断捨離GWを終えて、
わが家では断捨離のスタートラインについたという
気分になっています。
まだまだ始まったばかりで、
すべてのモノに定位置が決まったわけではないこともあり、
旧来のモノがそのままで、
「停滞」しているところが何カ所もあります。
それでも、
以前はすぐにゴミがたまってしまう、
と感じていたわが家が、
きれいな状態をキープできるようになりつつあります。
それは、
一度モノをなくして
「気持ちいい」と思えるようになった空間は、
呼吸をし始めるからです。
モノを減らしていくことで、
それまでは感じることのなかった「空間」が
そこに存在する、ということを
感じるようになりました。
そうすると、空間が呼吸をしていることに気づいたのです。
その「空間の呼吸」が感じられるようになると、
モノによって呼吸が妨げられると、
感じるようになりました。
すると、それがたまらなく不快で息苦しいと感じられ、
その状況を避けようとし始めるのです。
具体的には、
空間が空いていた場所に、
何か新しいモノが置かれようとすると、
それを早いところその場所から出してしまおう、
という心理が働くのです。
たとえば、私の仕事部屋の床には、
基本的にモノが置かれていない状態にしました。
そこに、昨日、実家から、
私が実家に残しっぱなしにしていた
古いアルバム類などが届けられました。
実家もいま、大整理中なのです。
で、以前なら、どんと置かれた箱数個は、
そのままで何ヶ月も放置されていたことと思います。
が、いまは、そこにそれがあることが不快で仕方がない。
なので、さっさとなくしたくて、
その整理をしてしまうのです。
モノがあることがベースという心理状態が、
モノがないことがベースという心理状態へと、
変化したのを感じます。
モノがない、少ない、という状態は
どういう状態なのか、と言うと、
それは、自分自身のコントロールが及ぶ状態、
だと思います。
その状態を感じるようになると、
いままで、いかに自分がモノに圧倒され、
コントロール不可能、という諦めを持ち、
そんな無力感自体に自分が打ちのめされていたか
ということを、感じるようになりました。
結局、断捨離のビフォー/アフターで何が違うかと言うと、
「自分でコントロールできる」という感覚があるかないか、
ということだと思うのです。
「自分でコントロールできる」とは、
「自分で選んで、自分で決断できる」ということでもあります。
それを感じられるということ、
それが、「自己肯定感」というものなんだな、
と思います。
自分がいつも居る空間を、
自分でコントロールできない、という状態から、
自分でコントロールできる、という状態にすること。
それにより、なんだか自分の人生自体も、
自分でコントロールできるんだ、という
当たり前のことを、取り戻すことができる。
そこに、「断捨離」の醍醐味があるのかな、
と思います。