12/7の「茶の世界」で“禅院茶礼”と言うのを体験(私は助手)。
まぁ、相当簡略化してるんだけれど、吉野さんの狙いは、茶道の型がどうとか、歴史がどうとかいうまえに、前からずっと言ってる“一座建立”とか、そういう、場の共有、呼吸、と言うことだったんだと思う。
これまでにも、何度もグループ分けとか、いろいろな場面で“自分”に躓いている学生達は、果たして今度も全く自分から動けない。
時間が気になって集中できなかった、と言うこともあるのだろうけれど、それにしても、話聞いてたのかな、という感じで。
余裕があったら私は指示を出さないでおきたかったよ。
「静岡の文化」のふたつの発表会イベントは無事終了。
また伝説を作ってしまったよ、てな感じですかね。
まずは、最後まで頑張った学生達に、ありがとう。
それから、御協力下さった地域の皆さん、会場を貸してくださった方々にも、改めて感謝いたします。
一つ一つの総括は、学生達のアンケート集計とか、色々出てきてから改めてするとして、今年、この二件の企画に共通して、良かったな、と思えたことがふたつ。
一つは、“取材対象”とその周辺の皆さんから、沢山「ありがとう」と言って頂けたこと。これは、フィールドワークの、大きな醍醐味だと思う。
富士時計、フジ・オルゴール、そして森田鶴堂も、静岡の人でさえ、誰でもが識っているという話ではない。しかし、“静岡の文化”と言う物を考えるとき、無視できない重要な存在なのは確か。そして、関わりのある人が、沢山いるから、誠実に向き合えばちゃんと返ってくる。それだけ責任も重大なのだけれど、学生達は良くやってくれたと思う。
200年以上前の文献を図書館廻りをして調べ、整理して論を立てても、こういう生きた反応に逢うことはまずない。我々の学問というのは、そういう孤独を愛する前提で成り立っている。
だから、うらやましくもあるし、その場にいられたことに、私も感謝している。
もう一つは、会場選び。感謝された要因の一つでもあったと思う。
鶴堂企画は、1年以上前から安立寺さんの了承を得ていた。時計・オルゴール企画は、なんとか長沼で、と思いながら、まさかバンダイが会場を提供してくれるはずもないし、と思っていたときに、町内会経由で科学技術高校とのパイプが出来た。ありがたい。
大学の地域連携イベントを何処でやるのか、と言う話。
どのくらい自覚的なんだろう。
社会学科のフィールドワーク基礎演習は後期なので今、みんな頑張っている頃だと思うんだけど、今年の発表会はどうするんだろう。
まあ、“静岡の文化”も授業の最終発表会と“ホントの”発表会は別なんだけど。
これは身近な一例で、大抵は学内。或いは、公共の施設を使う。
産官学連携という意味ではB-nest等を使うことにも意味があるし、利便性、コスト、と言うことも確かにある。
私は、最初の年に、丸子の歓昌院をメイン会場にしたイベントを行って以来、可能なら“現場”と言うことをずっと意識してきた(実際には、発表会イベントというのはそれほど無いのだけれど)。
400年祭も、長政まつりも、そういう流れの中にある。そして去年のハリストス正教会。
教室で学ばなければならない学問がある。書物から身につけるべき教養もある。しかし、それを活かすのは、一義的は“現場”だ。教室の中で終わるのは、文章を仕上げて卒るのは、学問ではない。
今年の二つの会は、ハリストス正教会企画のような整然とした物にはならなかったけれど、逆に、想定外の大きな波が来て、誰もが“学ぶ”体験になったと思う。
それは、同じ人たちを教室やホールに招いても起こりえなかった“事件”だったのではないかと思う。
さて、来年は何処でやろうかなぁ。
会場のノリ、と言う話でもう一つ。
これもあとで書くつもりだけれど、加奈崎芳太郎ライブ、結局静岡だけでなく、翌日の島田にも出かけていった。
二日続き、別の会場で、と言うのは、ありそうでなかなか無い体験。
で、今頃気づくなよ、と言う話なんだけれど、こんなに違うのか~と、改めて驚いた。
曲目だってアンコールの2曲目以外同じなんだけどねぇ。
チャリカルキが店を変えたら雰囲気が変わるのと似てるけど、もっとずっと「ライブ」なんだね。
静岡、マキタさんとミッちゃんトコは、みんながホントに集中して聴き入ってる、という感じ(まぁ例外がいたんだけど)。
島田は、みんなで加奈崎さんをいじってるというか、加奈崎さんを愛してる人たちが集まってる、と言う空気があって、いろんな町に、こういう風に待ってる人がいるんだな~、と。
逆に言えば、無理に静岡でやるよりみんなが島田に行った方が良いのかなぁ、とか。
まぁ、どっちのライブも棄てがたい魅力があったのも確かで、だから、気になったら何度でも足を運ばなきゃな、と。
