“書物”トークのあと、法斎さんは拙宅に宿泊。
遅めに起きてコメダでモーニング。
その間もずっと書物や学問を巡る対話。
その中でふと思いついて、行ってみませんか、と言って出かけた場所は……。
七宝の春田さんの個展を紹介した時に書いた駒越の貯水タンク。
私も確認してきました、プレート。
で、今回我々が目指したものは、実はこれではなくて、このT字路(?)の三保側にありました。
海側から見るとコンクリートの箱です。
海の方を見ると、苺のハウスと畑です。
堤の上には乏しい松が、新芽の上に赤いひとでのような花をひらき、帰路の左側には、さびしい小さい四弁の白い花びらをつらねた大根畑があり、道の左右を一列の小松が劃していた。そのほかはただ一面の苺のビニール・ハウスで、蒲鉾形のビニール覆の下には、夥しい石垣苺が葉かげにうなだれ、蠅が葉辺の鋸の刃を伝わっていた。見渡すかぎり、この不快な曇った白い蒲鉾形がひしめいている中に、さっきは気づかなかった、小体な塔のような建物を本多は認めた。
車の停めてある県道のすぐこちら側、異様に高いコンクリートの基底を持った、二層の木造の白壁の小屋が見られた。見張り小屋にしては奇聳であり、事務所にしては貧寒だった。
一二層とも、窓は壁面の三方に悉くつながっていた。
たいていの人はなんのことか判る、というか、知ってたよ、と言われそうなんですが、実は私、初めて行きました。
静岡に来た時から気になっていて、当てずっぽうでこの辺探し歩いたこともあったんですが、確証なし。多分その頃は整備されていなかったんじゃないかと。
(この写真は静岡よりから撮ったので少し場所が違います)。
かえりみれば、足下の県道のかなた、ところどころに鯉幟の矢車をきらめかせた、新建材の青い屋根瓦の町の東北に、清水港の錯雑としたすがた、陸のクレーンと船のデリックが交錯し、工場の白いサイロと黒い船腹、しじゅう潮風にさらされている鉄材や厚いペンキ塗装の煙突が、一群の機構は陸にとどまり、一群は幾多の海を渡って来て、一ト所に落ち合い睦み合うあの露わな港の機構が遠く見られた。海はそこでは、寸断された輝く蛇のようになっていた。
港のむこうの山々のずっと上方に、雲の中から僅かに山巓だけを覗かせた富士があった。あいまいな雲の中に、山頂の白い固形が、あたかも一塊の白い鋭い巌を雲上に放り出したように見えた。
本多は満足してここを去った。
信号所の基底は貯水槽であった。
井戸やポンプから吸い上げた水をここに貯え、鉄管で一面のビニール・ハウスに灌漑するのである。
つまり、このコンクリートの箱と、春田さんたちのアートの円筒は、同じ目的で作られた建造物だったわけです。
で、コンクリートの水槽の上には、通信所があった。
そこに、安永透は勤めていたのですね。
もちろん、今、“信号所”はここにはありませんが、ここにあったモデルになった会社はいまでも別の所にあります。
長年の懸案が一つ解決しました。
よかった。
ところで、76歳になっている本多は、ここで富士山を見て「満足」していますが、その前の“風景”はずいぶんと陰鬱な印象です。特に、この記事のタイトルとして引用した部分。
確かに、この場所に立って、もう少し背伸びしたら、三保湾は分断された蛇のように光って見えるだろうな、と思いますが、その比喩は、ウロボロスが断ち切られてこの長い物語が終わることを予見しているのかも知れません。
想像力の乏しい私などは、こうやってその場に立ってみて、初めて、もしや、と思うまで、四半世紀経ってしまっているわけです。もったいなや。
法斎さんは、この場所に立って、ここが金閣寺ではなく、茫漠とした廃墟のような場所であることに、妙に得心がいった、と言っていました。
ここは、“終わりの始まり”の場所。
もっと“巡礼”が来ても良い筈なんだけれど、三島はもう読まれてないんでしょうか。
近いうち、海側の新道から旧道を貫く新しい道が出来るようで、工事をしています。この場所はどうなるのかな。
三島のことなど話している時に、法斎さんのはなったひと言。
「文学部というのは危険物取り扱い資格を獲得する場所でしょ」
あ、これ、いただき。
良い文学、悪い文学とか、倫理とか、善とか、そう言うモノで語られる“ブンガク”はなんか違う。
そう、“ブンガク”は危険物なのだ。
人生も。
文学を学ぶというのは、倫理を身につけて良い人になるとか、そう言う話ではなくて、危険なモノをどうやって扱って生きていくか、と言うことを身につける事だったんだね。
有害図書の問題も含め、私も妙に得心した朝でした。
そんなわけで、特定の職業教育とリンクしてカリキュラムを示せ、という上の方からのお達しには全面的に抵抗します。
遅めに起きてコメダでモーニング。
その間もずっと書物や学問を巡る対話。
その中でふと思いついて、行ってみませんか、と言って出かけた場所は……。
