前回、コーチは何を聴くのか、ということを書いたので、
今回はその続き的なことを書いてみたいと思います。
●コーチは事の次第を気にしない●
コーチは、クライアント(話し手)が話さないものを聞き取る、
とも言われます。
クライアントからなんとなく伝わるもの、
言葉のトーンや間合い、勢い、速さ、色……
そんな「言葉の表情」や「気」のようなもの
と言ってもいいかもしれません。
「事」ではなく「人」を見る、とも言われます。
まだ慣れない頃は、クライアントの方の話す「事柄」に
意識を持っていかれがちになりますが、
それはほとんどの場合、どうでもいいのです。
……そう聞くと語弊があるかもしれませんが、
それは、こういう意味です。
クライアントの方が、
話すことで解決したいことや整理したいことがあるとすれば、
それをするのは
聞いているコーチではなく、
クライアント(話している人本人)だからです。
だから、クライアント自身がたくさん話せるように聴く、
それが大切になります。
そして、コーチは、前述のように、
クライアント本人が自分の思いや考えの正体を知り、
整理するのを手伝います。
話を聞いて、「何とかしてあげたい」と思うと、
ついついクライアントの置かれた状況や、
事の次第などを押さえておきたい気持ちになりますが、
それは、聞いているコーチ自身が
クライアントに代わって問題解決をしよう、としている証拠。
そこには、少なくとも二つの問題が隠れています。
●問題解決をするのは、クライアント本人●
一つ目の問題は、
そうやって、もしコーチが問題を解決できたとしても、
次にまた、クライアントが
同じような問題や課題に直面したとき、
クライアントは、まだ自分ではそれを解決できない可能性が高まる、
ということです。
もっと悪いことには、
クライアントは、いつでもそのコーチに、
問題の解決を頼るようになるかもしれません。
何でも占い師に聞いて決めようとする人のように。
コーチングは、
クライアントが必要なマインドと能力を備えて、
自分で問題解決や目標達成をできるようになり、
ありたい状態になれることを、
主に会話を通して実現していくプロセスです。
コーチは、その伴走者であり、
ゴールテープを切るのは
クライアント本人でしかないのです。
だから、本当によいコーチングだと、
何かを成し遂げたとき、
クライアントはそれを自分でやったと感じることができ、
自分の成長を感じ、
自分に自信が持てるようになるのだと思います。
●人は見たいように見て、聞きたいように聞く●
もう一つの問題は、
クライアントが話すことが、
本当にそうなのかどうか、わからない、ということです。
人間誰しも、恥ずかしいことなどは
そうそう人に話しません。
だから、無意識のうちにも、
自分に都合の悪いことは伏せて、
都合のいいところだけを話すことになります。
(子どもが話す話などはその典型かも。笑)
また、あえてそうやって意識的に事実を歪曲しないまでも、
人には、物事の全体像が見えているとは限らず、
結果として、クライアントの話は、
やはりバイアスのかかったものである可能性が高いのです。
クライアントにとって悪者である人も、
本当のことを知れば、
誰よりもクライアントのことを考えてくれている人かもしれません。
でも、その時は、クライアント本人には、
それがわかっていないだけなのかもしれません。
(思春期の子どもにとっての親のように。)
そして、コーチ自身にも、何らかのバイアスがあります。
人間誰しもその人なりのメガネで、世界を見ているのですから。
●あなたはどうしたいのか●
だからこそ、
クライアントの話す「事の次第」は
ある意味、どうでもいいのです。
日本でも有数の名だたる、あるコーチは、
「クライアントの話なんて、聞いてないもん」
と断言していましたが(笑)、
それは、上記のことを言っているわけです。
もちろん、クライアントさんには自由に話してもらいます。
今の状況、事の次第…… 話したいことはなんでも。
でも、最終的に問うのは
「そのことがどうなったの?」ではなく、
「で、あなたはどうしたいの?」
ということです。
事の状況がAだろうとBだろうと、
大事なのは、「あなたは何を選んで、どう行動するのか」。
●コーチングは、まずクライアントありき●
コーチングでは、
クライアントがどうなりたいのか、どうありたいのか、
それが重要です。
まず、それありき。
コーチとクライアントの会話というのは、
究極、そこに向かっていくもので、
そのゴールがあるかないかが、
普通の会話と違うところです。
そして、そこに向かっていけるよう、
最終的にはクライアントの行動の変容を促すことが
コーチングの使命というか、「働き」なのだと思います。
(コーチの、ではなく、コーチングの、です)
そのためには、
まず、クライアント自身が変えられること、変えられないことを区別する。
そして、
変えれられることの中で、
どれにフォーカスしてどう変えていくのか、
クライアント自身が選び、決めて、行動していくのです。
しつこいようですが、その時、
選び、決めて、行動する主語・主体はクライアントです。
コーチは、それを手伝うだけ。
言ってみれば、お産婆さんのようなものですね。
産むのは、産婦さん自身でしかないわけです。
だから・・・
そもそも、自分がどこかに向かいたい、何かを変えたい、
といった、自分から湧き起こる欲求がない人は、
コーチをつける意味を持たないとも言えます。
お腹に赤ちゃんがいて、お産しようとしているわけじゃない人には、
お産婆さんが必要ないのと同じことですね。
コーチングは、コーチだけがいても成立しないわけで、
まず、何かを為したいという思いを持つクライアントありき、
なのです。
●コーチもコーチをつけている●
ちなみに・・・
こんなことを書いているのだから、私はいつでも
自分がどうしたいのか、わかっているのか?
と言えば、
正直、そんなことはありません。苦笑
AもBもやりたい、でもできない、どうしよう、
なんてこともありますし、
そもそも、どうしたいんだ、自分? っていうことが、いっぱい。笑
一人で頭の中で考えているだけだと、出口がなくなることがあります。
だから、誰かにしゃべってみることが必要。
だから、コーチもコーチをつけます。
それに、自分の後ろ姿は自分では見ることができないから、
フィードバックをもらって、それを見せてもらうことも必要です。
また、話してみて、自分で自分の本当の気持ちを知る、ということは
珍しいことでもなんでもない、
そう思います。
人間、完璧なんてありえない。
迷って当然、悩んで当然。
それが生きているってことですから。笑
(それでも、それを受け入れられないこと、いっぱいあるけど)
だからこそ、それを誰かに晒け出してみる、という行為自体が、
人を軽くするし、
それだけで、重りが減って、気球が上に上がるように
自然と発進していけたりします。
アクセルを踏むことも大事ですが、
その前に、ブレーキを外すことも大事ですよね。
・・・ということで、なんだか真面目に、コーチングのお話でした