昨日は、江戸の文化を研究している方と
話をすることがありました。
江戸という時代は、
人が生きていく上での多くの点で、
ある意味、理想的な時代でもあったということは
かねがね見聞きしてきました。
たとえば、暮らし方がエコでサステナビリティ(持続可能性)に富むものだったり、
「江戸しぐさ」に代表されるように、
人々の配慮や気遣いが行き届いていたり。
そこで花開いた文化も、
たとえば、浮世絵などにみられるように、
世界的に見ても高度で豊かなものだったり。
で。
今日、その方との話の中で、そんな江戸の人々のあり方を、
改めて素敵だな、と思いました。
どこが「素敵」なのかと言えば、
江戸の人々の多くは、「今」に生きていた、
ということです。
その方の今日のお話のなかに、
職人さんたちが連係プレイで仕事をしていた、ということがありました。
今なら工場で機械がやることを、
人がやっていたんですね。
浮世絵なんかも、絵師が絵柄を描いた後は、
彫り師や刷り師がそれぞれの役割を分担して
あの芸術的な作品を作り上げていました。
そんなふうに、たとえば手ぬぐいを作るにしても、
餅つきで、杵で餅をつく人と、
その餅を返す人との呼吸とリズムが大切なように、
職人たちの間には、見えない阿吽の呼吸があったと言います。
おそらく、その手際は、まさにプロであり、
芸術的な域まで高められていたんだろうと想像します。
とは言え。
人間ですから、誰にでも失敗はあります。
そして、そんな連係プレーの手仕事のなかで、なにか失敗をすると
その影響はいやでも全体に及びます。
一度に、せっかくの手ぬぐいが20本くらい、
おじゃんになったりしたようです。
そんなとき。
江戸の職人さんがしたことは、
「ああ、俺ってダメなやつ」
なんて言って自分にダメ出しをしたり、 落ち込んだりすることでは
ありませんでした。
何をしたかというと、
彼らは『にっ』って笑って、ただそれだけだったと言います。
後悔したり、落ち込んだり、先を心配したりしない。
そんなことをしても全体の生産性にいい影響があるわけない、
ということを彼等は知っていたわけです。
そして、そうした失敗は、誰にでも起こり得ることも
十分に承知していたのです。
まさに「おたがいさま」。
人間なんて、だれもみな、完璧でなんてありえません。
失敗もするし、弱い部分もたくさんある。
でも、それをデフォルトとして
あなたも、あなたも、そして自分も、そうなんだ、
と、あるがままに認めるところからスタートしているんですね。
だから、許し合える。
そして、無駄に落ち込まない。
その時、その時が真剣勝負だったということもあります。
多くの人は、貧しかった。
その日その日を生きることに一生懸命。
娯楽だって、今みたいにあったわけじゃない。
だからこそ、今あることを最大限に楽しんで、
過去を思い悩んだり、
未来を心配したりすることなく、
その時その時を懸命に生きていた、と。
そんな人間たちがつくる社会は、
「人情」が通っていたのも頷けます。
もちろん、江戸の時代が桃源郷かといえば、
そんなこともないでしょう。
たくさんの苦しみや、現実の厳しさがあったことは当然です。
でも。
なんか、江戸の人々の生きる姿勢、
素敵だなあって、そう思いました。