今日は久しぶりに青空でした。
一雨降るごとに、
そのあとの青空は、
遠くに行ってしまうような感じがしますね。
昨日、走ろうと思っていたけれど走れなかったので、
今日は午前中に走ってきました。
このところ、もう日が暮れてから走ることが
多かったので、
日中、街を走ると、
いろんなものが、音とともに私に飛び込んで来て、
ちょっと新鮮でした。
ジョギングで出会うシーンに、いくつか好きなものがありますが、
保育園の子どもたちのお散歩風景は、私の大好きなものの一つです。
いつもはしーんとしている小さな森に、今日は子どもたちの歓声がこだましていました。
家で仕事をしているときは、
いつ走ってもいいわけですが、
一日の真ん中で走ると、
なんだか、ほかのことをする時間が無くなってしまうようで、
ついつい、日中走ることには気が引けていました。
とうとう、日が暮れて
「あ、もう時間がない!」って焦ってから
走ってくる、
そんな図式の中にいた私です。
また、走ると、その後なぜか頭痛がしてきて
その後の時間が使い物にならなくなってしまう、
というのも、
一日の初めや真ん中で走らない理由になっています。
さて、
今日は、走りながら
走ることを毎日後回しにしている自分のことを
考えていました。
気が引ける、仕事が先、
そんな思いが大きいのだけれど、
走る、身体を動かすって、悪いことか?
っていうのが問いでした。
もちろん、仕事が大事か道楽が大事か、と
聞かれれば、
道楽の方が大事、とは言いにくいものがあります。
けれど、走ることは私にとって、
道楽ではありません。
道楽とか趣味とかとは別の意味を持っているのです。
それは、自分を自分でセルフコントロールするにあたっては、
運動をするということが大切、という認識によるものです。
自分の人生を自分で主体的に生きる、ということは、
自分の思考や自分の身体も
自分でケアしていく責任を自分で引き受ける
ということなのだと思います。
どんなに仕事が順調でも、
身体が言うことを聞かなくては、結局、話になりません。
歳をとっても、日常生活は
自立して行えるようでいたい、と思います。
となると、運動は大切な要素です。
後回しにしていいものではありません。
歳をとってから、突然運動をする、
ということは、現実的じゃないし、危険も伴います。
身体は一日にしてならず、なのです。
大体、後回しにして「いつか」なんて言っていても、
「いつか」なんていう時はやってきません。
こんな有名な話を思い出しました。
大きな石と小さな石があったとき、
それをバケツだったかに入れるとしたら・・・
という話です。
小さな石を先に入れてしまうと、
結局、大きな石は入らなくなります。
だから、まず大きな石を入れ、
それから小さな石を入れ、
砂などは最後に入れる、という寓話です。
大きな石は言うまでもなく、
人生にとって大事なことを象徴しています。
そして、小さな石は、
毎日起きる、差し迫ったことや、
たいして重大でもないことを象徴しています。
私たちは、ついつい目の前に差し迫ったことに、
時間とエネルギーをとられ、
本当は取り組んだ方がいいとわかっている
自分の人生にとって大切なことを
後回しにしがちです。
でも、そうしていると、
大切なことは後回しにされ、
結局、手をつけることさえされないままに、
私たちの短い一生は終わってしまうのです。
そして、「やらなかったこと」を
後悔しながら死んでいくのです。
そんなことを思いながら、
今日は堂々と、日中に走って来ました。
パソコンに向かっても、ずっと考えているのであれば、
いっそ身体を動かした方が、いい考えが浮かびます。
とは言え・・・
大きな石も一つとは限りません。。。
やはり、時間とエネルギーのやりくりは
いつも意識していたい課題ですね