ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

捨てたものたち

2013年10月29日 | ●断捨離

 

 

またまた断捨離ネタで失礼します。

何しろ、断捨離月間中。

 

本日で9日目となりました。

 

 

この月間中、毎日、何か一つ捨てるということを

自分との約束の一つにしています。

 

で。

どんなものを捨てているのかと言うと、

こんなモノたちです↓

 

 

 

捨てながら気づいたことがあります。

それは、こうしたものはどれも、

私が購入したものではないということです。

 

家族の誰かが買って来て、ほったらかしにしているとか、

家族の誰かが、誰かからもらったとか、

誰かから押し付けられた(?)とか。

 

モノが入ってくるところでは、

私自身の意思は何もありませんでした。

 

ということは、それらを維持しようとしたり、

また、捨てるかどうか悩んだりすること自体、

私のすることじゃなかったんじゃないか、ということにも

思い至ったわけです

 

つまり、

私の時間とエネルギーは、

本来、私が使わなくてもいいものだったんじゃない?

 

 

 

本来、私の領域に入ってくるものじゃなかったものたち。

それに対して「もったいない」「まだ使える」などと思うのは、

結局そこで勝手に、

モノに自分の情を移しているということになります。

 

 

はたして、

自分のモノの管理だけでも大変なのに、

人のモノにまで、そうした思いを載せてしまうことは

どうなのだろう?

 

 

 

思えば、家族のモノにまで自分のエネルギーをかけることで、

私はずっとずっと、

エネルギーロスをし続けて来た、と思います。

 

家族の世話をするということは、

そういうことだと思っていたわけです……。

 

でも、それって、

自分の勝手な思い込みだったのかもしれません。

 

そして、仮に今まではそうだったとしても、

今は、子どもたちも皆、

それぞれ自分のことは自分でできる年齢になっています。

状況は変わったのです。

 

本来、その人が自分で完結するべきことを

私が代わりに終わらせようとしている。

ほかの人の責任を、私が引き受けようとしている。

そのこと自体もおかしなことなのに、

そのうえ、悩んでしまうなんていうのは、

私が自分で勝手に

自分の責任範囲を拡大していることになるのかもしれません。

 

家族と言えど、自分以外の人のモノは

勝手に処分することはNG、というのは断捨離の鉄則です。

であれば、自分以外のモノの行く末について

他人の私が悩む必要もなく、

それは本人が決めた結果に従うのがルールとなるでしょう。

 

本人がいらないならば、本人が処分する。

本人がいるならば、本人が管理する。

 

そのどちらにもないものについては、本人に確認し、

処分を委託されたのであれば処分、

ということですよね。

 

すでに時効が成立し(?)、

所有者不明となっているものについては、

私が処分代行する。

 

 

なんだか、とっても理屈っぽくなりましたが、

そう思うと、

モノを捨てる・処分することに対する見方も

もっとシンプルでラクになるように感じます。

 

 

 

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