七宝の春田さんの個展を紹介した時に書いた駒越の貯水タンク。
私も確認してきました、プレート。
で、今回我々が目指したものは、実はこれではなくて、このT字路(?)の三保側にありました。
海側から見るとコンクリートの箱です。
海の方を見ると、苺のハウスと畑です。
堤の上には乏しい松が、新芽の上に赤いひとでのような花をひらき、帰路の左側には、さびしい小さい四弁の白い花びらをつらねた大根畑があり、道の左右を一列の小松が劃していた。そのほかはただ一面の苺のビニール・ハウスで、蒲鉾形のビニール覆の下には、夥しい石垣苺が葉かげにうなだれ、蠅が葉辺の鋸の刃を伝わっていた。見渡すかぎり、この不快な曇った白い蒲鉾形がひしめいている中に、さっきは気づかなかった、小体な塔のような建物を本多は認めた。
車の停めてある県道のすぐこちら側、異様に高いコンクリートの基底を持った、二層の木造の白壁の小屋が見られた。見張り小屋にしては奇聳であり、事務所にしては貧寒だった。
一二層とも、窓は壁面の三方に悉くつながっていた。
たいていの人はなんのことか判る、というか、知ってたよ、と言われそうなんですが、実は私、初めて行きました。
静岡に来た時から気になっていて、当てずっぽうでこの辺探し歩いたこともあったんですが、確証なし。多分その頃は整備されていなかったんじゃないかと。
(この写真は静岡よりから撮ったので少し場所が違います)。
かえりみれば、足下の県道のかなた、ところどころに鯉幟の矢車をきらめかせた、新建材の青い屋根瓦の町の東北に、清水港の錯雑としたすがた、陸のクレーンと船のデリックが交錯し、工場の白いサイロと黒い船腹、しじゅう潮風にさらされている鉄材や厚いペンキ塗装の煙突が、一群の機構は陸にとどまり、一群は幾多の海を渡って来て、一ト所に落ち合い睦み合うあの露わな港の機構が遠く見られた。海はそこでは、寸断された輝く蛇のようになっていた。
港のむこうの山々のずっと上方に、雲の中から僅かに山巓だけを覗かせた富士があった。あいまいな雲の中に、山頂の白い固形が、あたかも一塊の白い鋭い巌を雲上に放り出したように見えた。
本多は満足してここを去った。
信号所の基底は貯水槽であった。
井戸やポンプから吸い上げた水をここに貯え、鉄管で一面のビニール・ハウスに灌漑するのである。
つまり、このコンクリートの箱と、春田さんたちのアートの円筒は、同じ目的で作られた建造物だったわけです。
で、コンクリートの水槽の上には、通信所があった。
そこに、安永透は勤めていたのですね。
もちろん、今、“信号所”はここにはありませんが、ここにあったモデルになった会社はいまでも別の所にあります。
長年の懸案が一つ解決しました。
よかった。
ところで、76歳になっている本多は、ここで富士山を見て「満足」していますが、その前の“風景”はずいぶんと陰鬱な印象です。特に、この記事のタイトルとして引用した部分。
確かに、この場所に立って、もう少し背伸びしたら、三保湾は分断された蛇のように光って見えるだろうな、と思いますが、その比喩は、ウロボロスが断ち切られてこの長い物語が終わることを予見しているのかも知れません。
想像力の乏しい私などは、こうやってその場に立ってみて、初めて、もしや、と思うまで、四半世紀経ってしまっているわけです。もったいなや。
法斎さんは、この場所に立って、ここが金閣寺ではなく、茫漠とした廃墟のような場所であることに、妙に得心がいった、と言っていました。
ここは、“終わりの始まり”の場所。
もっと“巡礼”が来ても良い筈なんだけれど、三島はもう読まれてないんでしょうか。
近いうち、海側の新道から旧道を貫く新しい道が出来るようで、工事をしています。この場所はどうなるのかな。
三島のことなど話している時に、法斎さんのはなったひと言。
「文学部というのは危険物取り扱い資格を獲得する場所でしょ」
あ、これ、いただき。
良い文学、悪い文学とか、倫理とか、善とか、そう言うモノで語られる“ブンガク”はなんか違う。
そう、“ブンガク”は危険物なのだ。
人生も。
文学を学ぶというのは、倫理を身につけて良い人になるとか、そう言う話ではなくて、危険なモノをどうやって扱って生きていくか、と言うことを身につける事だったんだね。
有害図書の問題も含め、私も妙に得心した朝でした。
そんなわけで、特定の職業教育とリンクしてカリキュラムを示せ、という上の方からのお達しには全面的に抵抗します。
既に誰か言ってるかも知れないんだけれど、上に引用した港側の眺望は、本当に、この物語の構図を暗示してるんじゃなかろうか。
曖昧な雲の上に突き出る富士を頂点に、円形の山、様々な港の構造物と、右側から突き出て抱き込むように曲がる三保の半島、手前の街、そして、“寸断された蛇”のようにうねる三保湾。
それは日本平から見た大きな風景とは別の印象を与える。
もう一度読み直さねば。
↓
○ 遠景の山