいなモンで、人それぞれでしょう。
一冊本を出す時に、どこから選ぶか、と言うセンスについてあれこれ言っても仕方がない。
しかし、実作例として紹介している御自身の旅行記を読むと、いろんな事に納得がいく。
申し訳ないけれど“美しい日本語”を謳う人は、古典文法や文章語の種類についてちゃんと学んで欲しい(さすがに文法の間違いがあるわけではないのだけれども。丸谷才一の文章が全く美しくないのと一緒だ。まぁ、好みだけれど)。


侍コトバで遊ぶのは、文法ハチャメチャでも全くOK。
私の文体もゆるしてちょ。


なんだけれど、こういう偉そうな本で同じ事をしているのは閉口。
却って混乱を招くでしょう。


前のブログに書いたけれど、明治時代の文語文を簡単に勉強したかったら、国会図書館の近代デジタルライブラリーで、→分類検索→8語学→81日本語→816作文
とたどっていくと、文範的な資料が沢山出てきてチョーお薦め。

まじめに歴史的仮名遣いを勉強したかったら福田恒存『私の国語教室』は必読。
あれ、文春文庫になったのか。手元にあるのは新潮文庫だぞ。

岸田吟香の世にも美しい口語文もブームにならんかなぁ。



唐突だけれど、yu-jin君、キミの卒業論文は本当に秀逸だったと思うよ。


++++++++++++++++
すみません、補足です。

。上記本部中で『世にも美しい文語入門』について「文法の間違いがあるわけではない」と書きましたが、実はその時点で手元にこの本はなかったのです。
いま、改めてめくってみて、愕然としました。
凡例が見あたらないのですが、音読時の注意を表すと思われるカタカナルビが不徹底です。たとえば「朗読しよう」という節の最初の例文二行目「横たふ」には、「ふ」にだけ「ウ」というルビがあるので、「ヨコタウ」と読むことになるのだろうけれど、古典的な「美しい」読み方としては「ヨコトー」でしょう。「給ふ」を「タマウ」と読んでしまうのと一緒。

そういえば、古館某が何かのCMで『おくのほそ道』の冒頭を諳んじてみせる場面があって「ユキカウ」と読んだのは聞き苦しかったなぁ。

この本の随所にあります。「文法の間違い」ではありませんが、音読される方は要注意。
あぁ、もちろん、注記はなくても係助詞の「は」は「ワ」と発音していいんですよ、ね。
これだから、新仮名はややこしい。


あぁ、著者は高齢の人だと思っていたら55年生まれか。それなら仕方ないんだろうなぁ。
しかし、周りの「美しい日本語」シンパの人たちが注意して上げてないのが何とも残念。

がんばれ保守!

080218 10:05
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 憧れのひと。 | トップ | 宝物 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事