アンパンマンの作者、やなせたかしさんが逝かれて、
1週間が経とうとしています。
追悼の文をあれこれと読むにつけ、
アンパンマンの魅力が何だったのか、
あらためて考えました。
アンパンマンに表される「正義」と
ばいきんまんに表される「悪」。
この構図はとってもはっきりしているのだけれど、
だからと言って、作品の中では、
それらの争いは徹底的ではありません。
そもそも、ばいきんまんのする悪事は、なんだか憎めない。
「アイツがちょっと羨ましかったから」
「入れて、って素直に言えなかったから」
だからやってしまった「いたずら」。
そんな感じです。
きっと子どもたちは、ばいきんまんの気持ちも
よくわかるんだと思います。
でも、だからと言ってそれでいいわけじゃない。
だから、アンパンマンも
そんなばいきんまんを「やっつける」わけです。
それはそれで、大切なこと。
やっていいことと、いけないこと、
それはやっぱり分かれている「べき」だと思います。
特に、子どもがまずはじめの基準として持つには、
そうした一つの価値基準は大切なんだと思います。
でも、人間、そんなきれい事じゃすまない。
人の心の中にいるのはアンパンマンばかりじゃない。
ばいきんまんも必ず住んでいるのです。
成長するにつれ、だんだんとそれがわかってきます。
ばいきんまんの割合が多い人、少ない人、
いることを認めようとしない人、
色々いるけれど、やっぱり住んでいるのです。
それが人間なんじゃないかと思います。
ばいきんまんをやっつけるアンパンマンの魅力は、
徹底的に相手をたたかず、逃げ道をつくっていること、
そして自分の顔を分けて差し出すことで、
自分も痛みを感じるところなんだろうと思います。
これが、ただただ、悪を根絶やしにするまでやっつけるだけで、
ピンチにもならず、自分も傷つかなかったら、
嘘くさいし、面白くもないですよね。
以前に『本当は怖いグリム童話』などと言う本が
話題になりましたが、
古来、おとぎ話というものは、実はとても残酷で、
悪者はしっかり「殺されて」根絶やしにされる、
という話であったようです。
まさに人間の本性の両極を、
文学らしくデフォルメした結果だと思います。
そして、これまでの歴史は、
そうしたおとぎ話と同様のことが行われてきたと思います。
それにくらべると、
『アンパンマン』は、何とも曖昧でスッキリしないかもしれません。
でも、以前のおとぎ話の価値観で繰り広げられてきた歴史で、
世界が平和になったかと言えば、そうでないことは明らかです。
であれば、こんな『アンパンマン』的世界観で、
実際の世界を平和にする、と考えるのはどうでしょうか?
これは、日本が世界に発信できる
文化・考え方の一つではないかとさえ思います。
やなせさんは、ご自身が戦争を体験し、
弟さんも戦争でなくされているといいます。
そんな修羅場を通り、白も黒も見てきて
そこでやはり白を掲げたいと思った
アーティストとしての表現のひとつが
『アンパンマン』だったのでしょう。
やなせたかしさんのご冥福をお祈りします。
西洋の話は、悪だ!!って決まると徹底的にやっつけるんだなぁって私も感じていました。
その点日本人の持ついい曖昧さ、全てを厳密に正さなくてもいいじゃない、許し受け入れようというところが必要なんじゃないかって私も思います。
こないだやっていた陰陽師のドラマでも、みんなの心が救われ、納得できるならそれでいいんだよ、って結末になってて、すごくいいなぁって思いました。
この感覚を世界に発信、できたらいいですね~。
曖昧さ、と言うと悪いもののようですが、いい意味の曖昧さ、察することとか……大事にしたいですよね。
先日も、「うつ」に関して専門家が言っていましたが、以前は職場に「察する」文化があったけれど、今はそれがないことも、うつを生み出す一つの大きな要因だそうです。
世界に発信、したいですね^^。