手話通訳者のブログ

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禅と手話/二念を継がず

2017-03-01 08:36:00 | 手話
禅の心得で、「二念を継がず」というものがある。
これを解説するなら、一休のエピソードがよかろう。

わしら以上の年代の人は、アニメの「一休さん」を連想しがちだが、あれは創り話。
今日ご紹介するのは、本物の一休の逸話である。

ある時、一休が弟子を連れて歩いていた。
鰻屋の前を通った。鰻が焼ける香ばしい匂いがする。
「旨そうだな」と一休が言った。
弟子は驚いた。しかし、師をとがめるのも気が引ける。弟子は悶々と考えながら歩き、ついに言った。

「あの・・・僧が鰻の匂いをかいで、旨そうなどと言ってよいのでしょうか・・・」

一休は笑って、「なんだ、お前は今までずっと鰻のことを考えておったのか。わしはとっくに忘れておったぞ」

腹が減っている時に食べ物の匂いをかげば、食欲をそそられる。そのこと自体は、禅は否定しない。
しかし、それに囚われることは厳に戒める。


手話通訳者だって人間である。腹が立つこともあるし、不快に思うこともある。
しかし、通訳している時、己はない。自分を殺さねばならぬ。

二念を継がず。手話通訳現場では常に心掛けている。




ご意見ありがとう/俺が派遣者なら

2017-03-01 07:12:15 | 手話
今、ランクルさんを筆頭にみなさんの協力を得て、意見を書き込んでもらっている。
俺が派遣者なら、こういう状況を目指す。
ただし、派遣者を変えることは不可能だし、現実に、俺が派遣者になることはまず、ありえない。
現実世界では、一人の手話通訳者として何ができるか、日々模索しながら行動している。

誰でも、「私はこう思う」ということを発信できるようにすべきだ。
最もよいのは、対面で話す機会を定期的に持ち、同時に、このブログのように文章でも書けるようにする。
書いたものは、後で消してはならない。
失言も誤字脱字もそのまま。
意見を述べるなら、それぐらいの覚悟が必要だ。

様々な考え方がある。それらは一つひとつ、尊重されるべきものだ。

手話に向き合う姿勢が真剣なものであるほど、時に議論は白熱する。
喧嘩のようになることもあるが、それもよし、だ。

ただ、忘れてならないのは、相手を尊重すること。
相手を尊重する、ということは、どういうことか。それを常に考えなければならない。



ネットの匿名性の中で、礼儀の「れ」の字もないような書き込みをたくさん見るが、今、ここに書き込んでくださっている方々は良識ある方ばかりだ。
感謝申し上げる。