何かを決める時、どんなふうにしていますか?
たとえば、ものを買う時。
私はいま、家をちょっとリフォームしたこともあり、
家具を一部、買い替えているのですが、
どんなダイニングテーブルを買うか、考え中。
ちょうど昨夜、どれにするか決めたところなのですが……
その過程では、思えばずいぶんと紆余曲折がありました。
最初に考えていたものと、いまは全然違うものになりました。
そのプロセスを振り返ってみると、
思考と直感を織り交ぜて使っているなあ、と思います。
そして、偶然(という名の必然)も、大きく関わっています。
具体的には、長方形のスペースに、
これまでそうだったように、平行する形で
長方形の大きなテーブルを置くつもりで探していたのですが、
いま、仮置きしているテーブルが小さいため、
そのスペースに水平な方向で置いてみたら、
これがすごくいい感じだったのです。
そこで、そのスペースに水平状態でテーブルを置くことにしました。
となると、探すもののサイズも、大きく変わることになりました。
そんな感じに、
はじめは、あれこれと条件からしぼっていくことは多いでしょう。
サイズだとか、色だとか、質だとか。
それをある程度しぼっていくものの、
必ずしもそれにドンピシャリと、100%一致するものがあるとは限りません。
そしてまた、条件的にはほぼクリアされているはずなんだけど、
どうも今ひとつピンと来るものがない、
ということもあります。
その逆で、条件からすると一つだけ合わないんだけれど、
グッと来てしまったり。
そんなとき、偶然(という名の必然)が大きな役割を果たしたりします。
私の場合、最終的には、直感で決めます。
そしてこれまでの経験では、
思考で「判断」したものより、直感で「決断」したもののほうが、
自分にとっての「正解」だった、と感じてきました。
ところで。
モノの場合はそんな感じで、
もし、やっぱり違った…となれば、買い替えることも可能ですが、
これが、もっと形のない、
仕事の選択だったり、事柄となると、
どうでしょう……?
先日、ある方に、私が進むべき方向性について「迷っています」と
お話する機会がありました。
すると、その方は、私の話を聞いて
「あなたがしようとしているのは、“判断”ですね。
“決断” には、根拠はありません」
と言われました。
なるほど〜、と思った次第です……
人生の中での大きなことを決めようとするときは、やはり怖さが伴います。
だから、少しでも、「大丈夫」という確証を集めたい。
それで、あれこれと探そうとします。
行けそうな根拠。
無理だと納得したい根拠。
でも、「正解」なんてないんです。
答えがないものに、あたかも正解があるかのようにして
解法を探そうとしても、
それは所詮、無理な話です。
それをやろうとすると、いつまでも終わりになりません。
だから、迷うんですね。
実は、モノも、コトも、同じなのでしょう。
迷ったら、直感に従って、買ってみる。
「しまった! 違った」と思ったら、買い替える。
この時、買い替える、つまり古いものを捨てられない、
手放せない、というのが、
つまり「捨てられない」ということなんですね。
捨てられない、というのは、つまり、
自分が失敗したということを認めたくない、ということ、
と断捨離の専門家に言われたことがあります。
至極、納得。
コトも同じで、
迷ったら、直感に従って、やってみる。
そして、
「しまった! 違った」と思ったら、やり直す。
やり直し、本当にきかないんでしょうか?
おそらく、命がなくなったりでもしない限り、
本当はやり直しがきかない、ということはないんだろうな、
と思います。
迷っていても、正解はわからない。
私の好きな言葉に、
「正解は、決めたあとの行動で決まる」
というものがあります。
大先輩コーチに言われた言葉で、
このブログにも何度か登場したかもしれません。
この言葉は、
その決断が正解となるように、行動しよう、
という意味だと思いますが、
もう一つ、
正解は、とにかく一度決めて、やってみないとわからない、
そんな意味もあるんだな、と思います。
確かに、「判断」は大事。
でも、「決断」は もっと大事かも。