尼崎のお医者さん長尾和宏さんの著書
「ひとりも、死なせへん ~コロナ禍と闘う尼崎の町医者、551日の壮絶日記」
を図書館で借りて読んだ。
ほんと、この2年はコロナに振り回されてきたよなぁと思い返しながら読んだ。
日本でコロナが始まった実感を持ったダイヤモンドプリンセス号のことも、
オリンピックさえも、もう遠い昔の話のようだ。
当初は、こんなにコロナが長引くとは思ってもみなかった。
ただ怖がり、閉じこもり、次第に疑問にも思うようになって2年が過ぎてしまった。
著書のなかで「人生会議」という言葉が出てきて気になったのでググってみた。
病気等で人生の最終段階になった時、どのような治療、ケアを受けたいか
自ら考え、家族や医療介護関係者とあらかじめ話し合っておくこと。
終活の一環として私はすでに、おぼろげながら考えてエンディングノートに記してある。
そのエンディングノートの存在について家族にまだ話していないけど。
年齢的にまだ死なない、とは思っているけれど
昨今の状況では、何歳の人でもいつどうなるかわからないと思うようになってきた。
両親にも、終末期医療はどうしてほしいか教えてもらいたいけれど
デリケートな話題だけに気持ちよく話してもらうことが大切だ。
なので、まず自分が終活をして、私のエンディングノートについて知らせよう。
そう思ったのも終活を始めたきっかけだった。
あとは、コタロウが病気になったから、というのも大きい。
コタロウにどのような医療を受けさせようか、4年前に私はひどく悩んだ。
その時にいろいろ調べているうちに、
これは、人についても当てはまるなぁと思った。
先進医療をとことん、できることは何でもやる、というのも一つ。
命の長さよりもQOLにこだわる、というのも一つ。
その中庸もあるし、とにかく正解は一つではない。
命の限りを言い渡されたときの年齢にもよると思う。
コタロウの人生会議は、コタロウに聞きながら考えている。
自分でなんとかできそう?
お医者さん行く?
お薬は飲む?
手術はどう?
どんなサポートしてほしい?
(本当に話しかけてます)
コタロウから答えはないから、表情を見ながら私が決めるのだけどね。
今までのやり方は、幸いコタロウにはまあまあ合っていたようで、
これまで元気に暮らしてきた。
調子いいなぁ、と思っているとストン、と落とされるんだけどね。
これから年を重ねるにつれて体の不調は増えてくるだろう。
そのたびに私はオロオロし、悩んで泣いて後悔するのだろう。
コタロウがどう一生を全うするのか、
穏やかなソフトランディングをさせてあげられるように私は尽くす。
ベッドカバーとカーペットを洗濯。
シャンプーはしばらくできないから、せめてベッドは気持ちよく。
フェンスの中を快適に保つためにカーペットもこまめにね。
今日はおもちゃも洗った。しばらく使わないものね。
なんと、今日は歩くときに、時々足をついていた
たまたまかも。ぬか喜びはいけない・・・でも思わず
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