考えるな、感じろ!
それが大事、ってわかってる。
そう、自分でも書きました(→こちら)。
でも、気づくと、考えてる。
これ、半分(以上)、病気です。(笑)
昨日も思いました。
ある、プログラムの振り返り用の質問シートを作っていて、
「○○はどうでしたか?」と結果を問う質問に続けて、
「その理由は何だと思いますか?」
と書いている。
できたこと、できないことを把握して、
その理由もわかれば、
再現性があるから、と思っているのです。
それは、確かにそうなのです。
理由がわかって、ハッとする。
その時点で、原因が消滅することもある。
だから、「考えてみよう」ってわけですね。
でもね、それだと、苦しくなることもあるんです。
「なぜ?」を自分や相手に使う時には、
時として「問いつめる」ことになる。
第三者や物事に使ったとしても、その可能性が生まれるときもある。
自分でも、両方の質問を沢山受けている身として、よくわかる。
相棒のコーチが、
「ここさ、理由じゃなくて、気持ちを聞きたい」
と言いました。
「それができた時/できなかった時、どんな気持ちでしたか?」
そうだよね・・・。
自分が聞かれた場合、
理由を聞かれて、それがわかったからといって、
自分はそこから先に自由に伸びていける気がしない。
でも、感情を聞かれて、どんな気持ちだったか、
何を感じていたのかを聞かれると、
どんどん「オートクライン」が起こって
(オートクラインについてはこちらにいい記事があります)、
自分の中の、いろんなものが外れて、
自由な気持ちになっていく。
いやなものならやめよう、と思えるし、
好きだったら、もっとやりたいと思える。
「こうするべき」「こうでなければならない」
という「左脳」の声ではなく、
「こうしたい」「これはしたくない」
という「右脳」の声(本心)が聞こえてくる。
結果として、理由なんか聞くより、ずっと効果的。
これは、仕事のことでも、どんなことでも、
「人」を対象としていて、
「人が動けるようになる」こと(何かをやめる、始める、変える)
「人が変わろうとする」こと
をサポートする場合には、
当てはまることだと思います。
まだまだだなあ、自分・・・
と思いながら、
自分の心のクセが、あまりに象徴的に出ていて
笑いました。
これからは
「理由」じゃなくて「気持ち」
意識してみたいと思います。