まぁ、相当簡略化してるんだけれど、吉野さんの狙いは、茶道の型がどうとか、歴史がどうとかいうまえに、前からずっと言ってる“一座建立”とか、そういう、場の共有、呼吸、と言うことだったんだと思う。
これまでにも、何度もグループ分けとか、いろいろな場面で“自分”に躓いている学生達は、果たして今度も全く自分から動けない。
時間が気になって集中できなかった、と言うこともあるのだろうけれど、それにしても、話聞いてたのかな、という感じで。
余裕があったら私は指示を出さないでおきたかったよ。
「静岡の文化」のふたつの発表会イベントは無事終了。
また伝説を作ってしまったよ、てな感じですかね。
まずは、最後まで頑張った学生達に、ありがとう。
それから、御協力下さった地域の皆さん、会場を貸してくださった方々にも、改めて感謝いたします。
一つ一つの総括は、学生達のアンケート集計とか、色々出てきてから改めてするとして、今年、この二件の企画に共通して、良かったな、と思えたことがふたつ。
一つは、“取材対象”とその周辺の皆さんから、沢山「ありがとう」と言って頂けたこと。これは、フィールドワークの、大きな醍醐味だと思う。
富士時計、フジ・オルゴール、そして森田鶴堂も、静岡の人でさえ、誰でもが識っているという話ではない。しかし、“静岡の文化”と言う物を考えるとき、無視できない重要な存在なのは確か。そして、関わりのある人が、沢山いるから、誠実に向き合えばちゃんと返ってくる。それだけ責任も重大なのだけれど、学生達は良くやってくれたと思う。
200年以上前の文献を図書館廻りをして調べ、整理して論を立てても、こういう生きた反応に逢うことはまずない。我々の学問というのは、そういう孤独を愛する前提で成り立っている。
だから、うらやましくもあるし、その場にいられたことに、私も感謝している。
もう一つは、会場選び。感謝された要因の一つでもあったと思う。
鶴堂企画は、1年以上前から安立寺さんの了承を得ていた。時計・オルゴール企画は、なんとか長沼で、と思いながら、まさかバンダイが会場を提供してくれるはずもないし、と思っていたときに、町内会経由で科学技術高校とのパイプが出来た。ありがたい。
大学の地域連携イベントを何処でやるのか、と言う話。
どのくらい自覚的なんだろう。
社会学科のフィールドワーク基礎演習は後期なので今、みんな頑張っている頃だと思うんだけど、今年の発表会はどうするんだろう。
まあ、“静岡の文化”も授業の最終発表会と“ホントの”発表会は別なんだけど。
これは身近な一例で、大抵は学内。或いは、公共の施設を使う。
産官学連携という意味ではB-nest等を使うことにも意味があるし、利便性、コスト、と言うことも確かにある。
私は、最初の年に、丸子の歓昌院をメイン会場にしたイベントを行って以来、可能なら“現場”と言うことをずっと意識してきた(実際には、発表会イベントというのはそれほど無いのだけれど)。
400年祭も、長政まつりも、そういう流れの中にある。そして去年のハリストス正教会。
教室で学ばなければならない学問がある。書物から身につけるべき教養もある。しかし、それを活かすのは、一義的は“現場”だ。教室の中で終わるのは、文章を仕上げて卒るのは、学問ではない。
今年の二つの会は、ハリストス正教会企画のような整然とした物にはならなかったけれど、逆に、想定外の大きな波が来て、誰もが“学ぶ”体験になったと思う。
それは、同じ人たちを教室やホールに招いても起こりえなかった“事件”だったのではないかと思う。
さて、来年は何処でやろうかなぁ。
会場のノリ、と言う話でもう一つ。
これもあとで書くつもりだけれど、加奈崎芳太郎ライブ、結局静岡だけでなく、翌日の島田にも出かけていった。
二日続き、別の会場で、と言うのは、ありそうでなかなか無い体験。
で、今頃気づくなよ、と言う話なんだけれど、こんなに違うのか~と、改めて驚いた。
曲目だってアンコールの2曲目以外同じなんだけどねぇ。
チャリカルキが店を変えたら雰囲気が変わるのと似てるけど、もっとずっと「ライブ」なんだね。
静岡、マキタさんとミッちゃんトコは、みんながホントに集中して聴き入ってる、という感じ(まぁ例外がいたんだけど)。
島田は、みんなで加奈崎さんをいじってるというか、加奈崎さんを愛してる人たちが集まってる、と言う空気があって、いろんな町に、こういう風に待ってる人がいるんだな~、と。
逆に言えば、無理に静岡でやるよりみんなが島田に行った方が良いのかなぁ、とか。
まぁ、どっちのライブも棄てがたい魅力があったのも確かで、だから、気になったら何度でも足を運ばなきゃな、と。
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