このみ庵での炉開き

2013-11-12 12:09:36 | お茶 このみ庵

昨日は、コーラスのお友達にワンコインレッスンの日。

一人は久しぶりの方、もう一人は、先月も来られた方。ワンコインは、月一回なので、皆さん、毎回すっかり忘れている。興味が湧いてくれて、せめて月2回くらい来てくれるようになると良いのだけど・・。

 

お茶は、変化がないようで、毎月、いろいろしつらえが変わる。一番変わるのが風炉から炉、炉から風炉の時期。

夏の間は、お客さんに一番遠いところに火(風炉)を置いて、お客さんに近いところに水(水差し)を置くが、季節がだんだん寒くなるにつれ、火が少しずつお客さんに近づき、逆に水が遠いところに置かれる。

だから、お点前すると、身体といろいろな道具の置き場が逆になるので、頭が混乱するのだ。

 

昨日は、お茶のお正月ということもあり、前大徳寺のお坊さんだった大綱さんと言う方の掛け軸を掛けた。「唖は、納僧の口に帰る」というような文字で、高僧の口から出た言葉が世を清めたりして、それがまた僧の口に戻ってますます良くなるというような意味らしい。

お茶では、千家の宗匠方が書かれた掛け軸は、素直で、お茶席には良く合うと思う。しかし、桁が違って、とても私には手が出ない。

床の間は、皆が頭を下げるところなので、字が上手だからと友達のではダメらしい。せめて禅宗のお坊さんということになっている。

 

折角なので、言われを紐解いた「亥の子餅」を食べてもらい、棗は、古道具屋で手に入れた、松葉に扇面のものを用いてみた。

花は、玄関脇に咲いている小菊なのだけれど、水差しも菊柄だし、玄関で見てきているものだけでは、ものたりないと思い、山法師の紅葉した枝と、とてもきれいに色づいた千両を加えてみた。

 

本当は、炉に炭をくべる(炭手前)ところお見せして、うすぐらい部屋のなかで、火が燃え、釜がしゅんしゅんと音を立て、お香の香りがするの(五感)を楽しんでもらいたいのだが、昨日は、なかなか炭が起きてくれず、稽古の終盤になって、とてもよく燃えてくれたので、垣間見せるだけになってっしまった。

お点前を覚えるなどよりも、日常生活では、味わえない、こうした五感を刺激するような豊かな時の流れを共有してもらいたいと思うのだが。